経営者の先生(アーウィック)

マインツの聖堂
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マインツの聖堂

 

経営者の先生

リンダル・アーウィック

林正訳

 

枕頭の書

ドラッカーが書いた書物は数多い。フレデリック・テイラー、ヘンリー・L・ガント、ヘンリ・フェヨールなどの著作とともに、筆者の書斎机からほど近い書棚を占めている。マネジメントの研究者として、引用したくなるものばかりである。万一、無人島に追放され、一つの箱しか持っていけないとしたら、必ず持っていくだろう。理由を問われたら、こう答える。

(一) ドラッカーの英語は、簡潔ながら、明確で、生き生きとしており、かつ読みやすい。英語が母国としなかったことを考慮すれば、驚くべきことである。私の知る限り、現在に至るまでドラッカーほど示唆と深みに富むマネジメントの書き手はいない。

(二) よい書き手ということだけではない。考え方そのものに価値がある。ドラッカーの考え方は、独創的であり、興味を引きつけてやまぬ野心的な挑戦をその内に含む。近著『断絶の時代』がその典型である。そう考えるのは、ドラッカーがニューヨーク大学で教鞭をとって以来の親しい学者仲間ばかりではない。

(三) 近著が未来志向に満ちているように、ドラッカーは、未来を見る。ただし、過去の積み重ねとしての現在にしっかりと根を置いている。われわれは、『断絶の時代』に生きているが、個における知識そのものの目的は、賢明なる良識を得ることであり、それは人を強制的に変えられないという事実を教える。人は、変化とその結果を受け入れるように促されるだけである。

(四) ドラッカーは、人生のある時期を大企業のコンサルタントとして過ごし、先見の明と優れた洞察を持ってマネジメントの書き手となった。彼は過去を無視することはなかった。多くの他のマネジメントの書き手は、いかに先人が間違っていたかを示し、一時的名声を得ようと汲々としている。しかしドラッカーは、知識を継続的なものと見た。数世紀を経て営々と構築される大聖堂と見た。新たな技法をせっせと用い、土地面積は同じながらも賃料を倍にしようとして、一〇年もたたないうちに土台まで駄目になる安普請ではない。各世代を通じて、回廊、塔、そして壁などがそこかしこで継ぎ足される大聖堂と見た。

ドラッカーの学問的キャリアは、第一次世界大戦によって中断させられた。以後、最初にビジネスの実務経験を積むことに、それからマネジメントに関する共同経営コンサルタント企業を設立するときに、ドラッカー自らが著書のうちでも最も価値あるとする、一九五四年に出版された著書『現代の経営』の執筆に専念した。常にそれを引用しつつ、新たな視点を加え、新鮮な提案を行う。ドラッカーは偉大な思想家であり、時代の学問的風潮や特殊な経済学説に囚われなかった。

 

事業の目的

『現代の経営』第五章で、ドラッカーは「事業の目的は利益」とする決まりきった言い回しを問題にした。いやしくも事業が社会的目的を持つとするなら、事業を一つの機関あるいは仕組みとして、社会に認めてもらう目的を持つとするなら、事業は特定の個に恩恵をもたらすものではありえない。ドラッカーは「企業行動を理解するうえで、利潤動機なるものの有無は関係ない。事業の目的を利益とすることは、利益や利益率に関する理解を含めて企業行動に対する理解としては不適切なものである。ジム・スミスなる人物が事業を行っているのは金儲けのためであるかどうかは、彼自身と記録係の天使だけの問題である。そのようなことは、彼が、何をいかに行うかということとは関係ない」と言う。

さらに、「目的としての利益の概念は、不適切どころではない。害を与える。それは、利益の本質に関する社会の誤解や、利益に対する根深い反感の大きな原因となっている。そのような誤解や反感こそ、産業社会にとっての病原菌である」と続ける。

彼はまた、事業の目的は何かについて簡潔に述べる。「企業が社会の一機関である以上、事業の目的は、社会に求めなければならない。事業の目的として有効な定義はただ一つである。それは、顧客を創造することである」という。

ドラッカーは、『現代の経営』結論章において、再び触れる。「私人の悪徳が公共の利益になるなどという思想(もともとはイギリスのアジテーターであるバーナード・ドゥ・マンデヴィルが述べたもの)に基づく社会は、永続することはできない。優れた社会、道徳的な社会、永続的する社会においては、公共の利益は、常に個人の美徳の上に実現されなければならないからである。あらゆるリーダー的存在が、公共の利益が自らの利益を決定すると言えなければならない。そして、そのような確信こそがリーダー的地位にあることの唯一の正当な根拠である。そして、これを実現することが、リーダー的地位にあるものの第一の責任である」とする。

