『ドラッカー・フォー・サバイバル』『古道』を刊行

古道
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新著を2点刊行いたしました。

古道

サバイバル

 

 

著者インタビュー

 

――新しい本を出されたのですね。何冊目になりますか。

井坂 共著も入れるとちょうど10冊目、詩集を入れると12冊目になります。

――それはずいぶん書いてきたのですね。今回の本はどんな向けなのですか?

井坂 自分のキャリアを展開しようとしている方向けですね。年齢でいうと20~30半ばあたりを考えています。

――どうしてその層に向けて発信しようと思ったのでしょうか。

井坂 世の中がコロナになって1年半になりますが、最も負荷のかかっている年代だと思ったからです。コロナでなくても、悩みに尽きない年代です。20~30代というのは。胸を突くような坂道を日々上っていくような一時期ですね。

――それは井坂さん自身の経験もある?

井坂 もちろんです。何よりも、この果てしなく広い世の中に、ささやかでも居場所をつくらなければならない。時々「小屋を建てる時期」と私は呼ぶのですが。

――小屋を建てる時期。

井坂 はい。小さな一隅に、いろんなところからかき集めてきた枝やなんかを組み合わせて、小屋を作る。古代を生きた人々みたいに。これが大変なのです。吹けば飛ぶように見える小屋でも、それを作り上げるのは並々ならぬ努力を必要とします。

けれども、どんなに小さくとも、小屋をしっかり建てることができれば、次が見えてくるのです。その小屋で、次に何をすべきかが見えてくる。最初に必要なのは小屋なんです。

――なるほど。

井坂 でも、現在は、困難な時代です。小屋づくりもままならないくらいの変化に取り巻かれてしまっている。あたかも台風の中での作業のように。

――それでタイトルに「サバイバル」を入れたと。

井坂 その通りです。私たちはつい一足飛びに結論を手にしたがりますね。そのこともあって、書店とかセミナーのタイトルには、「成功」とか「勝つ」みたいなワードが溢れている。もちろん成功したり勝ったりする方がいいに決まっていますよ。けれども、その前になすべきことは――。

――生き延びること?

井坂 まさしくそうなんです。生き延びられなければ何もはじまらない。とりわけ現代のような変転の激しい世の中では、「生存戦略」をこそ根本から見直す必要があるのです。

――生存戦略ですか。大きな戦略ですね。

井坂 はい。戦略の中でも生存戦略ほどグランドデザインを考え抜く必要を迫るものはないと思います。小手先ではまったくものの役には立ちませんからね。まず問うべきは、「どうすれば生存確率をわずかでも上げられるか?」でなければなりません。そのためには、根本的な思考が求められる。

――本をぱらぱらめくって思ったのですが、樹の絵がたくさん出てくるのですね。

井坂 そうなんです。樹は太古から生存戦略を考えるうえでのお手本の役割を果たしてきました。「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」これを理想としなければならない。

――なるほど。

井坂 「生存を確実にする」とは、「勝つ」とか、「成功する」よりも、はるかに根源的な戦略思考なのです。このことに気付いている人はあまりいないと思います。まさに、これこそが大戦略なのです。

――生き延びることが大戦略。

井坂 そうです。けれども、大戦略とは、有効な小戦略、つまり、いくつもの急所が有機的に作用しなければ機能しようがない。その点について、私はいくつかいいたいことがありました。

――それはどんなことですか?

井坂 昭和から平成にかけて、あまりにも会社や組織が個人を呑み込んでしまった。組織のプログラムに準拠して個人の人生が操作されてしまったと感じています。このような全体のシステムが個を併呑するという一事をもってすれば、戦前戦中にかけてファシズム国家において起こったことが、ミクロの世界である企業において起こったと見てよいと思います。ナチスや大日本帝国は、全体主義国家、いわばブラック国家でした。戦後においても、ソ連をはじめいくつも生き残ったブラック国家があった。

一方で自由主義社会においてブラック化がなかったわけではない。世にいうブラック企業などは、ミクロレベルで発症した全体主義現象です。少なくとも私はそう見ています。

――まさか企業の中でファシズムが進展していたとは。そこでは個人の意味などなきに等しいということですか?

