[対話]上田・井坂--マネジメントのポストモダン的性格

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ポストモダンの作法としてのマネジメント

 

2012年5月

 

ポストモダンとマネジメント

井坂 現在ドラッカーは学問やマネジメントの領域のみでなく、ジャーナリズ ムや文芸の世界でも広く注目を集める存在である。しばしば「20世紀に身を置きながら21世紀を支配する思想家」とも評されるように、その思想的展開が 21世紀における未完の可能性を示しており、それに刺激される人々が後を絶 たない。

そのように彼が未来に対して示した選択肢は、今なお未完の知的体系として、ある意味で予言的な将来の先取りとして捉えられ、先見性として高く 評価される傾向がある。

現在にあってグローバル化やIT化についての彼の晩年の発言がすでに一つの現実と化していることからも、今こそドラッカーに学ぶべきとの議論を目にすることが多くなっている。

だが、むろんドラッカーから学ぶとはその思想的来歴を重視するアプローチをとる場合、決して簡単なことではない。現代社会は彼の生きた時代と比較してスピードにおいても制度においても条件が異なるし、彼の発言を単にそのまま現状に当てはめたからと言って、必ずしも有効性は保証されない面がある。

彼の原点的世界観をどのように捉えているか。

上田 『はじめてのドラッカーブックガイド』という本をまとめるべく、現代経営研究会訳『変貌する産業社会』(Landmarks of Tomorrow,1957)を読んでいたところ、こういう文章を見つけた。

 

経営者訓練機関は増加しているが、訓練方法はいまだに初歩的なものである。われわれはいまなお経営学、つまり体系的な仕事や研究を通じて教え、学び、増やしてゆくことのできる知識体系が必要なのである。これこそ新しい、デカルト派以後の世界観に基礎をおく学問である。そしてその主題となるのは過程である。この過程がまず目的とすることは達成(アコン プリッシュメント)である。量的な把握もある程度可能であろうが、この学 問の基礎的な現象はすべて質的なものである。すなわち、変化、革新、危険、判断、成長、衰微、献身(デディケーション)、理念、報賞、動機、これらはすべて質的なものである。しかもわれわれがこの知識によって最終的に到達しようとしているものは、個人および社会の行動に影響を与える価値 の決定(ヴァリュー・デシジョン)である(現代経営研究会訳、111-112頁)。

 

あるいは次のようなものもある。

 

こうした国々では近代以後、デカルト以後の新しい世界観が必要である。非西洋的な伝統のうちの最良のものと、西洋の信仰、制度、知識、道具とを統合するにはどうしてもこの新しい世界観がなければならない。いかなる文明でも誰かが投げ捨てた着物を、そのまますっぽり着るようなことはできないのである(同、287頁)。

 

原文は―。

Yet while institutions for management training multiply, the discipline they are set up to teach remains              rudimentary. We still need a discipline of managing, that is, a systematic body of knowledge that can be taught, learned, increased         and improved by systematic work and study. This is a discipline of the new, post Cartesian world-view. Its subject matter is a process. It starts out with a purpose of accomplishment. No matter how much we can quantify, the basic phenomena are qualitative ones: change and innovation, risk and judgment, growth and             decay, dedication, vision, rewards  and motivation. And         the end              product  of the knowledge we are trying to gain is value decisions affecting individual and              society(pp.90-91).

Above all these countries need the              new, post-modern, post-Cartesian world-view. This alone can enable   them to  integrate the best of their own non-Western tradition with the beliefs, the institutions, the knowledge, the tools of the West. And no living civilization can clothe itself entirely in somebody else’s   cast-off garments(p.247).

