【書評】『小商いのすすめ』

無題
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【「生き方」に古いも新しいもない】

無題

 

平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社

 

この種の本が一瞬にせよアマゾンのビジネス部門で一位になったと聞いて正直驚いた。というのも、この本は決してきらびやかな成功哲学を説くものでもなければ、安直なポジティブ思考を推奨するものでもないからだ。

むしろ反対である。今、本格的な経済的衰退過程に入った日本の足下を再び見直し、もう一度しっかりと大地を踏みしめて歩こうと説くものである。

「小商い」というタイトルから、小規模のビジネスで堅実に稼ぐ方法を教えるものかと思いきや、そうではない。小商いとは一つの寓喩的表現であって、あえていえば、これからの日本が依拠すべき哲学である。人は小商いとともに生きてきたし、これからも生きていくのだと本書は言う。

かつて日本には石橋湛山という総理大臣がいた。石橋は戦前は雑誌社でジャーナリストをしていたのだが、朝鮮や満州に破竹の快進撃を果たしていた当時の日本に、小日本主義の立場から帝国主義の自制を説いた。

結局身の丈(本書でいうところのヒューマン・スケール)に合致しないものは遠からず破綻を余儀なくされるというのがその理由だった。石橋は緻密な合理主義者だったから、満州で生産される物財の総額を計算し、そこから得られる価値と、それによって失われる国際的信用やコストを差し引いた結果、「この取引は合わない」結論したのだった。

私が本書を一つの哲学だと述べるのは、石橋に見るような透徹した合理主義が、錯綜する時代の波にかき消されることなく終始横溢するためである。

正論が正論として流通することはめったにないのが現実ながら、まずもってそれが正論として流通するためには現実を認めるところからスタートしなければならない。現実とはしかるべき成り立ちと来歴をはらむものであるから、その成立の経路をふまえたものでなければならない。

本書をビジネス書として手に取る人はある面で幸せである。そこには求める以上のものがあるからだ。

「小商い」とは設けるための方法ではなく、生き延びるための方法であって、つまるところこの世界に生きるための方法である。そして生きとし生けるものが自然にわが身に培いながらも、気づかずに過ごしてしまったものに、もう一度繊細な視線を向けてみようと意識を促す種類の概念である。

頁をめくって、懐かしい場面がそこかしこにあった。懐かしさとは最もあてになる感情の一つである。それは昭和四〇年代の日本であり、ささやかながら確実に存在していたものだった。ごく当たり前だった日常が消失し、異なる原理が次第に現実を覆うようになると、自らが何を知り、何を知らないのかさえわからなくなる。

強みの一端はそこにある。この本は今・ここにある現実の形成過程を自らの個人的来歴とともに描き出しており、その点が不思議な説得力を持たせるのに成功している。

今一度立ち止まって現在という時代を考えるのに、有益な示唆を与えてくれる本といってよいと思う。