さらにドラッカーは、「資本主義と資本家に対する反感は、道徳的、倫理的なものである。資本主義は、それが非効率であったり、誤って機能したために攻撃されているのではない。倫理性を欠くことについて攻撃されている。全くのところ、私人の悪徳が公共の利益となるなどという思想に基づく社会は、永続しえない」「しかし、今日、アメリカでは、公共の利益が企業の私益となるようマネジメントせよ、というマンデヴィルと反対の思想が、一般的とまでもいかないまでも可能になっている。いまや、アメリカのマネジメントのますます多くが、その日常の行動において、この新しい思想を実現していくことこそ自らの責任であると考えつつあることが、アメリカとその社会の未来、そしておそらくは西側社会のすべての未来を明るいものとしうる最大の希望の光である。マネジメントにとっては、この思想を口約束に終わらせることなく、現実のものとすることが、最も重要かつ究極の責任である」とする。

ドラッカーによる自由社会における経済目的の宣言である。

 

人間関係論と人事管理論の欠落点

事業の目的に関するドラッカーの見解は明快である。目的を実現するために満足させるべき人間的条件も同じく明快である。『現代の経営』第二一章、「人事管理は破産したか」を最も建設的な分析と思う。事業を遂行する上での人間的要因に関するものであり、現在、途上にあるものの分析である。

ドラッカーは、自らが提起した疑問に対し「人事管理は、破産していない。負債は、資産を超過していない。しかし、支払い不能に陥っている。人と仕事のマネジメントにかかわる約束手形について成果という現金で支払いを行うことが不可能である。最大の運転資金は、行ってはならないことについての知識ぐらいである。だがはたしてそのようなものを担保に金を貸してくれる銀行はありうるだろうか」と答える。

満足しえない状況にある理由についても、確信を持って分析する。ドラッカーが指摘したように「人事管理は、依然として事業につきまとう何か特別なものとみられている。」が、そうではなく本質的要因であり、経営管理者の仕事として最も重要なものである。

彼は、人事管理論と人間関係論を区別する。しかし、彼が前者について言いたかったのは、後者にも当てはまる。両者は、現実に基本的な要因にもかかわらず、困ったことに仕事に付随して起こる偶発事と扱われていることである。ドラッカーは、両者は、「働く人たちのマネジメントにおける最も重要な二つの分野、すなわち仕事の組織とその仕事を行う人の組織の問題を避けている。この二つは、ともに歩むときに機能する」と言う。

 

イギリス軍の能力

大組織について筆者が持つ最初の経験は、ドイツのヴィルヘルム二世が「取るに足らぬ軍隊」と呼んだ組織(一九一四年にイギリス帝国がフランスに派遣した第六師団)において下士官として勤めたことである。四年半後、第一次世界大戦が終結に近づき、イギリス軍が百師団近くになった時、興味深い事実に気づいた。大戦の最後の年に参戦したアメリカ軍は別として、イギリス軍だけは、長きにわたる戦争においてさえ、兵士による反乱などにより瓦解しそうにもなかった。

筆者はある結論に至った。結束を失うことなく緊張を保ち続けたイギリス軍の能力は、士官、特に下士官とその兵卒との間の特別な関係にあるということである。その関係は、軍隊に長期間仕えるイギリスの職業軍人によって一九世紀に築きあげられたものだった。第二次大戦中に発行された公式のイギリス陸軍訓練マニュアルに、「士官の第一の義務は、兵卒の面倒をみることである」と書かれている。

筆者にとってその重要性が腑に落ちたのは、『現代の経営』を読んでからである。事業において、人事管理と人間関係を事業の付属物、つまり仕事を適切に行うために欠くことのできぬものではなく、事業が存続するために行う実際の仕事とは無関係の何かと見ているとそこではされていた。

 

 

人事管理

筆者の知る限り、イギリス陸軍において、現代の優良企業に見られる人的サービス(医療、物品提供、レクリエーション、給与などに関するサービス)を提供するすべての特別な部門は、企業の人事管理部門が責任を持ち、欠くことのできぬ要因とドラッカーが表現したものである。

