[対話]上田・井坂--理論は現実に従う

ベルリンの朝
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ベルリンの朝

文化と文明の懸け橋としてのマネジメント――次なる百年のためのフレームワーク

 

 2009年11月

世界観に着目する

井坂 今年はドラッカー生誕百周年に当たる。世界的にもドラッカーに関する実践や研究の機運が高まっている。今後目を向けるべき領域というものはどこにあるだろうか。

上田 やはり世界観というところだろうと思う。そこがドラッカーと他の論者を決定的に分けているからだ。

ドラッカーがマネジメントを「発明」したとされるのには二つの意味があると思う。一つはそのフレームワーク、あるいは体系を確立したという意味での発明、もう一つはそのスキルを発展させたという意味での発明である。ここでもフレームとスキルの二つの側面が両輪として機能している。

実際、マネジメントに関するコンセプトやスキルとは8 割以上がドラッカー由来であり、多くの経営学者、マーケティング、戦略の専門家がそのことを事実として受け入れている。マーケティングの大家、セオドア・レヴィットが、ドラッカーの剽窃者をもって自ら任じていたのがその典型である。ドラッカーの弟子には何通りかあって、ドラッカーの体系を意識的に発展させた人、特に何も言わず自らのものとする人、ひいては自らの登録商標としてしまう人などさまざまである。

だが、そのようなことが出てくるのには原因がある。発展させる人々に共通するのは、マネジメントをスキルの問題とともにフレームワークの問題、すなわち世界観の問題と捉えている。言い換えると、マネジメントとはスキルでない無数のものを含んでいる。そこには必ず世界観、思想や哲学がある。何ごとも手段だけを発展させることはできない。

北海道に旅行に行くという目的は共通でも、そこにいたるのにはいくつもの方法がある。飛行機でも船でも行ける。夜行列車でも行けるし、新幹線を乗り継いでも行ける。はじめから鈍行でも行ける。ひいては自転車や徒歩でも時間さえかければ行くことができる。だが、確かなのは目的地に到達するための手段のなかに、その人の旅への考え方、あるいは人生観が確実に反映されている。

スキルもそのようなものだ。そして、その背後には、コントラバスの重奏のように常にフレームワーク、思想といったものが鳴り響いている。恐らく、マネジメントに関してそのような底流をなす体系を提示しえたのは今もってドラッカーだけであろう。たとえば、今多くの企業で取り入れられている、バランスト・スコアカードなどはスキルとしては充実しているものの、その80%は『現代の経営』で展開された考え方である。

要は何が言いたいかというと、フレームがすべてということである。それを理解すれば、スキルは付け足しに過ぎなくなる。底流をなす基本的なものの考え方さえ会得すれば、すべてのものが見えてくる。あえてたとえれば、空手や柔道における型のようなものだ。ドラッカーは柔道に関心を持っていた。イノベーションの方法論で柔道戦略などと名づけたものがある。それは相手を倒す技法という以前に、一つの道、姿勢を意味する。たぶんそんなところが彼を惹きつけたのだろう。

 

必然の進歩は幻想である

井坂 世界観とはそもそもどのようなものとして捉えればよいのだろうか。

上田 どのような風景を当たり前と感じるかに関わる。すでに現代を生きる人々は祖父母や父母の時代とは異なる風景を目にしている。そしてわれわれの子や孫の世代は、われわれとはまったく違う風景を目にすることになる。

典型的なものはイズムの消長だ。古くは中世において宗教的意味合いにおける「必然の堕落」というものがあった。堕落とは変化を意味した。つまり、変化こそが悪の張本人だった。変わることは明らかに悪だった。その当時存在した組織とはすべてが変化を阻止することをその本質に持っていた。

だが、17世紀以降、いわゆる近代にいたって、そのような風景は様変わりした。

まったく正反対の世界観が支配しはじめた。変化というものが世の中を覆いはじめた。同時に、それらの変化にはあるべき姿というものがあるという思想が一般化していった。その特徴を一言で表すならば、必然の進歩があるはずだに尽きよう。

