『企業とは何か』とは何か

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「しかし、月と名づけられたきみをあいかわらず月とよんでいるのは、もしかしたらぼくが怠慢なのかもしれない」カフカ/前田俊作訳『カフカ全集2』新潮社

 

『企業とは何か』とは何か①――マネジメントの古典を読む

『企業とは何か』が出版されたのは今から70年余りも前だが、今なおはっとさせられる熱さを秘めている。

知性の健全さと鋭さは、「わかりきったと思われているもの」に対して向けられるとき、その本領を表す。ここで、ドラッカーの原点的著作を参考に、企業は何かという一見わかりきった問いを改めて考え直してみたい。

ドラッカーは第二次世界大戦後、傷つき荒廃した後の次にくる世界に思いをはせた。新たな世界では金中心の人間観ではなく、みんなが組織で働くのが当たり前の社会になるとドラッカーは言った。

金中心の社会は、簡単に言えば、1+1=2という社会である。全体は部分の足し合わせとするのが経済的合理主義の基本にある考え方だった。

一方で組織社会はそうではない。全体は部分を足し合わせた以上のものを実現できるというのが組織の根底にある考え方である。

ドラッカーが考えた組織の代表は経済組織ではなく、芸術組織だった。たとえばオーケストラである。オーケストラの楽団員はそれぞれ異なる楽器を手にするが、パートは異なれど手にする譜面は同じである。指揮者がそれぞれの異質性や多様性をむしろ積極的な一次元上の価値に転換する。

産業社会とはまさにオーケストラに似た社会であるというのがドラッカーの主張だった。そして、産業社会の主役、中心的な機関が大企業であるというのが戦後のドラッカーが示した最大のすぐれた視点であった。その点は今一度認識する価値を秘めていると思う。

ドラッカーの本書に対する問題意識の鋭さは、本書が書かれた時期にそのまま即応している。1946年の1月、第二次世界大戦の直後である。序でドラッカーは次のようなたとえ話をする。

「あるときある若者が、中国についての決定版ともいうべき本を書くことを決心した。書かれたものはすべて読んだ。言葉もものにした。中国の権威として名を高め、破格の条件による出版の申入れを受けた。

こうしてある晴れた朝、若者は上海に上陸した。会うべき人を訪れ、夕食をともにした。ホテルに戻ったが、頭の中は本のことでいっぱいだった。明け方近く考えたことを書きはじめた。午後には自信満々の梗概が出来上がった。あとは書きはじめるだけだった。さほど重要でない数字をいくつかチェックすればよかった。

若者は、『一日遅れてもどうということはない。あとで中断されることのないよう、明日数字をチェックしてから書きはじめよう』とつぶやいた。

それから45年が経った。今ではかなりの年になった。今日もいくつか、細かいことや数字をチェックしている」。

少なくとも三つのドラッカーの野心を読み取ることができる。一つは、対象の巨大さ、わかりにくさは、分析を後ろ倒しにする理由として許されないということである。企業とはあまりに巨大だった。しかしそのメカニズムは知られていない。にもかかわらず、現存し、かつ機能している。あたかも中国のように、ただそこにある巨大なブラックボックスだった。

二つ目は、知的労作に取り組む義務は、それを最初に意識した自分にあるという自負である。最初に知った者はそれを分析し、世に問う責任があるということである。そして残念ながら、些事への没頭は全体の怠慢を許してはくれない。時間は容赦なく過ぎ去っていく。

三つ目は、決定版を書こうと決心すること、その最初の動機が、執筆そのものの最大の障害になりうるということである。もちろん書物を書くもので理想を抱かない者はない。誰もが最高の書物を世に問いたいと願う。だが、決定版などというものはない。人にできるのはここにあるささやかな一歩だけである。

『企業とは何か』はドラッカーの理念をあますところなく凝縮した書物ではあるが、もちろん決定版といえるものではない。そこには多くのあらが目立つし、後になって明らかに掘り下げの足りないところも多く見られる。理念的仮説に引っ張られていると思われるところもある。それでも本書が今なお手にされ、読み継がれるのは、その生き生きとしたはっと胸を突くような問題意識と直感のみずみずしさのためであろう。