井坂 そうなのです。組織だけが唯一意味ある存在だった。個人の人生などは二義的な意味を持つに過ぎない。組織の目的のために、自分自身の人生を捧げるのが当たり前でした。日本的経営とは、ブラック企業を培養したシステムであったと思います。

――なるほど。今でもそうなのでしょうか。

井坂 ネット社会化して、それらが目に見えるようにはなったものの、基本的には変わっていないと思います。一つの例が、就職活動中の学生です。彼らの身につけるもの、態度、価値観など、私が学生の頃とほとんど変わっていないように見える。自分を組織の基準に無理やり合わせようとしているように見えます。

――それに対抗するにはどうしたらいいのでしょう。

井坂 先ほども言いました通りです。自分の小屋を建てることです。それ以外にありません。

――小屋を建てると言っても、具体的にどんなことをすればよいのでしょうか。

井坂 現代の社会は、封建主義の社会と違って、継承という価値観の極端に薄いのが特徴です。封建主義社会は反対に言うと、富も権力も道徳も、継承することに唯一の意味を置いていた。

他方で、私たちの今を生きる社会は、継承よりも刷新を価値の中心に置いている社会です。このような社会では、誰もが一から人生を始めることが要求されている。

――一から人生を始める? それはどんな意味でしょう。

井坂 文字通りです。一方で私たちは蓄積のもつ価値、保守の持つ意味にやや鈍感なところがあるのですね。新しいもの、めずらしいものに対してなかなか冷静な判断ができていない。

ただね、新しさというものは、古い価値基準を媒介してしか認識しえないということも知っておく必要があります。現在の若い人たちはすでにものすごく新しい、人類史上例のないくらい新しい認識をすでに獲得しているのです。けれども、新しい認識をもちながらも、認識の新しさを認識できないでいる。これが問題なのです。

――やや回りくどい話になってきましたね。

井坂 だからこそ、小屋を建てなければならない。今もっているものをフルに活用して、雨露をしのぐ場所をつくらなければならないのです。いうのは簡単ですが、恐ろしい難事業です。というのは、小屋を作るためだけに費やされるのが、多くの場合20代から30代にそうとするからです。

――なるほど。

井坂 20代に建てた小屋によって、次の時代が大きく変わってきてしまう。これが厳然たる事実です。自分を安全に成長させてくれるささやかな場が次の展開のための重要な拠点になってくれるのです。

反対に、小屋を建てることができなければどうなるか。誰かの軒先を間借りしたり、あるいは日々野宿しなければならない。これでは成長するだけのゆとりというものがありません。小屋を建てることは、小さな大事業であるのはそのためです。

――そのための方法としてもマネジメントは活用可能であるということですね。

井坂 まさにその通りです。大会社を経営することだけがマネジメントではない。何より自分の生存を確実なものにする。これこそが大事業と呼ぶに値するものです。誰にとっても切実な意味を持つ課題でもあります。

――そのことに今次のコロナもかかわっている?
井坂 大いにかかわっています。

――経済的な問題を抱えている人も少なくありません。

井坂 確かにそうですね。けれども、私は経済問題だけに限定してしまうと肝心の経済が見えなくなってしまうと考えています。いやむしろ、経済問題とは人間や社会的な問題の結果なのだと私は言いたいと思います。

もっと正確に言えば、最も深刻な問題は私たちの心の中で進行しているとさえいえると思います。

――ずいぶん大仰な話になってきましたね。

井坂 決しておおげさではありません。私は最晩年のドラッカーにインタビューしたことがあります。IT革命の文明的インパクトについて質問したところ、「最も意味ある変化は意識の中で起こっている」と答えたのです。

たとえば、私たちはコロナの問題もあって、リアル店舗での買い物をなるべく控えるようになりましたね。とくに混雑している場所にはわざわざ出向いていかない。その代わり、ネットによる宅配が短期間で一般化するのを目にしています。