しかし、特別なサービスに加え、兵卒の属する部隊やその編成の直接の命令権者である士官には重い責任が課されること、そして、よい兵士であるだけではなく、小隊、大隊、旅団、師団、そして陸軍全体に誇りを持つことが伝統となっていた。若い士官は、その教えを入隊した瞬間から叩き込まれた。団結を保つための条件について、軍事専門家は「士気」という呼称を当てた。この用語は、「規律と信頼に関する倫理的条件」として定義されたものである。経験のある士官であれば、部隊の士気が高いか、平均的か、あるは危険なまでに低いか、短時日のうちにわかる。そして、どのレベルの士官にとっても指揮権に対する士気の維持が第一の義務となる。

人事管理が、ラインとしての機能としてだけではなく、戦闘や戦闘訓練に次ぐ最も重要な機能として扱われた。したがって、専門家によって扱われる場合に生じるジレンマは起こらなかった。ドラッカーが指摘したように、人事管理が、専門的な仕事として扱われることになると、「現業の経営管理者の機能や責任を奪い取るか、あるいは現業の経営管理者が自己防衛のために、人事部の仕事を雑事に閉じ込めてしまう」ことになる。

人事管理が、単なるラインの機能としてだけではなく、戦闘の効率性を高める重要な前提条件となるラインの機能として扱われた場合、ラインと人事に関する専門的業務との間で、しばしば起こる対立が稀になった。対立が起こるのは、人事に関する専門的業務が、ライン・マネジメントの権威を傷つけていたことではなく、それがその専門的機能を適切に遂行していなかったためである。

ラインの士官は、人事管理機能が戦闘の効率性にとって重要と認識していた。事業において優れた人事管理とは、仕事の効率を高めるうえで欠くべからざるものである。しかし、それが人の管理をめぐりラインのマネジメントと競合する場合には、好ましい結果を得られない。あらゆるレベルのラインの管理者が人事管理を自らの仕事の重要な部分と見なし、人事専門部分を自らの責任を果たすために支援してくれる存在と見なしてはじめて望ましいものとなる。

 

歴史の価値

同じ章で、ドラッカーは、歴史への深い尊敬を示している。テイラーとその後継者が発展させた科学的管理論を「人と仕事についての唯一の体系的な理念」として言及する。「まったくのところフェデラリスト・ペーパーズ以来、西洋思想に対する最も強大にして不朽の貢献である」とした。一九四〇年代半ば以降、F・W・テイラーに対する学問的非難のうねりがあった。テイラーが行ったこと、書いたことを露骨に無視しないまでも、悪意ある論評が少なくなかった。真面目な批判と見なされるものも、多くは論点を曲げたものだった。一九六一年にハロルド・コーンツ教授が、アメリカ経営学会長として「学者の中には、誰かが主張し、考え、行ったことを過少評価し、時には事実を曲げて伝えることに過剰に関心を持つようになった者もいるようだ」と公式に注意を呼びかけた。

過去の著作は、「古典的)」あるいは「伝統的」なものとして表現される。もちろん、これらの用語は見解の移り変わりが早いアメリカの学会では、軽蔑的な意味で使われている。暗に意味するところは、「時代遅れ」で、「一新」さるべきものとされる。ドラッカーは、歴史を軽んじなかった。『現代の経営』におけるテイラー評価にも見られる。

一九六七年にテイラー賞を受章した時、以下のコメントを出している。

「テイラーを軽く見ることが流行っているが、それはニュートンを軽んずるのと同程度に理解しがたい。なぜならニュートンの業績は、量子力学の出現を予想もできない三〇〇年前に、物理学を生み出したことにある。実際、ニュートンが古典物理学を示してくれたがゆえに、今日の量子力学が存在するように、テイラーが七五年前に、仕事と組織の研究に関する基礎を築いてくれたがゆえに、輝かしい現代的マネジメント理論のツールと概念が存在する。」

そのとおりである。マネジメント研究に対する真に建設的な貢献であった。マネジメントの研究者たちが、先達としてのドラッカーにならう傾向が見られる。フロリダ大学のウィリアム・M・フォックス教授は、一九六九年のアメリカ経営学会の年次総会に提出した「古典派とは何か」と題する論文において、「古典的というラベルは、正確でも有用でもない。私は、大学院生に古典派とは何かを定義せよという課題を与えてきたが、彼らのすべてもこれと同じ結論であった」。「古典派」とは、マネジメントに関する独特の思想が展開される前、誰もがそれに関心を示さない時代に、あえてマネジメントについて書く人のことを言う。

 