ピカソによる若き日の荒削りなデッサンのように、『企業とは何か』は読む者の心に現代社会のもっとも基本的な原像、あるいはイメージを触発せずにはおかない。

ドラッカーが生まれたのは第一次世界大戦で世界が致命的に損なわれる前夜だった。一時代前のレジームは失われ、虚無の支配する時代だった。

ぜひともこの世界を構築していくうえでの推進力を手にしなければならない。難破した巨大客船にモーターを据え付けなくてはならない。ドラッカーが考えたのはそのことだった。

一時は社会主義とかキリスト教がこの推進力になってくれるのではという淡い期待があった。しかし、現実にはこの二つの勢力ともにまったく現実社会には役に立たなかった。

そしてドラッカーがこの世界に実現した未来、あるいは理念として見出したものが二つある。

一つはアメリカ社会である。もう一つは企業だった。

まずドラッカーはアメリカに着目した。アメリカのアメリカたるゆえんは、アメリカが、意志をもって造られた国であることである。アメリカはピューリタン的自由の理念を具現化するために設立された人為国家である。自由を具現化しえないいかなる組織もアメリカ人は耐えることができない。今でも変わらない。

対してドイツも、フランスも、イタリアも、造ろうと思って造られた国ではない。ビスマルクなどによって再組織化された側面はあっても、もともと存在する共同体が積み上げられて国家ができている。日本も同じである。

ドラッカーの目はアメリカ社会の特徴に向かう。第二次世界大戦にあっても、アメリカは戦時に必要なものを政治的命令や統制によることなく生産し供給した。生産主体は政府ではない。企業である。企業が自らの意志で必要なニーズを把握して、自らの力で生産体制を組織し戦時体制を整えていった。

ドラッカーはそのような体制を自由企業体制と呼び、その奇跡的な価値に目をとめた。自由企業体制こそが、アメリカの理念が具現化した制度だったためだ。

アメリカは、世界の中のもっとも先端的な意識を具現化した国だった。さらにアメリカの中で、自由企業体制がもっとも自由の理念を生き生きと凝縮し、その主たるプレーヤーは企業だった。いわば、「アメリカ→自由企業体制→企業」の構図である。

ならば、暗黒に火をともし、虚無の世界に希望を与え、絶望の山から希望の岩を切り出す存在、それが企業なのであって、小なりといえども全世界に通じる苗木とドラッカーは見たのだった。

自由な企業が社会の秩序を生み出し、はては世界平和に貢献するとまでドラッカーは言い切ったのはそのためだった。

 
『企業とは何か』とは何か②――一草をもって万理を究める

『企業とは何か』を読むときに、まず念頭に置くべきは、第二次世界大戦の直後であった点である。

20世紀に入ってから、潜在的には常に戦争状態だったことである。

ドラッカーが本書の第1章で平和について記しているのはそのためである。一般に平和をもたらすものは何だろうか。核兵器の廃絶、宗教対立の緩和、外交的手段の尊重、いろいろある。だが、ドラッカーは誰もが思ってもみないソリューションを持ち出す。

平和の答え、それは自由な企業だと言う。

第二次世界大戦はイデオロギーの戦争だった。イデオロギーで戦われた最初の戦争だった。言い換えれば、理念と体制が引き起こした戦争だった。

ということはつまり、イデオロギーを追求し続けることは、大戦を引き起こした原因を受け入れ続けることを意味する。戦争の原因となったものから、戦後の平和を紡ぎ出せないくらいのことは少し考えれば誰でもわかる。

ドラッカーはそのころ、アメリカ社会の観察を経て、アメリカにあってほかの国にないもの、しかも、大戦を勝利に導いたばかりでなく、戦後体制を確立するだけの潜在力を持つ政治的要因に着目した。

自由な企業がまさしくそれだった。多少とも常識ある人なら聞くかもしれない。

「企業って、そもそも生産のための組織ですよね。それって経済的な要因なのではないですか?」

確かに企業を一義的に経済的組織とするのは、一つの質問にはなっている。しかし、そもそもなぜアメリカがあの大戦に勝利し、覇者になりえたかという疑問には何らの手がかりも与えてはくれない。

私たちは今なおあまりにも企業を経済組織として見ることに慣れすぎている。だが、企業は本当に経済のための組織なのだろうか?