実は、これは一見すると経済的な変化に見えて、意識上の変化の経済的帰結に過ぎないのですね。ものを購入するということは、誰かが家まで商品を運んできてくれるという概念に置き換わったからです。これは買い物という概念の変化を意味している。

同じことは、在宅ワークについても言えます。それまでは、働くとは電車に乗って会社まで出向き、そこで必要とされる業務を遂行し、同じように電車で帰宅することだった。時には居酒屋などに立ち寄ることもある。そういったことを総体として「働く」という概念が成り立っていたわけです。

けれども、もはや私たちにとって働くという概念はそのようなものではなくなった。経済的事象はそのような意識変化の結果として表れたものだということです。

経済は原因ではない。結果なのだということです。このことをよく理解しておく必要があるでしょう。考え方が変わることが最も意味ある変化なのです。

――なるほど。けれども、意識上の変化の中に危険が潜んでいると?

井坂 大変な危険が潜んでいます。というのも、私たちが重要だと思っているものはほぼ例外なく過去の遺物だからです。私たちはすでに新しい土地にいる。なのに、使っている土具や信頼しているものはすべて過去のものです。軍人は常に過去の戦争を戦っているといわれるように。

――確かにそうかもしれませんね。たとえばどんなものが過去の遺物なのでしょうか。

井坂 私が思うに、会社という組織自体が遺物になっている。それは生産活動の形式の一つに過ぎなかったわけですが、コロナによるリモートの普及で、不要であることが露見してしまった。

たいていのものはそうなのですが、どうあってもなくてはならないと信じ込まれているものほど、その必要は疑わしいと考えるべきなのです。たとえば、戦前などは社会システムの頂上に華族制度や軍が置かれていました。誰もが国家としてそれらが必要だと信じていました。

敗戦とともに、両方とも雲散霧消してしまった。世の中に華族がいなくて困っているでしょうか。軍隊がなくて困っているでしょうか。必要性はなくなってはじめて気づくともいわれますが、なくなってはじめてその必要性の不在を感じさせられることもある。

会社が必要だと思っていたのは、ただ現実の都合や便宜に合わせて意識活動が捏造されていたにすぎなかったのかもしれない。

――確かにそういわれるとそんな気もしてきます。

井坂 そのこととサバイバル、つまり「生き延びる」こととの間には強い相関関係がある。たとえば台風による洪水や、地震による津波が来るという時、どうすべきでしょうか。

――真っ先に逃げますね。

井坂 身一つで逃げますか?

――身一つで逃げますね。

井坂 何も持たずに?

―― 持ち物などかまっていられないでしょう。何も持たずに逃げるしかありませんし、それが推奨されています。

井坂 違う。何も持たずに逃げるのではありません。持っているものがあります。

――着の身着のままで逃げるのですから、何も持ちようがないですよ。眼鏡くらいではないでしょうか。

井坂 いえ、知識を持って逃げられるかどうか。そこが最大のポイントなのです。サバイバル時において最も信頼できるのは知識です。しかも、知識は頭脳の中に収納されているものですから、これほど持ち運び便利なものはありません。

――そういわれればそうですね。

井坂 マネジメントを体系化したドラッカーはヨーロッパのユダヤ人でした。ユダヤ人にとっては、いつなんどき、生活の基盤がくつがえされるかわからない。ずっとドイツの模範的市民として生活していたインテリが、あるとき急に国民の資格を除外される。国外退去を命じられる。強制収容所でガス殺される。こんな時代がわずか70数年前にあったのです。ご存じですか。

――ナチスの時代ですね。

井坂 その通りです。いわば人工的な災害です。理屈も何も通用しない。何を言っても理解されることはない。ただ逃げなくてはならない。

ユダヤ人は、長きにわたる迫害の歴史を通して、一つの智恵に到達しています。どんな財貨や土地、宝玉の類を蓄積していても、王様が変われば昨日までの安定が雲散霧消して、いつ流浪の身になるかわからない。ならば、最も確実で価値あるものを持つのがよい。