彼の生育環境も多分に関係していると思うが、ドラッカーは早くから「必然の進歩」を信じてはいなかった。彼はオーストリアのウィーンやフランクフルトで20 年代から30 年代にかけて生起し猛威をふるうナチズムを目のあたりにしている。なぜ文明が最高潮を迎える20 世紀に、しかもゲーテやモーツァルトを生んだヨーロッパでそのような凄惨かつ非人道的な出来事が支配するのか。合理を信じるものにとって、かかる現実とは不条理以外の何ものでもない。現実を前に呆然自失するのみである。

「必然の進歩」などというものは存在しない。ここから思考のフレームを再編することである。それが現実観察の基本姿勢となる。変化のための指針となる。

井坂 そのこととマネジメントはどのような関係があるのだろうか。

上田 マネジメント誕生に関わる契機、あるいはそれに関する問題意識を考える際も世界観の視点がだいじである。何よりもいかなるイデオロギーも人や社会を幸福にできなかった。いやそのような言い方は正確ではない。社会主義、全体主義、資本主義、それらのイデオロギーはもっと積極的に人と社会にとって害をなしてきた。一貫して損ない続けてきた。

そのような時代状況を生きてきたせいとも思うが、ドラッカー自身はマネジメントによって社会が成立するとするならば、まずもってそれによる深甚なる副作用がないかということを考えている。社会主義、全体主義、資本主義が人と社会を不幸にしたように、マネジメントによる産業社会も人と社会を不幸にするのではないかと考えた。

重要なのは、それぞれの文化に適応した方法論である。確かに企業組織によって生産力は上がった。しかしそれぞれの企業があたかも国家内国家のように奴隷制を布いていたら、あるいは絶対階級が支配していたら、それは違う形で人と社会を損なうことになる。組織が社会に対して害をなすような存在になってしまったらどうなるだろうか。産業社会は成立しないことになるだろう。あるいはそれは新手の悪性イデオロギーということになるだろう。

結局、人というものは「こうすればうまくいく」という論法が好きで好きでたまらない存在である。つまるところ怠け者である。だから手を変え品を変え、新しい絶対的な理論や手法を編み出しては瞞されてきた。それはドラッカーが言うように、追い求めてはいけない「賢人の石」だった。そのような例はマネジメントの中にもある。たとえば、マネジメント・サイエンスなどは本来生産力向上に貢献すべき存在だったのに、結局は極端な定量化に特化した異形の学問になってしまった。

それまでの社会科学の歴史が証明するように、極端な定量化とはそれ自体一つの病理であり、一つの危険なイズムだ。経済学がその典型であろう。数学を利用して物理学が大成功したのを横目で見たこともあり、同じように数学を利用して経済学の地位は確かに向上した。各国には大臣クラスまで誕生した。さらにそのような世俗的成功を横目で見た人が自分にも儲けさせろということで、経営学者までそれを活用するようになった。だが、結局のところ、社会に関するものでの極度の定量化は意味あるものとはならない。 

 

イズムなしで成立する世界は可能か

井坂  イズムの生成を彼はどう見ていたのだろうか。

上田 18世紀後半にジェームズ・ワットが発明した蒸気機関が産業革命の導火線となったことはよく知られている。それというのも、17 世紀にフランスの幾何学者デカルトによる近代合理主義の具現化の過程だった。

ワットの発明の文明史的意味とは、テクネの技術化である。ワット以前に工具製作者たちが生まれていた。彼らの存在が産業革命の基盤となった。同じ技術を手にしても、それを意味あるものに転換できなければ社会的な力とはなりえない。

ワット自身も、テクノロジストとして店を開こうとしたものの、ギルドに阻まれたという経験を持つ。そこへあの経済学者アダム・スミスが自らの職場であるグラスゴー大学でワットに作業場を与えた。そこから1776 年、鉱山の排水用として蒸気機関が生まれ、それが繊維産業に応用され普及した。歴史上最大といってよい予期せぬ成功だった。

同年、スミスが『国富論』を発刊し、自由な経済活動を行うことで市場社会は機能することを説いた。思想と実践が見事に社会的な力として同時に爆発したのがその年だった。生産力は劇的に向上した。にもかかわらず、うまくいくはずの自由経済が必ずしもうまくいかなくなった。