 

他の文明が脱ぎ捨てた衣装―「知られざるもの」による文明

上田 この二つの文章を私が訳すとこうなる。

マネジメントのための教育機関は増えたものの、そこで教えるべきマネ ジメントの体系のほうは未熟なままの段階にある。

われわれは、教え、学び、充実し、改善していくことのできるマネジメ ントの体系を必要としている。それは、モダン(近代合理主義)を超えたものとしてのポストモダン(脱近代合理主義)の世界観による体系である。不可逆のプロセスとしての体系、目的律を内在する体系である。

そこで扱うものは、変化、イノベーション、リスク、判断、成長、陳腐化、献身、ビジョン、報償、動機など、たとえ定量化できたとしても、本質は定性的なものばかりである。しかも、われわれがそこから得るべき知識は、一人ひとりの人間と社会に直接の関わりをもつ意思決定のためのものである。

途上国の近代化に必要なポストモダンの世界観途上国はポストモダンの世界観を必要とする。自らのもつ西洋的ならざるもののうち最善のものと、西洋の信条、制度、知識、道具との融合を可能にするのは、ポストモダンの世界観だけである。いかなる文明といえども、 他の文明が脱ぎ捨てた衣装をそのまま身につけることはできない。

井坂 ポストモダンの世界観とは、マネジメントそのものである。あるいは社会生態学そのものである。1957年の時点の彼にあっては、学問のみでなく、知の可能性がある程度偏見にさらされてきたことに意識が及んでおり、同時に知というものが狭き堂宇に幽閉されてきたことの不公正さに思いがいたっていたのがよくわかる。「デカルト派以降」がキーワードだ。

上田 ドラッカーの著作においてマネジメントと世界観が一体として論じられるところは意外に少ない。しかし指摘した部分はそのことが誤解の余地なく明確に述べられていると思う。恐らくここで示された問題意識は、21世紀から24世紀あたりまでは有効なものとなる可能性があると思う。

井坂 どう理解すればよいだろうか。

上田 先の引用で明瞭に看取される意図とは、近代合理主義が切り捨ててきたあらゆる知覚による形態把握の復活である。実際のところ、既存の科学的方法 論にあっては、知の持つ最も深い部分に発する欲求は実現されることはおろか、認識可能なものともなっていない。そこでは、合理で認識できるもの以外は拒否され、「すでに知られたもの」だけを研究の対象とする。しかし、社会生態 学の擁護者は、学問的方法論を手段として活用しながらも、不条理として切り捨てられてきたものを主たる観察対象とする。

しかし、考えてみるならば、近代合理主義を足場とする思考様式はさほど根拠あるものではなく、ドラッカー流に論駁するならば、17世紀の個人的独断に発する「マインド・コントロール」のごときものに過ぎなかった。

しかも、先の引用に徴して考えるならば、合理主義の成立はその本質において研究対象に即してではなく、認識方法に即して考える必要がある。合理主義的に認識するときに、思考がいかなる成り立ちを示すのかに目を向けなければならない。分析的に把握されうるもののみを考察するのに慣れると、それのみが思考だと知らず考えてしまう。そして、その際観察対象を全体の統合とする知覚による把握を意識できなくなる。

そのような合理主義の自己規制から脱出し、研究対象を特定のフィルターの専一的処理対象とするのに反対したのが思想家としてのドラッカーだった。まさに先の引用にあるように、特定の認識上のフィルターを通さずして、新たな形態的認識を見出すことができるようにならなければならない。

 

ドラッカーのゲーテ主義

井坂 マネジメントはこれまでも他の知的方法と異なる仕方で別種の感興を呼び起こし続けてきた。現在ドラッカー的知に惹き付けられる人々は、それぞれの知的素養に応じた形で、より深い世界認識への憧憬に自然に引き寄せられるのを拒否できなかった人たちと考えられる。まさしく近代合理主義とそれ以降の思想史的パラダイム変化が、社会生態学に伴う条件付きの否定・肯定がないまぜとなった中間段階を創造してきた。

その中間段階の期間が彼の言う「断絶」とも重なって見えてくる。言い換えれば、そのなかに可能態としての知の未来が象徴的に映し込まれている。恐らく今後、ポストモダンの知としてのマネジメントがあらゆる知の媒介項になるだろう。

上田 現に大震災を明瞭な境としてそのような知的姿勢が強く求められている。デカルトからの脱却は知的虚無主義からの脱却でもある。ポストモダンは 知識を差別しない。知識社会とは言い換えればいかなる知識も差別しない社会である。知的に優れた特別の人々のみに閲覧を許可された知を問題とはしない。