――それが知識と。

井坂 そう、知識です。ドラッカーは知識労働や知識社会という概念を世に問うた人としても知られていますが、彼の来歴を見れば決して怪しむに足りないのです。現に彼と同時代の人々でナチズムの支配するヨーロッパから逃げ延びた人たちは、新天地アメリカに知識を携えてわたっていったからです。

ただし、知識はあまりにも幅広いのです。ヴァイオリンの技能、学問、投資、ジャーナリズム、あるいは思想、ネットワークも立派な知識です。この知識を資本に激動の20世紀を逃げ延びて、しかも繁栄していった。この来歴が説得的なものとして響いてきます。

――まさに。

井坂 ええ。サバイバルそのものですね。この観点から読むとき、マネジメントとそれに随伴する体系は、危急に際して「もって逃げる」うえでの無形の宝箱のようなものと解することが可能だと思います。

――マネジメントは問いと助言の生態系とも言われていますね。

井坂 はい。そう考えています。問いと助言とは、直接的に正答を求めようとする営みではない。唯一絶対の正解が存在しないことを認めて、それについて観察し、思考を巡らせている。その中で、あらゆる状況においても効力を有する武器のような問いが精錬され、鍛えられていく。マネジメントに出てくるものは、そのような問いであり、一そろいの武器なのです。

――左ページに時々出てくる問いがそれにあたると?
井坂 そうですね。よい問いはそれ自体が人の思考だけでなく、心を解放してくれるようなところがある。目に入っただけでうれしくなってくる。気づいたら、頭が回転している。体が動き出している。ドラッカーにはそのような問いがたくさんあります。

――しかし、面白いですね。きっとそのような問いも、彼が凄惨なヨーロッパから持って逃げてきた知識という道具箱にあったものだと思うと。

井坂 本当ですね。彼はアメリカ人だと思われることも多いのですが、やはりヨーロッパの思想風土で育ったことが生涯染みついて離れなかった人だと思います。というのも、彼が生まれた20世紀初頭のウィーンは、辺境からの流入者たちによって多様で才気あふれる知性と文化が反映していた時代だったからです。フロイトも、アドラーも、ココシュカも、ハイエクも、シュンペーターも、ポラニーも、彼の生活圏にいた人たちです。別に本や講義から学んだわけではない。たんにそのような土壌の中に生まれたことによる、ほとんど生得的な影響を被っていた。

――新著の中で、これまで書かれたものと比較して、新味のあるところはどこでしょうか。

井坂 すべてを問いの形式でとらえたところですね。意外と知られていないのです。やはりドラッカーというとマネジメントの巨人と称されますから、彼のところに答えを求めてやってくる人が山のようにいる。けれども、答えを求めても甲斐のないことなのです。なぜなら、自身の答えは自分のなかの問いとの対応関係の中でしかありえないからです。答えは問いとセットでしか意味をなさないわけですから。

答えしかないのだとしたら、それはかなり危険な状況ですね。ナチズムやソ連、大日本帝国などの全体主義国家では、答えしかなかった。問いなどなかったのです。戦後の日本でも、問うことは、体制への挑戦と見なされてきたではないですか。「口答えするな」と。質問すること自体が反抗心の表れと見られてきたでしょう。

それと第三部ですね。個人のマネジメントです。ここは本当に革命的な記述なのだと強く思うようになりました。

――革命的。それはどのような?