真摯さ

マネジメント研究に伴うドラッカーの最も価値ある貢献は、経営管理者に必須の資質として、繰り返し真摯さを強調したことにある。

ドラッカーは、「マネジメントは、真摯さこそが経営管理者にとって絶対に必要となる条件であることを認識し、それを実践を通じて示さなければならない」とし、「マネジメントは、人格よりも頭脳を重視する者を経営者管理者に昇進させてはならない。そのような人間は、未熟だからである。人格や真摯さに欠ける者は、いかに知識があり、才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。企業にとって最も価値ある資産たる人材を台なしにする。とくに、トップマネジメントへの昇格においては、真摯さを強調しても強調しすぎることはない」とする。

さらに『現代の経営』において、十数箇所以上にわたり、真摯さの強調が見られる。真摯さとは何を意味するのか。アメリカの標準的な辞書では、「真摯さとは、①道徳的原則や人格の健全性およびそれを固く守ること。すなわち、高潔さや誠実さ。②完全無欠の状態。③健全で損なわれていない完全な状態」とされ、『コンサイス・オクスフォード辞書』では、「真摯さとは、完全、健全、高潔、誠実」と簡潔に記されている。

なぜ真摯さがかほどに重要なのか。一九五三年のオーストラリア総督で、第二次大戦中にビルマで連合国軍を指揮した陸軍元帥ウィリアム・スリム卿は、ドラッカーと経歴を異にする人物ながら、オーストラリア経営協会シドニー支部の昼食会のスピーチで、「どの職業であろうともリーダーに欠かせない五つの資質がある。勇気、意志力、柔軟な精神、知識、そして最後の資質が、他の資質がその根拠としなければならないもの、すなわち真摯さであり、人々の信頼を得るために必要なものである」とした。

彼は、アメリカ陸軍の参謀長、チャールズ・P・サナーラルがずっと以前に「リーダーとは、部下にそうあってほしいと望むすべてを体現する者でなければならない。部下は、リーダーが考えるように考え、リーダーがどのように考えているかを正確に理解する」との発言に賛同した。

 

権威の根拠

すでに引用したドラッカーの見解「資本主義は攻撃されている。というのも、それは倫理性を欠くからである」を支持し言い換えたものである。誰も、「いいかジャック、私は、この店の他の部署や会社に起こっていることには何の関心もない」と公然と言い放てるような部下は望まない。こういう人は、「私は、アメリカや私の町や隣人にさえ起ったことを気にしない。私の暮らしさえよければいい」と考える。国家と隣人にとって危険な市民であるのみならず、下劣な従業員であることは疑いようがない。というのも、現代における技術発展の結果、従業員間で複雑かつ入り組んだ協力関係を構築することがかつてないほど重要になっている。個人の私益は拘束されないという考え方は、人が産業社会にいささかなりとも役立つ市民たることさえ妨げる。

部下の一人が批判的であっても、グループが大体において満足している限り、さほどの害はない。しかし、私益オンリーで誠実さを欠く上司は、自らの権威のもととなる道徳的、倫理的基盤を破壊する。権威というものは、唯一無二の源泉から得られる。なすべき仕事がそれを要求する。権威は、共通の目的に向けて結束するために必要である。チェスター・バーナードが指摘したように、命令(コミュニケーション)に権威があるかどうかは、命令を受けた人が決める。では権威とは何か。与えられたものである。グループの共通の目的ではなく、自身の目的のみを追求する人に決して与えられるものではない。

言い換えれば、「一つの範例が、あまたの訓示に勝る」。ドラッカーは、この事実を観察し、明らかにした。『現代の経営』は、テイラーが「科学的管理の原理」を公表して以来の最高の著書と言える。

もちろん、権威に内在する責任の定義についてのすべてがあるわけではない。核をなす理念のである。しかし、それこそが、真摯さに伴う主張と相まって、著作全般にわたって統一性と価値を与える。

 

広範な見識

ドラッカーの偉大な資質の二番目は、見識の広さにある。マネジメントを学ぶ者の多くは、対象を事業に限っているが、それは狭いアプローチである。行政、軍事、病院、そしてその他の多くの職種が、マネジメントの知識を活用している。フランクリン・ルーズベルト大統領は、一九三七年に「良いマネジメントを持たない政府は、砂上の楼閣」とした。

一〇年前、筆者は、アメリカ・メカニカル・エンジニア協会主催の「この一〇年におけるマネジメントの進歩」と題する研究を手伝うことになった。この関連で同協会は、マネジメントに関する全米の著名な教授と研究者、五〇人あまりに質問に答え、回答を求めた。質問の一つが「過去一〇年間で、マネジメントに関する最高の書物は何か」というものだった。