この問いが、『企業とは何か』の序章であり、終章をなすのである。

ドラッカーは言う。

「我々は、アメリカが共存の道をとるにはアメリカの一国資本主義が安定し、繁栄しなければならないことを認識する必要がある。したがって、アメリカが自らの経済とその一体性の基礎、及び世界への範として自由企業体制を機能させることは、世界平和に対する最大の貢献となる」。

重い一文である。

そこからドラッカーの考えは、なぜ自由企業体制でなくてはならないのかという方向に進む。

やはりヒントを与えてくれるのは戦争だった。

戦争は産業社会にとっては危機であるとともに機会でもあった。戦時中は大規模な公共投資が継続的に実行され、産業社会が成長する慈雨となった。

だが、問題は戦争が終わった後である。財政出動は期待できない。自らの力で立ち、育っていかなければならない。ドラッカーにとって企業は社会が自らの力で自律的に継続していくうえでの中心的な機関だった。彼の言葉をそのまま借用すれば、「企業は社会の代表的組織である」。

ドラッカーの関心は、社会をどう「繁栄」させるかにはない。社会をどう「存続」させるかにある。彼の基本戦略は豊かな社会の実現にはない。豊かさを通じた社会の生存可能性の増大にある。

人間が生存していくのに、心身の健康がなくてはならない。心身が健康であるためには、栄養や衛生などの条件が満たされなければならない。さらには中心的な心身の器官が健康でなくてはならない。

企業は社会全体の心臓や頭脳に相当する器官であるとするのが、ドラッカーの言う代表的機関の意味であろう。

何より生き物であるから、生存条件は繊細であるに違いない。わずかなケアのあり方が草木を枯らしてしまうのに似ている。まさしく、「一草をもって万理を究める」(二宮尊徳)がドラッカーの知的姿勢の特徴である。

ドラッカーが『企業とは何か』で展開する企業と社会の生存条件の模索は、後のマネジメント著作にほぼそのまま引き継がれている。彼は企業を数量的に分析可能なものとはしない。定性的でありかつ価値や信条を具現化するものとする。

なぜ企業が社会の代表的組織なのかという問いに対して、彼はロジカルな定義をあげていない。数量的な定義も条件付けも行っていない。

「社会の構造を規定するものは、多数者ではなくリーダー的な地位にある者である」と彼は言う。いわば社会全体が価値とするところを、凝縮的に具現化する少数者が社会の代表者であるとする。

「社会の本質とは静的な量ではなく、質的な要因である。事実の集積ではなく、事実に意味を与える表象である。平均ではなく代表的存在である。今日のアメリカではそれが企業である」。

つまるところ、企業とは社会全体の価値のシンボルであるところに意味がある。アメリカは世界全体のシンボルであって、自由企業体制はアメリカのシンボルである。そして企業は自由企業体制のシンボルであって、最後は働く個人が企業のシンボルである。すべてが同じ本質を保持する細胞である。マクロであり、ミクロである。

二宮尊徳は一葉の草の中に宇宙万般の原理が現れていると言った。尊徳にとって農地は世界のみならず人心が凝縮的に表現された場所だった。しっかりと目を開いて見るならば、どのような社会にも、世界の凝縮的表現と言えるシンボルがあるのに気付く。

ドラッカーの場合、戦争を補助的なキーワードに世界のシンボルを探ったわけだが、論理的に見ると、戦争が企業の意味を押し出したわけではなく、戦争という額縁にはめたときに企業の持つ役割がすっきりと見えるようになったというのが正しい。