むしろ世界の成り立ちについての知識をすでに定まったものとはせず、生成的なものと見なし、同時に新たに創造していこうとする。そのことはマネジメントが永遠に「未完の学」としての性質を持たざるをえない宿命を裏書きするようにも思える。

井坂 認識の仕方ほど認識されにくいものはない。ドラッカーの提唱する世界観にあるのは、ゲーテが自然現象のなかに見出した形態に伴う秘密を思わせるものがある。この世界を、そしてこの社会、人間を理性や合理のみで観察する

とき、そこには開示されぬものが残る。その残されたものが知覚的認識の対象となり、知的探求の対象となる。ドラッカーはそこに体系を与えた。

それのみではない。そこには「知られざるもの」「隠されたもの」などの通常の知的アプローチで獲得できぬ知の様態がすべて堆積し、凝縮されてきた感さえある。それは近代の歩みのなかで顧みられることのなかった扉であって、そこからそれぞれの「はてしない物語」が広がっている。

上田 私もドラッカーの底流に眠る思想的系譜にはゲーテが色濃く息づくもの と考えてきた。

井坂 私はそれをドラッカーの中のゲーテ主義と呼びたい。彼が青年時代在籍したフランクフルト大学の正式名称はヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学である。フランクフルトがゲーテの出生地であるのにちなんでいる。

 

未完の学として

上田 ゲーテは世界の本質を色彩と形態のなかに見出した。私はかつてドラッカーについて論じた時にこう述べたことがある。「社会生態学者は、社会を観察してこうあるべきとは言わない。あるがままに観察する」。合理と分析的思 考の明示しうるものを「学」と見なすならば、社会生態学は本来の意味での学とは呼べないであろう。むしろ社会生態学なる奇態な知的領域が「学」を自称することの傲慢とともに、そのなかに潜む意図に畏怖を感じて、反感を抱く者も少なからずいたかもしれない。

井坂 近年ドラッカー学、あるいは個別の知的領域としての社会生態学があえて「学」の語彙を用いる理由は、そこに本質がある。実は、それこそが自然科学者ゲーテの学問のスタイルだった。合理を一つの道具として活用しながらも、まさに自然生態学者が自然に対するのと同じ態度で、社会全体の研究を可能とする「作法」としての学である。今次、坂本和一氏が『ドラッカーの警鐘を超 えて』(東信堂)でなしたのはまさにそれである。この本は社会生態学の書物である。

社会生態学は、いわば経済学でも社会学でも政治学でもない、その研究様式や研究態度を一度高度な分析的視座と因果の連鎖から措いて、しかもその思想の本質を保存し、知覚的認識をもって対象の本質を語ろうとする。疑似自然科学的な社会科学の研究方法と思考様式とが、一元主義的な正当化のなかに立ち止まっている一方で、社会生態学はあえて別次元の多様な合理を語ろうとする。

それはあたかもゲーテが自然を感覚的な世界ととらえた通りの仕方として社会を語ろうとする。社会生態学は、自然生態学的の内部に宿る魂の律動を保ちながらこの世界の客観的成り立ちを関心対象に収める。企業や組織における社 会的意味は、決してそれ自体の知識獲得のみで汲み尽くすことはできない。つまるところ、企業も組織も、あるいはマネジメントそのものが、自律的機能でありながら、いやむしろ自律的機能であるがために、それ以外の分野との生態のなかに生きている。

そのようなマネジメント研究においては、その本質が環境との相互作用とともに、自己展開のプロセスのなかにいる。社会生態学者は、そのなかに身を浸し、自らを体験する。その体験を彼は観察と名付ける。観察とは見るのみではない。その全体としての認識活動において、生命に充ちた仕方で獲得する可能性への知識の修得である。