同協会によって選抜された回答者のうちの二人、うち一人がドラッカーだったが、フィリップ・ウッドラフの著作『インドを支配した男たち』を挙げた。かつてのイギリス・インド行政庁に関する二部作の研究書であった。アメリカ人によるその選択は、当初驚きの目で見られたようだ。なぜ二人のアメリカの教授がウッドラフの著作とその支配の記録を興味深くかつ適切なものと見たのか。アメリカでは、インドにおけるイギリスの支配は官僚的帝国主義の悪例と伝統的に考えられてきたからである。

われわれは、この出来事があまりにも身近なものであったので、あらゆる角度から観察することができなかった。しかし、それは、歴史が判断することであろうか。ウッドラフの著作を二度読み通し、ドラッカーの意見を考えてみて、筆者は、彼は正しいかもしれないという結論に達した。イギリスのインド支配は、教えられるところの多い特筆すべき統治例だった。それは、一五〇年あまりの間に、宗教対立、諸派抗争、そして無数の小領主が存在した大陸をインドとパキスタンという二つの国家にまとめ上げた。

 

インド統治に学ぶこと

もちろん、イギリス・インド陸軍の実力もあった。しかし、広大な大陸、問題の複雑さ、相互の対立から守られなければならない好戦的、非好戦的な人々、そして、傲慢で嫉妬深く、しかも相互に敵対する各地方の土着領主などを考慮すれば、規模は小さいものだった。二五万を超えることは稀であった。反乱が一度あった。しかし、忠実な現地人の軍によってほぼ制圧された。

独立の約一〇年後、筆者は、インド王立エンジニア・ワークショップの大佐と会食する機会を持った。その際、彼はかつてイギリス・インド大隊の指揮官であったイギリスの工兵隊中佐の話をした。中佐は、二年ほど前に昔の彼の連隊を訪ねたことがあったという。夕食も終わりに近づいた頃、当時インド人の中佐であったホストに向かって言った。「いいかね。私が目を閉じると思い浮かぶのは八年前のことだ。何も変わっていなかった」と述べ、これに対し「お褒めの言葉に感謝します。それこそが維持し続けたいと願っているものです」とインド人の中佐は応えたということだった。

実際には警察力とさしたる相違のない軍の背後にいたのは、少数だが選りすぐられた献身的な行政官のグループであった。かつてイギリス・インド行政府と呼ばれたものである。この組織は、厳しい採用試験を通ったものであれば、インド国籍の者にも、イギリス生まれの者にも開かれていた。そして、このオープンな精神を特徴として行政サービスが展開されていた。フィリップ・ウッドラフが書いたのは、まさにこうした人々だった。

彼らは、どのように訓練されたのか。確かなのは、現代的マネジメントの新しいツールや概念が用いられたわけではなかったということだ。多くは、フレデリック・テイラーなど名も知らなかった。しかし、高度教育を受けた人たちであった。イギリス・インド行政府の採用試験は、厳しいハードルだった。採用された者の幾人かはオクスフォード大学ベリオール校で教育を受けた。そこでは、ベンジャミン・ジョウェットが一八九三年に亡くなったからも長い間、彼の幅広い見識と献身的姿勢が反映されていた。

彼らは、ベリオール校で何を学んだか。多くは、ラテン語、ギリシャ語などによる古典文献を主に勉強する学部コース「Litterae Humaniore」を履修した。一般には、「Greats」として知られるものである。彼らは、最初にギリシャ語、ラテン語の能力を高めるために「Honour Moderation」コースで勉強した。次いで「Greats」では、ギリシャ、ローマの哲学者、宗教家、芸術家、政治家を学んだ。「Greats」は、公平性および特定の状況における問題を環境全体の一部として理解する能力を教えた。そして、言語およびインド人のものの見方について特別な訓練を受けた後、インドに派遣され、若年にもかかわらず、広範な行政責任を引き受けることとなった。

 

教育の価値

彼らは素晴らしい教育を受けた。ジョウェットの伝記作家は、「彼が死の間際にいる際に、ベリオール校の教授の幾人かは、生徒に授業の準備をさせることに集中するよりも自らの研究に没頭できる自由な時間を望んだ。自分のための知識の追及に多くの時間を割き、価値はあるものの遠い先の目的のために時間を割くことを疎んだ」と記した。