そこで出てきたのが、生産手段を労働者大衆に手渡すならばうまくいくとする説だった。やがて世界を席巻した。しかしそれでもうまくいかなかった。あるのは殺戮と革命だった。そのような資本主義、社会主義いずれにも共通したものが経済を至上とする考えだった。いずれも経済をあらゆる価値の最上階に置く危険なイデオロギーだった。それならばということでの行き先が「脱経済至上主義」のファシズムだった。しかしこれら3つの考えに共通するものがイズムだった。

イズムとは、簡単に言ってしまえば、「こうすれば必ずうまくいくはず」とする原理主義である。その淵源は、頭の中でベストのものが見つかるはずという信念を世に提出し支持を得たデカルト流のものの考え方だった。そこには常に精緻な体系が組み立てられるのが普通で、その中心に何が置かれるかの違いしかない。19世紀型のイズムでは、こうすれば人は幸せになるはずだとして、とっかえひっかえ新しいものが現れた。でもいずれもうまくはいかなかった。そのような思想的構造を見たのが青年時代のドラッカーだった。彼は考える人ではなかった。見る人、あるいは聞く人だった。彼が生涯発言をやめなかったのは、一貫してこの反イズムの領域だった。その具現化こそがマネジメントだった。

というのも、大戦後もイズムとイズムの戦いは続いていた。資本主義陣営はファシズムを破り、そして社会主義をも破ったかに見えた。だが、彼の目に映る本質的な社会像とは、イズムなしで十分成立する世界だった。組織社会において組織がどのように運営されるか。マネジメントと生産力が結びついて豊かな社会を実現し人を幸福にすることはできるか。しかしそれはイズムとは無関係の世界だった。

あるのは人間と社会だけである。その発展のための道具として組織がある。そのことに目がいっていた人は少なかった。実は今なお少ない。

井坂  具体的な例を挙げてほしい。

上田 彼は未来に対して決して悲観的ではなかったし、前向きの期待を常に口にしていた。けれども、うまくいかなければどうなるかといった反対の側面も考慮に入れていた。

彼は日本の将来について大いなる期待を寄せていた。だが、しばしば彼の激励は脅迫めくときがある。そうならなければ、どうなるかわかりませんよというときがある。近年の日本社会におけるコミュニティの分断は、少なくともこれまで見慣れない異質なものだった。「派遣切り」とは単なるジャーナリスティックな用語にとどまらない。日本社会の変質を象徴する語彙と捉えなければならない。

不況が深刻化して人を切る。そのとき、従業員の中に「切られる人」と「切られない人」の二種類の人間が生まれる。そもそもそのような二種類の単純な層を生み出してしまう社会が健全であろうはずがない。そのような組織でなければ成立しない事業は、事業ではない。というよりも、それを理念的・道徳的存在としての組織社会と呼ぶことはできない。

たとえば未成年を低賃金で酷使しなければ利益が出ないということは事業として成立しないということと同じである。あるいは奴隷労働を必然としなければ成立しない社会はそもそも社会でさえない。もし派遣切りなるものが当然の前提として受け入れられるならば、組織はすでに道徳的存在としての根拠を失っている。そして組織によって成立する社会、すなわち組織社会は社会と呼べない別の何かに変質したと見てよい。

マネジメントの基本と原則を失った社会は、あっという間にイズムの社会、あるいはモダン以前の原理原則なき世界に逆戻りする危険性があることをわれわれは知らなければならない。

本来、そのような反社会的な事態に対しては、当の経済人が否と言えなければならない。だが、気がついた限りでは、残念ながらそのような声は一人からしか聞かれなかった。そこに問題の本質がある。繰り返すが、「馘首しなければ会社が潰れる」という訴えと「金儲けは悪いことですか」という屈託のない問い返しとは同根である。

共通するのは、絶望的なまでの想像力の欠如である。経済とは社会のための道具である。あるいは人のための道具である。目的を問う発想の欠如は教養の欠如と同義である。「何のために」という根本的な問いなくしては何ものも意味を持たない。

形を変えて同じ問いが繰り返し投げかけられている。社会的な地位とは、世の中からの預かりものである。世と人に貢献する代わりに一時的に借りているだけのものに過ぎない。そのような考えがなくなったのが問題だと思う。