上田 社会生態学者は観察対象の自己発展を可能にするためのプロフェッショナルでもある。彼は対象の価値を見誤らない。その点では高度な合理主義以上に、観察対象の本質の理解に対して合理的である。むしろ自然科学者以上にその価値を認め、その分析的な厳密さ、理に偏した思考様式なくして、その可能 態の把握がなしえないことをよく理解している。 この厳しさを思考の本質において獲得したとき、はじめて知覚の力を通して、他の領域においても統覚的な対象認識が可能となる。むろん社会生態学には、ある種のいかがわしさも伴う。対象を観察するときの知覚の力は、純粋な内的衝動に促されて、観察対象の本質を確保できなければならない。そのような知覚の作用の重要性が冒頭の『変貌する産業社会』引用でも述べられている。

 

『企業とは何か』を今こそ読み直すべき

井坂 『変貌する産業社会』以前の著作ではそのような社会生態学的な視座はどのように見られるのだろうか。

上田 ドラッカーが1942年に『産業人の未来』を著した機縁とは、個と社会の 関係性を回復する秩序にあった。そこでは個が自立的になりつつも、社会での地位と機能が秩序創造的な形態で生み出せていない状況が問題とされた。では、いかにしてそれは回復されるのか。それが本書の根にある問題意識だった。言い換えるならば、個と社会という二律背反的な現象を産業の絶えざる顕著な発展による社会的秩序の変化を通して分析した点にそのねらいがあった。それを産業社会の自覚的な問題についてのドラッカー的問題提起として捉え、そこに 研究対象としての企業が置かれていったと見るならば、まさに本書は、「歴史に耐えうる洞察」たる主題としてよいであろう。 産業を社会的事実として捉え、企業を基軸として産業社会の本質を明らかにしようとした時、彼はそこでとられた方法とともに、新たな社会的問題に着手 することとなる。さらにはその4年後に刊行される『企業とは何か』が、しば しばドラッカーのマネジメントの形成にとって決定的な位置づけを持つものとされるのはそのようなところにある。その点で、半ばジャーナリスト的な感覚からGMという大企業への知見を深めるとともに、企業組織を中心とする産業社会に対して体系的基礎を与えようとする現実的な問題関心を具現化するものだった。

事実、『企業とは何か』に代表される一連の企業研究は、そうした社会的現実に対応する実践方策を示すのみならず、倫理体系への検討をも目指したものだった。その意味でこそ『企業とは何か』をもう一度われわれは覚醒した意識で読み 直す必要がある。本書の主題は「自由企業体制が成立するか」との問いに集約される。昨今の世界情勢を見る限り、この問いは原点に立ち帰って検討される価値がある。GM自身が本書を退けた地点からわれわれはまだ一歩も踏み出していないのではないかとの意識に立つ必要がある。もしかすると企業社会は成立しないのではないか、あるいは成立していないのではないかとの逆の観点から読み直すこともできる。

資本主義は絶対ではない。ドラッカーもその成立に留保条件を付けている。もう一度「企業とは何か」と問うべき地点にいる。社会の価値観と企業の価値観が合っているのだろうか。利害はどうか。自由企業体制の問題は効率ではない。その倫理性や責任が問題である。

井坂 ドラッカーがアメリカにあってヨーロッパ社会の再建を期すにあたり提起した産業社会の概念がポストモダンの作法としてのマネジメントの培養器的意味を持ったということだろう。ドラッカーの社会への思考は、基本となる人間観が中心に据えられるものとなる。そして何よりも人間観の変化が社会の思考と行動の変化をもたらすとの前提に立つ。その点、彼は人間観を時代との関係性で 決定されるものとする。

 

ポストモダンへの啓発

上田 そもそも産業社会は高度な組織を通じて実現される社会である点でポストモダンの社会である。そこでは個としても集団の行動様式も、組織の形態をとるものとならざるをえない。個が組織を通じて成果をあげることで社会の秩序が創造される。個は多元的に組織を使用し、組織を通じて自らの力を発揮して成果をあげる。

さらには個の位置付けと役割も組織を通じて創出される。個は組織を通じて社会における市民たりうる。コミュニティの創出さえ組織を通して可能となる。

井坂 そのような思考をたどっていく時、彼の個別具体的なものから抽象的なものを突きとめていく思考プロセスを認めることができる。その際、個々の社会的事象の精密な観察と記述にはじまり、同一の類に属するさまざまな見解の比較を経て、全体を代表しうる鍵となる位置の探索にいたる。