ジョウェットは、教育とは研究ではなく、その最終的な役割は親密な指導にあるとの確信を隠さなかった。研究とは、好き勝手にやれるものではないし、より緊急な仕事、それがつまらないものであるにしても、苦もなく逃れさせてくれるものでもないと考えていた。たとえ、例外的な先生にとってそうであるとしても、隔離された塔の一室が彼らにとって必須であるにしても、そこで研究するためにある種の犠牲を払い、その後で、一生をかけて行う研究へと戻っていくべきであろう。

自らの選択を容易にするのに公共的資金を使うのは間違いである。教えることが彼らの役割とするなら、生徒を第一に考え、残った時間で研究をすべきである。「ある種の犠牲」というフレーズは、ジョウェットが生涯結婚しなかった事実に触れている。

 

信頼に足る人

ドラッカーは、現代的な知識よりも「知識に関する偉大な伝統」を重んじるように思える。『断絶の時代』の結論「知識に未来はあるか」において、知識社会においては、知識の源をコントロールする人々が特別な責任を負うことを強調した。大学である。ドラッカーは、「巨額の資金が飛び交うところでは、人は、それを動かす策士から身を守らなければならない。知識社会がこれを自ら行え得ないとしたら、セーフガードが必要になるであろう。同様に、誰も利益を得ていないというだけで、不道徳は許されるべきではない」と言う。

世界中の学生が反抗している。なぜか。一年前に配られたパンフレットによると、コロンビア大学ビジネススクールの学長であるコートニー・C・ブラウン教授は、コロンビア大学自体が問題を抱えていたこともあり、以下のように答える。

「学生は、教授が授業を行うという責任感を欠くことを感じる。授業より他の責務を優先させる傾向がある。彼らは、授業では討論が望ましいのに、授業を受ける学生の数や『学問のプロとしての教授』がなすべきこととして表現される事柄に伴う職務の増加によって授業に支障が生じていると不満を述べる。こうしたことは程度の差こそあれ、多くの大学で明白になっている。大学と学生に対する責任は、多くの場合、教授の個人的関心に比べて軽んじられており、必然的に授業は、他の指導者、ティーチング・アシスタントなどにますます頼るようになっている。こうしたことは、教育にますますお金がかかるようになっているときに起こっており、その割にはきちんと教えてもらえていないと学生は感じている」

 

経営者の先生と呼ぶ理由

ブラウン教授の同僚であるニール・W・チェンバレン教授は、この見解を教育過程に関する誤解として厳しく批判した。学生に厳しく批判される組織の一つに西欧スタイルの企業がある。しかし、学生も他のグループも、自分の身に起こることを恐れて未来に対するリスクを冒さず、現在を実りのなきものとしている。彼らの抗議は、いつも現状への不満に原因がある。彼らは、コロンビア大学の事務所を占拠した。ニューヨークにある企業の事務所ではない。もし、コロンビア大学の教育が、学生に現状に対する不満をもたらし、あからさまな反抗をもたらしているなら、コロンビア大学の教授たちが社会に対する不満を口にすることは不毛となる。古の賢人は、「自分の目からまず丸太をとりのぞきなさい。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑をとりのぞくことができる」(マタイ伝福音書第七章五)と言う。

ドラッカー自身は教授であるけれども、この間違いを犯していない。彼は、「権力を持つグループは、道義に対する責任をとるべきである。さもないと堕落する」と断言する。彼は、以下のような正鵠を得た疑問を呈する。「Ph.D. という資格要件は、当然視されるべきか(恐らく自然科学を除き)。Ph.D.は、この資格のある人が、優れた先生となり、優れた学者になるという証拠はあるか。あるいは、この資格要件は、学究的世界への料金所においてしかるべき義務を払ったものが、職位や参加の機会を得られるということが主な理由なのか。」

筆者の経験によれば、ビジネススクールのPh.D.は、将来世代の教育という面で障害になっている。マネジメントに関する経験を積んだ実務家は、その学位がなければ教える機会を持つことができない。Ph.D.は、職能組合に加入するための入場券に過ぎず、教師としての有能さを保証するものではない。マネジメントを教える大学が学位の重要性を主張することは、歪んだプロ意識の例である。

ドラッカーは、この問題を理解し、明言する。重い実務的責任を負ってきた人々の経験と気脈を通じている。ドラッカーの結論を引用すると「仕事と成果をあげることの基盤としての知識への転換は、知識を有する人に責任が伴うことを意味する。この責任をいかに引き受け、いかに果たすかが、主に知識の未来を決定する。そして、知識そのものに未来があるかどうかを決定する」となる。これこそが、ドラッカーを「経営者の先生」と呼ぶ筆者なりの理由である。