 

「現実」を現実的に説明する力

井坂   では、ドラッカーによる世界観について少し詳しく説明してほしい。

上田 根源的な問題意識に通じるために、必ずしも容易な作業ではない。ドラッカーの主張のフレームワークは絵解きを必要とする。解釈を必要とする。

その点を明らかにしていくことが今後の世界の構築に大きく寄与する。同時に、その結果明らかになったことを常識としていくことが必要となる。彼の問いは常に現実と密に接しつつも、常に文明史的なものだった。「産業社会は社会として成立するか」「ヒトラーの出現は必然か」――。そのような種類の問いをいくつも発して、さまざまなアプローチを試みた。そもそもドラッカーとは政治学者だった。

そこから導き出された視座が、知識を生産的なものとしあらゆるものに成果を上げさせる作法、そしてそのための基盤となる組織社会の到来に関するものだった。彼の観察によれば、社会において、生産力とイズムが一緒になると必ず悪い方向に行く。いかに善良な動機に貫かれようとも、イズムには人間社会を救済する力はない。

現実に、社会主義、全体主義、そして資本主義さえもすべてうまくいかなかった。それは現実そのものを現実的に説明する力が、イデオロギーという合理主義の産物には絶望的に欠落していたからだ。

ドラッカーが組織社会というイズムにもイデオロギーにもよることのないきわめて現実的な社会上の特質に着目したのは当然といえば当然だった。組織とは手段であって、機能である。手段の卓越はその成果によって測られる。それは善悪の問題ではない。機能するかしないか、それだけの問題である。ドラッカーが生産力と組織社会を結びつけ、そのいかんに産業社会の未来を見たのは、深いレベルで企まれた彼の思考フレームを忠実に反映するものだった。

井坂 そのような理解は現実社会において、どのように意味を持つだろうか。

上田 むろんそのようなフレームワークはいま現在進行する問題を読み解くうえできわめて高い効果を発揮する。

ドラッカーのフレームワークでは、いかなるものであれ、何のためのものか、すなわち目的に関するコンセプトが問われる。建物やそこに生活する人々への思いや想像のないところに、のみやかんなの意味はない。目的の観念があってはじめて手段の意味が理解される。組織も技術もマネジメントも、すべてが世と人のための手段であることが強調されるのはそのためである。

フレームワークとはビジョン(視角)を固定する役割を持つ。ゆえにその重要性は誰しも認めざるをえないながらも、あまりに基本的過ぎるために気づかれることがない。これまでも、種々の学問領域において進歩に貢献してきた者に共通するのは、新たなフレームワークを見出したことにある。ニュートンもアインシュタインもマルクスもそうである。

つまり、フレームワークのほうがスキルより大切だということである。同じことはマネジメントについても言える。マネジメントとは実に多くの異なる領域からの方法知の濃縮物と見ることができる。そのなかで核となるのはマネジメントの中軸を貫くフレームワークである。マネジメントがなぜ体系化されるにいたったのか。それが必要だったからにほかならない。

実はマネジメント成立に関する問題意識は、脱モダンのたくらみと同根であった。近代合理主義では立ち行かぬ組織社会を生きるために編み出されたものだった。それをドラッカーの用語で言うと、「このポストモダンの世界」(1957年)ということになろう。

あるいはフレームとはゲシュタルトの世界でもある。形態に関する意味と解釈の世界である。それは道である。道とは形態である。形である。全体を全体として把握すること、欠けた陶器に永遠の美を見出すように、その形に精神が宿るとする考え方である。マネジメントでいえば、スキルが重要なのはそこに文明への精神が宿っているからである。形態の世界は因果関係を説明し尽くす必要がない。それは合理の世界ではない。知覚の世界である。うまくいっていることがわかれば、それを使えばいい。うまくいかないならば、使わなければいい。とするならば、形態の世界とは、型を手段として使用しつつも、型を絶対視はしていないということである。たぶん日本画も同じであろう。ドラッカーがあのような一風変わった芸術に惹かれたのも、そのなかにある形式や姿勢に共鳴したのだろうと思う。日本人には比較的なじみのものだ。