確かに戦争によって軍需をはじめとする経済的推進力が劇的に高まったのは確かである。だが、戦争はあくまでも企業という知られることのなかったエンジンをいっそうくっきりと世に出したにすぎないのであって、エンジンは20世紀に入ってから一貫して働いていた。

企業を社会の代表的組織というのは、企業という「窓」を通して見るときに、社会の構造がはっきりとわかるということでもある。さらに言い換えれば、企業が社会に構造を与える。

尊徳の言葉遣いに戻るならば、企業は一つの草であって、そこに万物を凝縮的に表現する細胞が実現している。ならば、するべきことは一つしかない。

企業という一葉の草が、どのような条件で活性化し、どのような条件で自らの生命を伸張させるかを知ることだ。

このような考えは、抽象的な哲学や形而上学の仕事ではない。実践的でありながら、洞察を要する仕事である。後にドラッカーが述べるのが基本的な知的姿勢をよく表している。

「マネジメントとは、現代社会の信念の具現である。それは、資源を組織化することによって、人類の生活を向上させることができるとの信念である。経済が福祉と正義の実現の強力な原動力になるとの信念の具現である。(略)想像力だけの哲学や形而上の体系を築く者ではなく、一葉の草しか育たなかったところに二葉の草を育てる者が、人類の福祉に貢献する者であるとの思想の具現である」――『現代の経営』

 

『企業とは何か』とは何か③――三つの側面

ドラッカーは、どれほど企業がアメリカ社会の中で意味をもつかを、声高に、そして切々と語っている。そして、そこにはドラッカー自身を絞り上げてきたヨーロッパ社会の「ポジ」があった。

その後、多くの優れた経営学者がマネジメントを豊かなものとしてきた。マイケル・ポーターらは体系化と深化をせざるをえない状況にいた。

だが、ドラッカーとの本質的な相違が一つだけある。

社会システムそのものがマネジメントを含んでいない世界の中で、ドラッカーはその存在を主張し、その理論を深化させていかなくてはならなかった。

『企業とは何か』は――というかこの本だけは――闘争的で論争的な気持ちをもたなければ、おそらく息づかいの3割から4割くらいは消えてしまうだろう。

ドラッカーは目にしたものをそのまま文章化している。彼の感情が手のひらからこぼれ落ちるようにひしひしと伝わってくる。とにかく読みごたえのある本だ。

『企業とは何か』が最初に日本に紹介されたのは、1962年のことだった。当時のタイトルは、『会社という概念』、原題は「コンセプト・オブ・ザ・コーポレーション」だから、後者のほうが原義に近いのかもしれない。

新旧タイトルとなる「企業」と「会社」、たかが訳文の問題と軽く見ることはできない。問題にしたいのは、「企業」、「会社」のニュアンスの違いである。

一般に「会社」というとき、規模はまちまちである。町工場からグローバル企業まで、「会社」という。一方で企業というとどうだろうか。一定規模以上の組織体が想定されているようにも思える。

さらに言えば、会社というと、人間的な色彩が強く、企業というと機能的な色彩が強いようにも感じられる。

たとえば、サラリーマンがネクタイを結びながら、「ぼく、今から会社に行くんだ」とは言うけれど、「ぼく、今から企業に行くんだ」とは言わない。「うちの会社、超堅いからな」とは言うけれど、「うちの企業、超堅いからな」とは言わない。

会社とは、漢字としてみると、社というだけあって、絆を強調しているだけでなく、政(まつりごと)をも想起させ、ときには宗教的でさえある(ちなみに、「経営」という日本語もルーツは仏教にあるという)。

同じ組織体であっても、会社というとき、人間が第一に考えられており、皮膚の温かみのようなものを感じる。企業というとどちらかというと、経済的な生産性を第一にとらえている印象がある。

ともに印象論にすぎない。どちらが正しいというのでもない。

では、ドラッカーはどう見たのだろうか。ドラッカーは会社を一つのものとは見なかった。

期待した役割に三つの側面がある。

一つは経済的な側面である。これは当然というべきかもしれない。特に高度な産業を前提とする社会においては、企業活動がなければ私たちの生活が成り立たない。高度の産業社会は高度の分業を内に含んでいるからだ。

