富士を描くには理想をもって描かなければならぬ(横山大観)

富士
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上田惇生・井坂康志『ドラッカー入門新版』(はしがき)より

 

ドラッカーは何を見たのか。どこから来て、どこに向かおうとしていたのか。

生きて影響力を行使する論者は多い。没後、力を継承される者も少なくない。しかし生きながらにして歴史を書き、没してなお新たな世界に視野を開き続ける者はほとんどいない。ドラッカーがその人であった。

ドラッカーは20世紀最大の哲人と呼ばれた。現在は21世紀以降の知のシンボルにして、世界の共通言語となっている。

没後10年にして、ようやくドラッカーを評価する緒に就いたといえよう。世の関心もさることながら、今日では「マネジメントの父」を超え、世界観の書き手としての評価が確立されつつある。目の先には、未だ名づけられることのない宏大無辺の大地が横たわっている。

富士山を好んで画題とした横山大観は、「富士を描くには理想をもって描かなければならぬ」と述べた。観察者が見るのは、崇高にして神聖な精神である。見えるものの背後に広がる見えざる世界である。

自然科学においてさえ、観察者の目は対象に理念を投影する。ロシアの化学者メンデレーエフは、元素の周期律を見出した。見えざる世界の繊細の精神による発見だった。

ドラッカーは95年の生涯で、歴史の転換を見た。日本はその一つだった。しかも全身全霊をもって観察した一つだった。自壊する旧文明の中心に生まれ、新世界アメリカで思索実践した彼が、なぜほぼ一生を通じて極東の小国に愛着を持ち続けたのか。
日本にドラッカーの学徒は多い。しかし、それ以前にドラッカーが熱烈な日本の学徒だった。

繊細の精神を最もよく生きるのが日本だった。明治維新後の日本は、自らを西洋化することなく、西洋を日本化したとドラッカーは言った。日本は知覚の世界を合理化するのではなかった。合理の世界を知覚化してきた。

知覚は形態で見られる。物見の役を自認するドラッカーにとって、知覚の国・日本は師だった。『源氏物語』、白隠、明治維新、渋沢栄一が師だった。

20世紀は浪費された世紀だった。イデオロギーで世を分断し、支配し、殲滅する文明に、私たちは20世紀で十分過ぎるほどに懲りている。

文明の崩壊を決定づけたあの世界大戦から一世紀が過ぎようとしている。私たちが20世紀から学びうることは、21世紀を20世紀と似た世紀にさえしてはならないということである。まともな世紀にしなければならないという一点である。

ドラッカーを読んだ者は自分のために書いてくれたと思う。だからドラッカーはそれぞれのドラッカーである。誰にも親身になって耳を傾け、話しかけてくれる。

しかしもうそれだけではすまない。ドラッカーは世のため人のために使ってほしい。21世紀以降の世界を最高のものとするために使ってほしい。それが本当のドラッカーの望みであろう。

そのときはじめて日本は、ドラッカーが望んだように、世界のモデルとなり雛形となりうるのだと思う。何一つ切り捨てることなく、ささやかな片隅に目を向ける繊細の精神が生きる日本を、ドラッカーは世界の「すでに起こった未来」と見た。

そのドラッカーの期待に応えなければならない。

責任は現代を生きるわれわれにある。