マネジメント上のドラッカーの記述でも、会議はなぜが一定の人数を超えるとうまくいかなくなる、といった記述が出てくる。それは形態であり型である。

なぜかはわからない。やがてわかるだろう。でもわかるようになるまで待ってはいられない。それがドラッカーの言うことだった。ただそういうものだとしか言いようのないものが世界には存在する。あえていえば常識としか言いようのない何かである。それを認めなければいけない。常識がない人間や社会はコミュニケーションがとれない。

そのゆえに、すべて合理の因果関係で明らかにしなければ気が済まない人々は、ものごとをうまく運びえないだけではない。危険な存在である。わからないことが無数にあるという前提を持てるほうがうまくいく。その生ぬるさが人と社会になくてはならない。人間がうまくやっていくのに、完全なものはありえない。だが、まがりなりにも機能するものは追求しなければならない。

井坂 先に出たポストモダンとはあまり耳慣れない語彙だ。少し説明してほしい。

上田 決して難しいものではない。まずもって、ドラッカーの言うポストモダンとは、先進的な思想でも革新的な思想でもない。そもそもそれは価値体系という意味での思想でさえない。それによらずして現実が処理できないゆえに必要とされる考え方である。

現実に、モダンの手法では何もさばけない。ポストモダン的手法が最も先鋭的な形で現れたのが、企業組織だった。近年にいたっては、市場が完全にグローバル化し、実質的に「地球市場」としか呼びようのないものとなった。住宅、家電製品、自動車から、百円ショップの小物、駄菓子まで、実質的に一つの市場で需要と供給のバランスがはかられている。近代合理主義思想のなかにはそのような想定はまったく存在しなかった。

では、脱モダンへの試みとはいかにしてなされうるのか。明確な答えは存在しない。だが、道筋は見えつつある。社会が展開していくためには、あらゆる存在が成果を生み出さなければならない。そうしなければいずれ文明自体がもたなくなる。

ならば、成果を上げるのに、最もうまくいく方法がないかを探してみる。探せば必ずある。それは例外かもしれない。しかし、うまくいっているのが事実ならば、方法次第で可能という証でもある。そのようなケースを緻密に描き切り、残していくことだ。あたかも優れた画家が、清明でありのままの自然を画布に再現するように、あるいは日本画の絵師が筆の一さばきで空間を再構成するようにである。

だから、すぐに体系化しようとしてはいけない。それはいずれ誰かがやってくれる。せいぜいのところ模倣の対象、お手本とするくらいでちょうどよい。

現実とは生き物なのだから、生き物のままに扱わなければならない。そんなケースがきっと今後重要になってくるはずだ。ケースとは標本であり、構造や自律性の小さな宇宙である。昆虫学者が一日中大好きな昆虫をあかず眺め観察するように、うまくいく組織や人を正確に観察し記述していく、それがわれわれが現在なすべきことだ。

われわれの場合で言えば、ドラッカーのマネジメントを現実に適用して成果を収める人や組織について、より精密な観察と記述を重ねていくことに意味があると思う。そして、そこから自ら自身や、自らの組織に対する新しい意味を読み取ることだ。実はその方法こそが、ドラッカーがGM の観察結果に引きつけて最初のマネジメントの書物として世に問うた『企業とは何か』だった。

 

ドラッカー・プレミアム(DP)の追求

井坂  未来に対し示唆的なものを感じる。もう少し詳しく教えてほしい。

上田 ドラッカーを経営に適用する事例はとにもかくにも無数にある。というよりも、マネジメントの概念そのものがドラッカーの創意になるものとすれば、理論上ドラッカーを使わずにマネジメントを行うことは不可能といってよいのかもしれない。違いはそのことを意識しているかしていないかだけである。あるいは誇らしげに認める人と、あえて何も言わない人がいるだけである。

そのような事例は、世の中には無数に転がっている。大事なことは規模の大小を問わず、そのような事実を聞き取り、記録することである。そして、それを紹介するのが次の仕事になる可能性がある。「なんでうまくいっているのですか?」「どうして今のような会社が作れたのですか?」素朴な疑問を率直に聞き連ねていけばよい。回答をただ淡々と記していく。