そこでは全体の運動形態と高度な類同性を持つとの想定から、全体を代表しうる概念が展開されることになる。そのような思考法は一般的、抽象的で定式化された作用原理に還元する作業を経ずして、むしろその細部と全体を一つの形態的把握によって探り当てる方法によっていた。まさにゲーテ流である。

そうした構想のなかで、彼は状況を一つのパターンとして捉え、個別的なもの、偶然的なもの、歴史的なものの正確な認識をもとに、社会を形態的に理解し、そのなかに鍵となる媒介原理を探求する方法論を確立している。それらが彼の二作で見られた「経済人」「産業人」といった人間像や社会観のなかに丁寧に織り込まれている。

しかし、産業社会における人間は、組織という手段を高度に駆使しつつ、多元社会の変化に対応する新たな思考様式を求められることになるが、そのような段階にはいまだ達していないとするのが当時のドラッカーの判断だった。社会がポストモダンになっているにもかかわらず、世界観がそのようなものに追いついていなかった。彼のマネジメントに関わる著作群は、見方によってはポストモダンのための啓発活動でもあった。

上田 本来『経済人の終わり』『産業人の未来』もともに、社会を社会そのものとして一つの生命体として把握することを第一義として執筆されたものだった。そこでは社会的に規定される事実をその全体性において討究し、その固有に持つ構造の概念を課題としたものにほかならなかった。むろんいかなる社会も単一の人間像や組織に支配されるものではなく、社会の媒介項は本来的に異質多元である。だが、相互に自律性を持ちつつ多元な人間像や組織も、具体的な作用の中に機能する限りにおいて一つの形態を生み出していく。

そして、その時々の現実探求の中で個別具体的な要因との重なり合いのなかで象徴的な媒介項が見出されることとなる。ドラッカーの場合、ウィーン時代 からの知的修養に加え、ハンブルグ、フランクフルト、ロンドンでの実務経験、さらには転地先でなされた理論知を研磨する試みが絶妙に絡まり合ってかかる思考様式を手にしえた。そのなかで、現実を起点として全体的な構造的連関を洞察するという方法論が編み出されていった。

そこで同時に見逃してはならないのは、彼にあって鍵となる位置の探索が重要なのは、全体の変化が媒介項の変化を促すとともに、媒介項の変化が全体の変化を促すためものでもあったことである。ともにそれらの変化が本質的に相 互依然的なものであって、そうである限り絶えず全体と細部を構造的連関のものとで捉える必要のあるものだった。

井坂 ドラッカーのポストモダンを考える際、そのような視点が欠くことのできないものと思う。実際に彼はそのような構想によって最終的に産業社会にふさわしい、しかるべき人間像を手にし、同時に個と社会の媒介項たる組織についての知識を得ることが最大の課題となることを繰り返し強調してきた。そこでは、社会再建のダイナミズムは、人間に関わる概念なしに働き始めることのできぬものだった。ドラッカーが人間観を説くにあたり、その分析を人間一般や抽象的原理から始めるべきではなく、あくまでも具体的な個々の社会的文脈において問題とすべきことを求めるのは、いずれも現実の社会的諸力と結びついた人間の精神的価値を社会変革の起点と考え、その展望を見出そうとしていた表れと見てよい。

そしてそのような新たな時代における新たな思考様式において、その理論形成と実践の上で重要な役を果たすと見られる方法が彼にあってのポストモダン的試みだったということだろう。

 

いまだ新しい人間像を創造していない

上田 ポストモダンは彼がE・バークやF・J・シュタールから継承した精神と 行動の指針だった。もちろんドラッカーはポストモダン的視座をただちに社会に適用したわけではなく、むしろそれを産業社会の実地考察にあたっての思考実験の産物としている。

井坂 にもかかわらずポストモダンを自らの方法論の礎に据えたのには、彼が過去の学問領域を超えて、それらから生み出された複数の分析上の道筋を相互に関連づけるところに自らの知が成り立つと見たためである。その基礎に立って具体的に進行する現実の社会を把握することで、はじめて自らの方法を確立しうるとした。

