ドラッカー話法①--思考の前提に働きかける

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ドラッカー話法①--思考の前提に働きかける

 

ドラッカーがクライアントや聞き手と対するとき、その人の可能性を広げるにはどうするかに主題が置かれていた。方法は問いによっていた。問いによって、ドラッカーが求めたのは、自分の可能性や資質について考え抜くことだった。問いこそが洞察の導火線だった。

 人は誰でも世界はこんなところだというイメージを持っている。世の中は、人や社会についての固定的なイメージに満ちている。

ほんの少し前までは、社会主義でみんなが幸せになると考えていた時代があった。あるいは、今なお企業は金儲けの道具だと考える人もいる。

しかし、「本当にそうなのだろうか?」

こんなふうに問いを投げかけることは、聞き手に対して、知っているつもりのこの世界についての固定的なイメージをいったん棚上げして、別の可能性に思いをはせてみることを促す。

ドラッカーの問いは、自分が本当に時間と労力をかけるに値する使命は何かに意識を向けさせる。人はこの世界に対してとても独断的で偏狭である。よほどのことがなければ自分の視点による世界認識に疑問を投げかけることはない。

特に組織の中で高い地位に立つほどにその傾向は強くなる。人は自分が置かれている環境や取り巻く状況によって世界の認識の仕方が変化する生き物だからである。

自分のかかわる環境からの影響から自由であることは困難である。しかし、いったん自分のまとう鎧を脱いで、虚心坦懐に環境を見つめなおしてみることには大きな意味がある。

現実に私たちを取り巻く世界は考える以上に複雑である。自分では気付けていない、自分の思考や行動のパターンがある。ドラッカーが問いを投げかけたのはまさにそこだった。

ドラッカーは常に視点を変えたところから問いを投げる。その基本として、本当に知るべきことを人は知っていない、知るべきなのに知らずにいることが無数にあるとの認識がある。

人はみな狭い環境の中で、限られたかかわりの中で生きているわけだから、ほうっておけばそれを全世界と錯覚する。この錯覚は決しておかしなものではなく、むしろ誰でも持つごく自然なものである。大切なのは、自分が狭い世界を生きているのだという事実をしっかりと意識することだ。

ドラッカーは「人は組織の階段を上がれば上がるほど世界が見えなくなる」と言う。この指摘は痛いほどに正しい。人は自分が偉くなるほどに世界が広くなると勘違いしがちである。本当は反対である。端的に言えば、新入社員と社長とは同じ会社であってもまったく違う見方をする。むしろ偉くなるほどに世界は狭くなる。 

ドラッカーが言いたかったのはこのことだった。人は誰もが、高度の構造化された世界を生きている。常に自分を取り巻く社会には異なる見解や異なる感性があることに敏感であるべきであろう。

本人にとっては快い香水の匂いが、隣の人にはものすごく不快というのは日常的によくある。自分とは異なる見解を積極的に知る努力をすることが大切であるというのが、ドラッカーが問いをツールとした最大の理由だった。むしろ自分と異なる見解を積極的かつ体系的に収集すべきとさえ彼は言う。

ドラッカーの場合は、歴史を素材にしたストーリーが少なからず見られる。たとえば、技術がどのように社会に受容されるかを説明するのに、『ネクスト・ソサエティ』に次のような話がある。2000年、ITバブルが華やかだったころの『エコノミスト』誌によるインタビューである。

記者 「あなたは何年か前、イノベーションについて五つの行うべきこと、三つの行わざるべきことを示しましたね。今日これに何を加えますか?」 

ドラッカー 「イノベーションは体系的な活動である。それでいながら予測不能だ。ところで、あなたのズボンにはジッパーがついている?」 

記者 「はい。」 

ドラッカー 「ボタンではない。ところが、ジッパーはズボン用に開発したものではない。そもそも衣料産業で使われることは想定していなかった。穀物の梱用として開発したものだった。衣料に使うことは考えていなかった。

製品の市場は想定していなかったところにある。常に起こっていることである。」

「ところで、あなたのズボンにはジッパーがついている?」というシンプルな問いから話が展開しているところに注目したい。

ジッパーは穀物袋から小麦がこぼれ落ちないよう、縁いっぱいのところで梱包可能にするための農夫のアイデアがきっかけだった。目端の利く誰かが、小麦袋を見てジーンズに応用したのがはじまりだったという。しかし、考えてみればジッパーとてからまりやすくて、一度ひっかかると大変厄介だ。要はボタンよりましという理由で生き残っているにすぎない。

これなどは、聞き手の意識を刺激し、あらかじめある枠組みを取り外すのに、きわめて有効な問いと考えてよい。

技術についての膨大な専門知識を詰め込み式で次々にまくしたてられても、ドラッカーのこの小さなエピソードほどの効果は期待できないだろう。

聞き手に伝えるときも、問いはパワフルな道具となる。常に冷静で公平な立場から、「自分の人生に枷をはめてはいけない」ことを伝える。

聞き手が「世界とはこのようなものだ。人間とはこのようなものだ」と信じていることであっても、ていねいかつ親切に、俯瞰的な見地から問いをもってロックを外す。

ドラッカーの基本は、聞き手の世界観の核を認識し、そこに働きかける。聞き手の価値観と深くかかわっている。

ドラッカーのマネジメントでは、「強みを組織的に生かすこと」「自らの強みを最大化すること」に重きを置く。忘れてはいけないのは、自分の価値観で構成された世界よりも、現実の世界ははるかに複雑だということを伝えることだ。

自らの価値観がイコール世界ではない、言ってみればこんな当たり前のことを伝える。ドラッカーはそのことを私たちに徹底的に意識するよう迫る。

イノベーションなどは、経済的な要因というよりは、「気付き」という感情や心の動きにかかわる作用である。そうした側面を意識することで、自分を深く知ることができるようになる。

たとえば、今までもわかっていながら実現できなかったようなことには、「言い訳」や「自己規制」がついて回るものである。しかし、イノベーションの多くは、本来の行動を妨げることになる言い訳や自己規制の類を乗り越えることによって実現される。やらない自分を正当化する自分に気付くということにおいて問いは有効な方法である。

問いの意味は、聞き手に考えさせることにある。問いを味方につければ、どれほど困難なことがあっても、現状の問題の根源にリーチすることができるようになる。枷そのものが自分自身によってでっちあげられたものだと気付けるようになる。

そして、聞き手の中の限界を打破し、眠っている力に気付かせるだけの力が問いにはある。それがドラッカーによる話法の特徴の一つである。