ビル・ポラードの思い出

ドラッカーの生家の近くにあるぶどう畑。家の子供部屋からいつも見えていたという。
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ぶどう畑

大手生産管理会社サービスマスターの前CEOビル・ポラードは、ドラッカーに日本で教わったことを思い出すという。

二人は東京で開かれたシンポジウムでスピーカーをつとめていた。ポラードは、このシンポジウムに大阪に本社をもつ日本での提携先を招待していたが、来られないとの返事をもらっていた。しかも当時サービスマスターは、この会社との間でかなり深刻な問題をかかえていた。大阪の会社の担当幹部は、わざわざ東京まで行く気はないとのことだった。

事情を聞いたドラッカーは、ポラードに本当に大阪へ行く気はないのかと聞いた。「行きません。東京へ来たくないというのに、こちらから大阪へ行くこともないと思うので」

シンポジウムが終わった夜、ドラッカーがポラードに説教した。「ドラッカーは、ここまで来ているのだから行けといった。関係の修復ではなく、日本人を知るために行けといった」

ドラッカーは日本人の心を動きについて一時間も話したという。それはいつものように、歴史の話を折りまぜた説教だった。

翌朝ポラードは大阪行きの汽車に乗った。関係が修復されただけではなかった。問題も解決され、以降長いコラボレーションが確立されたのだった。