確かに、自ら『産業人の未来』で指摘するように、彼の初期構 想はそれ自体一つの政治評論の域を出るものではなかった。しかし彼の方法論が諸理論やアプローチの積極的な摂取と調合をはかることで、新たな社会診断 の構築に向いていった時、それがかつての合理主義的啓蒙から大きく踏み出した地点での試みだったのは疑いえない。

彼が全体の中から代表的な鍵の位置をなすマネジメントのコンセプトを取り上げ、そこに新たな社会構造の未来像を見ていったのも、恐らくそのような試みの一環として捉えることができる。そして、ドラッカーがそのように社会の解釈に向かっていったのには、「われわれはいまだ、経済を超えた行動と関心 の領域において、人間の本性と自由を提示できる新しい人間像を創造していない」との基本認識があった。その問いにわれわれは今なお明確な回答を手にしていない。

こうして彼はポストモダンを道具にさらに産業社会のためのプログラムを求めていくことになる。その思想的フレームが明確に示されたのが、『変貌する産業社会』だった。彼が提起したものは、決して純粋理論と呼びうるものではない。むしろ具体的な社会現象の観察から得た形象を捉えたものである。だが、そこには社会と個の媒介としての鍵となる位置を発見していく彼の志向性が十二分に現れている。

 

時代状況との応答

井坂 そして第一次大戦から世界恐慌、ナチズムの跳梁のうちに彼が時代から 受け取る課題と問題意識を捉えていく時、彼がポストモダンを足場にいかにして総合の観念のもとに当時の対立的な政治思想状況に展望を開いていったかが浮かび上がってくる。そこで彼が捉えたのは、企業という組織の持つ時代的な固有性の問題だった。企業は動的総合の立場から能動的に文明社会形成のプロモーター役を果たすものであって、ドラッカーの発言を借りれば「文明の中心機関」だった。そこがマネジメントの萌芽をなすものとなった。

こうしたドラッカーの思考過程をたどっていく時、それが単にマネジメントの方法論的な形成に関わる問題にとどまるものでないことに気づかざるをえない。E・H・カーのいうように、「事実とは歴史家が呼びかけた時だけ語る」ものとすれば、マネジメントの形成過程とはドラッカーと時代状況との応答プロセスそのものを示すものと考えてよい。

その証として、ドラッカーのマネジメント体系は、それ自体決して完成したものではない。現在にいたるもいくつかの不明確な論点を残しながら、むしろその不明確さゆえに新たな展開が試みられている。決して十分な構成を整えられたものではない。

上田 それもまたドラッカーの特性の重要な縦糸をなすものである。ドラッ カーの思想的営みには論理的に最後まで詰め切ることのできない問題がいくつも残る。そこで、あえて背景としての青年期ヨーロッパ時代を一つのスクリーンとして、そこにドラッカーの思考の過程を映し出しながら、その理論展開に見られる主題の意味を探る。そしてその主題が、時代診断から離れて企業の構造分析及び組織運営という方向に向けられていく時、ドラッカーの動機から取り上げていこうとするならば、大戦で荒廃した社会の再建に向けてマネジメント理論の構築がなされた事実に思いを馳せざるをえなくなる。

 

ささやかな世界の始まり

井坂 モダンによる合理がその極限において非合理性を生み出す逆説がドラッカーの見たヨーロッパの時代状況だったということだろう。それ自身ドラッカーによれば近代のたどる避けられえぬ過程であり、彼が向き合い、応用を余儀なくされた現実だった。その点では、彼が行った時代診断はナチズムの蛮行という破局的な状況にあって現実に示した新たな理論的応答だった。彼の思考にあって社会の構造分析とそこから導き出される診断と処方に照準する限り断絶は見あたらない。

それはドラッカーが自由の擁護と社会の再建を目指す者として、自らの使命の大半を時代への発言に向けた結果だった。それほどドラッカーがナチズムから受けた衝撃が大きく、また彼を転機に立たせたということもあるだろう。