企業は製品やサービスの供給を経由して、経済的貢献が期待される。結果、経済的成果に寄与することを通じて企業は利潤を上げる。

第二は社会的側面である。企業はどうあっても社会の中で存在を許されている。この視点はドラッカーの考えの中でも重要である。

特に経済を重視する風潮が高まれば高まるほどに、企業の社会的役割を論ずる意味はいっそう大きなものとなってくる。

実はこの社会的側面を最初に立論し世の中に示したのが、ドラッカーの『企業とは何か』だった。企業は自らの活動を行うならば、どうしても社会とのかかわりをもたなければならない。

人材も社会から調達しなければならないし、立地する近隣には住宅地だってあるだろう。買っていただくのがふつうのお客ならなおさらである。

ならば、ほうっておいても企業には社会的側面があるし、できれば企業活動それ自体が社会貢献になるのがよいと考えたのだった。

第三が政治的側面である。これは少しわかりにくいかもしれない。ドラッカーは若いころ政治を関心の中心に置いていたこともあり、企業の政治的側面についてもしかるべき紙幅を割いている。企業の政治的側面とは、時々問題になる政治献金のことなどではない。やはり人に関するものである。

政治とは秩序と権力に関する概念である。企業に勤めるものにとっては、企業という組織に所属し、活動していること自体が、一つの市民証の役割を果たすからである。

たとえば、「○○商事に勤めている」とか、「税理士をしている」というのは、単にそこで働いて給料をもらっているということを意味するわけではない。

その人は、その会社に所属し、その仕事に従事することによって、一人の市民としての自覚をもつことになる。

トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』という本の中で、「地方自治は民主主義の学校」と述べたが、現代において企業こそが民主主義と自由主義の学校の役割を果たしている。

ちなみにドラッカーは「位置づけ」と「役割」と述べるのだが、人には社会的に、「どうあるか」と「何をするか」の二つがないと安定しない。

一般に企業はお金を稼ぐところと考えられているが、結論から言えば間違いとは言えないまでも、まったく足りない。

そのことは企業の成り立ちからも明らかである。というのは、企業は経済的要因から生まれたわけではないからである。

利潤は企業活動の親ではない。

むしろ、社会が高度化し、複雑化した結果として企業が生まれたというほうが正しい。つまり社会構造が必要とする組織を生み、それが企業だったのだ。

大胆な想定である。現代の政治も社会も国際関係も民族問題もある意味では、企業を中心に構造化されている……。確かにそう言われればはっとさせられる。

考えてみてほしい。昨今の企業活動の巨大化と広域化は、社会構造の忠実な反映ではないだろうか。別に企業がグローバル化したから、世界が一つになっているわけではない。むしろ社会や人がグローバル化しつつあるから、結果として企業がグローバル化のプレーヤーとして許されているにすぎない。

にもかかわらず、現在にいたって、企業は最も巨大かつ影響力ある組織であり続けている。

というよりもその力はときに国家をもしのぐ次元にまでなっている。今グーグルやフェイスブックなどの関係者を合わせれば、ちょっとした大国をいくつか束ねてもかなわないだろう。

特に、ドラッカーが企業を目にしたときの驚きに私たちはもっと想像をめぐらせるべきかもしれない。そのちょっと前には、ナチスがヨーロッパを蹂躙し、信じられないくらいの死体の山ができたのだ。だから、ドラッカーが企業に期待したものが、「二度と全体主義を呼び起こさない」ものだったのは驚くにあたらない。

だが、今はどうだろうか。格差の固定化や若者を使い捨てるブラック企業などなど、70年前のドラッカーの危惧をもう一度考え直すべきときにきているのではないだろうか。ドラッカーが70年前に企業と呼んだものと、今私たちが企業と呼ぶものは同じものなのだろうか。

今一度当たり前に思われる対象にこそ繊細な知性を傾けてみる必要があるのではないだろうか。

井坂康志