まずいラーメン屋を〈社会生態学〉したら・・・

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【避けえない現実にどう対処するか】

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岩崎夏海『まずいラーメン屋はどこへ消えた?――椅子取りゲーム社会で生き残る方法』小学館新書

人は圧倒的な変化に際会して、未知の希望よりも、既知の絶望を選ぶ。変化を好ましいものと思わないのは、人間精神の主要な部分を構成する性である。それ自体をあれこれいってもしかたがない。問題は、どう変化に処するか、あるいはどう変化をしのいでいくかである。

ビジネスを考える上での材料が、どんなときもビジネスの中だけにあるとは限らない。ビジネスがどこまでいっても人間の活動であるならば、ささやかな人間活動にもその本質は現れているはずだ。この本には、そんなささやかだけれど大切な何かに目を向けさせるだけの力がある。

タイトルを目にしたとき、私は「まずいラーメン屋」を許容する古きよき時代を擁護する本なのかと思った。誰もが、駅前や通り脇にあったそんな店の一つや二つを知っている。なぜ成り立っているのかわからない。でも現に成り立っている、そんな店の一つや二つを知っている。

だが、ある時からそんな店が成り立たなくなった。時にそれはラーメン屋でなく、喫茶店かもしれないし書店かもしれない。和菓子屋かもしれないし印鑑屋かもしれない。いずれもひっそりと半世紀以上を生き延びてきた店が、いつの間にか霧のように姿を消してしまった。インターネットが人々の手に渡ってからだ。今では現実の書店や家電店は、維持管理に異常なコストをかけたショウルームになったという。実物はそこで見て、気に入ったものを見つけるとおもむろに懐からスマホを取り出し、アマゾンで購入する。

評者にも身に覚えがなくはない。時々書店でそんな行動をとる自分に出会う。そして何より、そんな現実以上に、その変化に対応する自分の行動の変化に驚かされる。

そのような風潮を嘆いてもしかたがない。それが本書の基調である。もはや私たちはほかの現実を選ぶことができない。それはすでに私たちを取り巻く、所与の現実であるとともに、私たちの内面で進行する現実の一部ともなっている。

著者は言わずとしれた「もしドラ」の作者であり、AKB48のプロデュースに関わった当事者の一人でもある。いわば変転してやまぬ現実と起臥をともにしてきた人である。そんな才人の作法が簡単に身につけられるならかくもありがたいことはないが、残念ながら無理というものだ。だがもっと大事なことを著者は教えてくれている。

姿勢だ。あるいは基本的なものの考え方だ。陳腐化の激しい変化の時代だからこそ、生きる上での戦術は長期を織り込まなければならない。ここで詳しく紹介はしないが、一つひとつが、実体験に裏打ちされていて、しかもシンプルである。

好ましいのは単なる成功本のたぐいと違って、ごくふつうの目線と地に足着いた考え方が一貫している。私たちはあの幼少期に目にしたラーメン屋が知らないうちにふっと時代の狭間に消えてしまったことを知っている。確かなのは、それらが二度ともどってはこないということだ。この本は、過ぎ去った時代を直視する勇気を与えてくれる。同時に、未来に顔を向ける勇気を与えてくれる。