日々ささやかな領域で活動する方々のなかで、そういったドラッカー・プレミアム(DP)を追求し、公表していく。DP ケースブックである。想像を絶するほどのささやかな奇跡が日々進展しているのがわかるはずだ。その一つ一つが文明を確実に前に進めている。

それぞれがドラッカーを実践するケース集として成立していくと思う。経営者ならばその方の生い立ちから仕事に就いて現在に至るまでのことを丹念に観察し描写し記述していけばよい。それは意義あるプロジェクトになっていくに違いない。あるだけ観察し、あるだけ記述していく。あればあるほどによい。

ケースとは別の言い方をすれば酵母だ。それ自体生きた世界の凝縮であるとともに、望ましい明日の世界を培養するための胞子である。それを見ることで、その生物の持つ構造がわかる。うまくいくことの酵母をより多くの人々に広めていくことだ。繰り返すが、誰かができているということは、方法と作法さえ適切であるならば、自らの領域でもできるということの例証でもある。それこそがポストモダンにおけるマネジメントの教科書になりうるし、経営の百科全書になりうる。

それは新種、あるいは別種の普遍学だ。モダンにおける普遍学のアプローチをデカルトの『方法序説』が示したとすれば、社会生態学的アプローチとは脱モダンへの野心的試みを濃厚に反映したものだ。だが両者のアプローチは根本的に違う。後者は直接的に普遍的真理を追求するものではない。反対に目の前の具体物・個物を徹底的に観察し描写し、その形態的真理を把握することでいつしか普遍に至ると考える。一見迂遠なその方法が、普遍に至る道であるとする。

ドラッカーは西洋が神学を体系化していた中世に、日本では源氏物語が書かれていたと言った。日本へのお気に入りの評価だった。彼が日本の芸術にことさら関心を持たざるをえなかったのも、そこに広大無辺の無意識の世界が横たわっていたためだと思う。現実の世界では、意識されているものなどほんの針の先ほどに過ぎない。意識されているものなど例外中の例外で、ほとんどの物事は意識されていない。知られていない。すなわち、無意識の世界が現に存在していることを意識させてくれるのが日本の芸術だった。その証拠として、日本画は対象を描いていない。空間を描いている。

彼の手法には予期せぬ成功、すなわち理由はわからないながらもうまくできることを徹底的に追求せよといったものがよく出てくる。あるいは人に聞けとも言う。要は自分で意識していること、わかっていることなどたかが知れている。知られていないことのほうが無数にある。だが、それがきちんと説明されるのを待ってはいられない。そのためのアプローチがドラッカー流のものだった。大事なのは、世界をそのようなものとして見ているかどうか、それだけだった。

理論ではなく現象を丹念に描いていく。定義や原理は必要ない。現象は現象を刺激し新たな現象を呼ぶ。それだけで十分である。解釈は読み手がそれぞれにすればいい。得たい人が得たいものを得ればよい。高等教育への接続可能性

井坂 マネジメントと教育との接続も重要な課題と思う。そのことをどう考えるか。

上田 私の言いたいことは同じである。何よりもフレームワークが重要ということだ。スキルなどはそれに比較すれば取るに足りない。フレームワークの内容をどう充実させるか、そのための仕事が必要である。そして、その問題と最も深い関係性を持つのが、マネジメント教育である。最近そのことに気づく人が増えている。大学や研究機関でドラッカーに注目するところが増えている。単純に言ってしまえば、現在あるマネジメント教育には二種類しかない。

MBAの世界、そしてMBAでない世界である。前者については教えるところは世界中に無数にある。そのようなコースは多くの大学院で整備されている。

他方で、後者はそうではない。教える場所も少ない。主流ではない。何よりも教えるということについての知識や技能が体系化されていない。それでも、それを知ることができた人にとって最も役に立ち、感謝されるのが後者である。現実にMBAはマネジメントのフレームワークを教えることに一貫して失敗し続けてきた。基本や原則を教えることに成功したためしがなかった。同じことはマネジメント・サイエンスにおいても言える。共通するのは、「何のために」、すなわち目的に当たる部分が忘れ去られていたことだ。