井坂 自分自身をマネジメントの対象と見なすことです。これは私自身にとって、単なる議論という以上の意味を持っていました。ある意味、自分自身を材料にして、実験台にして論じていく必要があった。

その典型がトータル・ライフ論です。

――トータル・ライフ論。あまり聞き慣れない言葉ですが、どのような意味合いでしょうか。

井坂 平均寿命の伸びと社会の共通認識の乖離を取り扱った議論です。現在は多くの人が80歳、90歳、ときに100歳まで生きることを当然と考えるべき時代になっている。にもかかわらず、社会の側の制度や理解がその現実についていけていない。

たとえば、今も多くの組織において定年は60歳です。かつては老後という言い方をしましたが、定年後の時間が30年もあるとなると、それはもう一つの人生です。ドラッカーはそれをセカンド・ライフと呼ぶわけです。

――第二の人生ですね。

井坂 はい。私自身が、第二の人生を創造するさなかにいるわけですね。自分で語りながら、自分でそのための助走もしているわけです。これは単なる評論家に徹することが許されない、切実な立ち位置でもあります。

――誰にでも関係のあることですね。

井坂 ええ。生き方に関することは、誰に対しても評論家的態度を許しません。まして、ドラッカーは自ら語った通りに生きた人ですから、彼の学徒としては、なおさらです。

――井坂さん自身は組織で働いてきたのですね

井坂 そうです。出版社で長らく勤務してきました。私にとってはこの経験がある面で資産なのではないかと感じています。

というのも、何をするにも、元手というのは必要なわけです。元手なしに始められる活動などはありませんから。

私は26年間出版社の組織に身を置きながら、そこでの業務を通じて、自分なりの観察と経験を蓄積してきました。これなどは、元手としてはかなり貴重な部類に入ると思います。結構大変ではありましたけどね。

――働くというのは大変なことですね。

井坂 とても大変なことです。トラブルは日常ですし、責任に伴う圧力もあります。心身の不調だってあります。それでも、何とか運よく今日まで継続することができた。ありがたいことです。

――それを第二の人生につなげるには、どうしたらよいのでしょう。

井坂 私は思うのですが、実は「定年」「老後」などというコンセプトはもともと存在しなかったのです。産業システムの形成に伴って便宜的に捏造されたコンセプトだというのが私の考えです。事実、産業社会の以前の社会、たとえば農業社会では人は死ぬまで働くのが当たり前でした。かなり恵まれた階級の人々でも、「隠居」というのはあっても定年はなかった。

――確かにそうですね。

井坂 だとすると、私たちにとって定年や老後を無効化する生き方を選び取るのはさほど難しいことではないということになります。もともと存在しないものだったわけですから。

私はこんなふうに考えています。

一つは、働き続けることです。働き続けることで、私たちは次に必要なスキルや経験と言った知識資本を仕入れ続けることができる。どんな商売にも仕入れは必要なのですから。

これが一度でもこぐ手を止めてしまったらどうなるか。自転車と同じで、転倒してしまう。そうならないためにも、動き続けなければならない。

もう一つは、自分が手にしたいものをはっきりさせることです。言い換えれば、何を自分に要求するかを明確にする。これをプリンシプルと言います。

世の中には、二種類の人間がいます。プリンシプルを持つ人間と、プリンシプルを持たない人間です。実はどちらが生きやすいかと言えば後者です。プリシンプルを持たない人は、ただ現実に自分を適応させていけばいい。知識社会が高度化しつつある昨今と言えども、このような後者のタイプ、すなわちプリンシプルを持たない人のほうが圧倒的多数であり、前者は少数派であることを知らなければならない。後者は、定年を受け入れ、老後を受け入れます。けれども、いずれも知らない誰かが勝手に決めたものであることに思いが至らない。自分の内面との対話がないから、川に流されていくように唯々諾々と現実を受け入れてしまう。

これではいけません。大事なのはプリンシプルを持つことです。プリンシプルを持つと、自分の内的規範と外部環境との間で常に緊張関係や葛藤が生じますから、大変に骨が折れます。けれども、その緊張関係や葛藤を受け入れて、責任をもって人生についての判断を下すことが、最も人間らしい行為であるとドラッカーは「キルケゴール論」で書いています。

働き続けること、プリンシプルを持つこと。いずれも楽なことではありません。知識社会はそもそもが人に楽をさせてくれるような甘い社会ではない。このことを知っておく必要があります。

そのための作法を第Ⅲ部で詳しく述べました。

――ありがとうございます。ぜひ指摘されたところを肝銘しつつ、考えながら本を手に取ってみたいと思います。