彼はマネジメントに理性や合理性からの自由を保証する脱イデオロギーの新たな作法を見ていた。そうした近代の持つ普遍妥当な規範的根拠をマネジメントをもって打ち破ろうとする時、そこに近代からの訣別を見ていた。1970年代に入ってから広く人々の関心を集める「ポストモダン」の意識は、そのことと無縁ではない。

それはJ・F・リオタールのいう「大きな物語の終焉」という一節に象徴的に示されるものでもある。そこではもはや普遍的原理として近代を貫いてきた進歩の理念や理性はその有効性を失い、代わって高度に多元でささやかな物語が無数に散在しながら、多様な秩序を形成するものと見る。そこにドラッカーの知的定点が存在する。

上田 そのことは後の著作にも明瞭に引き継がれている。ドラッカーは自ら言う「断絶」という時代画期と新たな文明の幕開けに立ち会っているとの感覚を終生持ち続けた。そのような認識に立って、それに対する社会科学の対応が求められる時、そうした時代転換を示唆する複数の思想家が、ドラッカーの思想 形成に影響を持つことになる。

ドラッカーの理解によれば、古典的社会理論にあって、K・マルクスがまず社会秩序そのものの変革を志し、さらにナチズム全体主義が近代の否定に立って非正統的な秩序の再構成に向かったならば、ドラッカーはポストモダンの精神に立って産業社会を道徳的見地と制度的見地から両面的に再建を目指した点 で、問題意識の上でも方法論的展開の上でも、基本的な問題意識を近代西洋の 持つ思想系譜から忠実に受け継いでいる。

事実ドラッカーは、近代にアプローチするために、その最初の断絶たるフランス革命についてのE・バークの所説の理解からその本質を把握しようとしていった。言うまでもなくそこで彼はポストモダンをそれに先行する時代や社会から断ち切って捉えようとしたわけではなく、むしろ彼はそれによって近代の特質を引き出すとともに、それに並存しうる新たな時代の方法的視座を求めていった。そのことは裏を返せば、ドラッカーが近代の特質とその認識に強く結びつき、いかに近代社会の抱える問題性に強く呪縛されてきたかを示している。

そして彼の向けた眼も、そうした手続きを経てモダンの本質を尋ね、いかにそれを理解し、利用するかに置かれた。

もちろん、モダンをすでに終焉したものと見るか、あるいは今なお展開中のものと見るかは、近代そのものに対する多様な視座をそのまま反映するものとならざるをえない。また、近代を超克の対象と見るか、ポストモダンのうちに現代の時代特性を見ようとするのかも、問題設定によって異なるものとなる。

 

ポストモダンとポスト断絶

井坂 いかなる捉え方によろうとも、マネジメントの展開自体がドラッカー自らの言う「浪費された世紀」、あるいは「戦争と革命の世紀」(H・アレント)とされる20世紀の時代状況の中で、近代の抱える問題性と直接対決を強いられてきたことは間違いない。その意味では、マネジメントの前史的歩みを探ること自体が、近代の持つ問題性に対する問いかけの作業としてよく、それなしに ポストモダンの時代を見きわめることはできないのだろう。

上田 そこで彼は近代にアプローチしていくためのもう一つの作法として、「断絶」の諸相に目を向けることとなった。近代という時代と結び付いた非連 続性に着目することで、その変化の本質を把握しようとしていった。いうまでもなくそこで彼は近代をそれに先行する社会から断ち切って捉えようとしたわけではない。

彼が試みたのは、それによって近代の特質を引き出すと同時に、それまでの一元的な歴史観を捨て、必然の進歩の観念を脱構築していく物語の 形成にあった。彼が既存の合理主義的視座と絶縁していく手続きをあくまでも保守的に求めていったのはそのためである。彼の向けた眼は、そうした手続きを経てモダンの本質を尋ね、いかに近代を捉えるかにあった。 そして、2005年にカリフォルニアで没するまで、ポストモダンが現在進行形で形成されていくものと見て、その直前まで近代そのものの視座の据え方を模索し続けた。マネジメントの展開自体の中に近代の抱える問題性と彼がどう格闘してきたかが映し込まれているのは間違いない。