逆に言うと、そのような状況は巨大なチャンスである。そして、フレームワークを学んでもらうテクネこそが、ほぼ完全にドラッカーの世界と同義になってくる。それは少なくともアカデミアの世界ではない。しかしアート&サイエンスの世界には巨大なニーズがある。ニーズがあるのに、誰も手をつけていない。

今後技術が教育を通じて文明を変える。その大転換の渦中にいる。恐らく今のような形での高等教育はあと少々もてばいいほうである。そのことがこれからの課題として重要である。メディアがメッセージの内容を規定するとすれば、教育というメディアが人の意識を規定する主因たらざるをえないのは当然である。それが文明の関係性を決める。

とするならば、今何を行うか、何に着手するかによって、数百年後には巨大な差異を生む可能性があるということだ。転換期ではほんのわずかな初期値の差が後々取り返し不能なほどの巨大な変化を生む。現在のマネジメント教育を重要と考えるのはその意味である。まだかなりの手間暇がかかると思うが、スキルとフレームワーク双方の充実に力点を置いていくべきだろう。E ラーニングなどがどのようにマネジメント教育に適応できるかが鍵となるはずだ。

 

理論は現実に従う

井坂 新時代のマネジメントの課題が最も先鋭的に表れているのはどのような領域と見るか。

上田 逆に言えば、グローバル市場および企業などはモダンの手法で処理しきれないものの代表格である。恐らく一般に想像されるよりもはるかに厄介な代物である。そのような根源的なギャップをはらむところにこそ、学ぶべき優良な事例が多く表れてくるだろう。

なぜなら、それらについての現実自体がわれわれにとってまだ存在しない。ならば、グローバル市場や企業についての理論もまだ存在しない。理論は現実に従う(Theories follow events。)(『マネジメント』)。グローバル企業はこれから苦労してそのありようを模索しなければならない。

しかしここでもドラッカーのフレームワークが生きてくる。それは目的としての存在である人間と社会に関するものである。ドラッカー的フレームワークにあっては、いかなる事象の変化であれ、その人間的・社会的帰趨を見なければ無意味ということになる。そして、かかる社会的存在としての人間が幸せであるためには、社会が社会として成立していなければならない。そこに組織とマネジメント出現の意味と必要性がある。企業というものの意味と必要性がある。マネジメントの世界はそうして可能となる。

そのような意味性と必要性があるために、他方で社会そのものの理解がぜひとも必要になってくる。政治経済、自然環境、高齢化、グローバル化等々人間社会に関わりを持つあらゆる現象とその複雑な絡まりに関心を持たざるを得なくなってくる。ドラッカーは物見の役として、そのような複雑きわまりない個々の領域にもスポットライトを当て、どのように考えたらよいかを教えた。

井坂 では、彼はグローバル企業をどう見ていたのだろうか。

上田 グローバル企業の本質は、企業のグローバル化にはない。市場のグローバル化がその出現の本質的変化である。すなわち、グローバル企業とは社会変化に応じて生まれた副産物に過ぎない。そのグローバル企業を表す言葉が存在しない40 年前、彼はグローバル企業そのものを論じていた。ドラッカーは次のように言う(『マネジメント』)。

「多国籍企業なる言葉は現実を説明するというよりも現実を曖昧なものにしている。今日では言葉として定着してしまったかもしれない。しかしたとえそうであっても、多国籍企業であることの機会と問題は、多国籍であること、すなわち多国における事業の展開にあるのではないことは忘れてはならない。すなわち、グローバル企業に関わる問題のすべては、需要、ビジョン、価値観において共通のものとなったグローバル市場の現実を受けて自らグローバルな存在になっていることにある。」

彼は言葉なきポストモダンの世界にあって、言葉を使って現実を語った。当時の用語法としての多国籍企業をあえて使用しつつ、その重要性は、多国籍企業が多国籍だからではなく、多国籍企業がグローバル市場に対応する存在であるからだとした。むろん現在多国籍企業という言葉はほぼ使われることがない。

その意味では完全に衰退してしまった。その代わり、グローバル企業と誰もが言う。現実に言葉が追いついた稀な例である。

さらに、そこで彼が言うことは、企業がグローバル化した事実の結果として、それは究極の効率性を求める存在たらざるをえないという事実である。あらゆるグローバル企業が経済の原理を徹底的に求める存在としてしか成立しえない。なぜならば、追求しなければ潰れるからだ。

往時の多国籍企業時代にあって、オーストリアのフィアット社とイタリアのフィアット社は同じ製品を製造していた。それは単に親会社と子会社の関係に過ぎなかった。両国が大戦によって敵対国になったとき、オーストリア・フィアットは取引銀行をオーストリア銀行に変えるだけでよかった。いわばそれらの企業は同一企業のクローン連合に過ぎなかった。今やクローン連合としてグローバル企業をマネジメントし切ることなど不可能である。そのようなものでは単一市場で戦略を練る他のグローバル企業に簡単にやられてしまう。グローバル企業にとって経済効率を徹底的に追求するのは必然ということである。他の企業と同じようにグローバル市場に対応した経営戦略を持たなければならない。全世界を一つのワールドショッピングセンターとして、タイヤは中国、ポンプはフィリピン、組み立ては台湾、市場はアフリカという具合に徹底した経済効率を求めざるをえなくなる。つまり彼は約40 年も前に「世界はフラットになる」と述べている。

 

明日の世界への懸け橋――それぞれの明治維新

井坂 そのような視座からすると、マネジメントとはどのような意味を持つのか。

上田 他方で、企業とは人間組織である。それぞれ文化的側面を持つ。そして、文化とは本質的に異質多元なものである。とすれば、究極の経済性の追求とともに、究極の多様性をも同時に追求しなければならない。同じ会社の支社であっても、アルゼンチン法人とアメリカ法人とは文化が違う。

ならばそれぞれの支社は異なる構造のトップマネジメントを持たなければならない。それぞれ異なる戦略を持たなければならない。異なるリーダーシップ、異なる意思決定構造を持たなければならない。つまるところ、それぞれの文化にのっとった企業経営が行われなければならない。企業戦略上、究極の経済性を追求しつつ、その実現の方法においては限りなく多様なローカルな文化にもとづいて人を組織し、動かさなければならない。ドラッカーは『マネジメント』において次のように述べている。

「マネジメントは、急激にグローバル化しつつある文明と、多様な伝統、価値、信条、遺産となって現れる文化の懸け橋である。それは、文化的な多様性が人類の目的の実現に資するうえでの道具となるべきものである」

これが文化と文明を架橋する存在としてのマネジメントの意味するところである。マネジメントには文明という普遍的存在と文化という多様な存在を架橋する役割がある。世界市場が拡大しつつあるという時代的要請とその多様性をこそ公益となし、強みとして文明に貢献させる方法をマネジメントと呼んでよいと思う。

井坂 そこでのマネジメント上の要諦をどのように考えるか。

上田 理論は現実に従う。だがその現実がまだ起こっていない。それを起こすのがグローバル企業だとドラッカーは言う。それが現在進行する変化の本質である。では、そこでは何がポイントとなるのだろうか。

あえて言えば、文明を担う存在としてのグローバル企業は、あらゆる国・地域において、明治維新を行わなければならないということである。ドラッカーに言わせれば、明治維新とは日本の西洋化ではなかった。西洋の日本化だった。日本が明治維新を行ったように、事業を多様のままに普遍化しなければならない。それぞれの国において、それぞれの「明治維新」が必要とされている。

日本人のマネジャーは日本人として扱わなければならない。韓国人の社長は韓国人として遇さなければならない。彼がニューヨーク支店にいったときに、彼にどのような待遇を与えるか。月給はニューヨークの地価や物価に合わせていくのか、日本の基本給等に手当を付けるだけなのか、戻ってきたときにどうするのか。いずれにしても、文化としての人間として扱わなければならない。

言うのは簡単だが、実行するのはとてつもなく難しい。文明と文化の橋渡しとは難しいとドラッカーも言っている。限られた存在としての世界が豊かになるためには、課題は無数にある。だが、それがよい社会になるか悪い社会になるかはわれわれ次第である。それは、明治維新の結果よい社会が出現するか悪い社会が出現するかがその社会の持つ力次第であったのと同じである。その社会が持つ力を民度という。