書評『データの見えざる手』

無題
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【技術は人と社会をどう変えていくか】

無題

矢野和男『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』(草思社)

刺激的な書物である。読みながら「なるほど」と思うたびに棒を一本引いて、「正」の字になるようにメモしていったら、何個「正」ができてしまうのかと思うほどに、野心的で未来志向知見が溢れている。新しい世界はこうして開かれていくのだとしみじみと思った。

著者は日立製作所の研究者である。「リストバンド型のウエアラブルセンサ(「ライフ顕微鏡」)」を使って、人の体の動きを逐一データにとったところ、今まで知られていなかった新しい知見が多数見出されていく。

この展開が生半可のSF小説よりはるかにおもしろい。データの検討の結果、著者は次のように言う。

「そこには『繰り返しの力』という我々が普段感覚として意識していない力が、社会を動かしている姿が見えてきたのだ。」

私たちは自由意思で行動していると思っている。

本当なのだろうか?

よい問いとは必ずしも斬新な問いではない。反対に、よい問いとは言われると何と言うこともない問いである。なぜそんなことを考えずに来てしまったのだろうという問い、当たり前の風景の成り立ちに新しい光を与える問いこそがよい問いの条件である。著者は続ける。

「人は因果という枠組みに頼って世界を認識しようとする強い傾向があるが、因果という考え方は、多数回の繰り返しの結果を見通すには適さないということなのだろう。」

なるほど。その通りである。確かに私たちは因果の枠組みで世界をとらえたときに、はじめてものがわかったような錯覚にとらわれている。

だが、人間の行動の大半は無意識であって、必ずしも意識的な検討を経ていない。むしろ体の動きというのは、無意識の結果なので、そこを科学することによって、知られざる暗黒大陸の少なくとも一端が明らかにされるのではないだろうか――。

特に誰もが関心を持つのが、「幸福」である。この問題には、本書は相当程度のエネルギーを割いている。次の知見があまりにも印象的である。

「幸福な人は、仕事のパフォーマンスが高く、クリエイティブで、収入レベルも高く、結婚の成功率が高く、友達に恵まれ、健康で寿命が長いことが確かめられている。定量的には、幸せな人は、仕事の生産性が平均で三七%高く、クリエイティビティは三〇〇%も高い。

重要なことは、仕事ができる人は成功するので幸せになる、というのではなく、幸せな人は仕事ができるということだ。そして、ハピネスレベルを高めるのは、成功を待たずとも、今日ちょっとした行動を起こすことで可能なのである。」

ともすれば私たちは幸福になるために、成功するために、「考え方」を変えようとする。世の中の自己啓発セミナーがたいていは何の益も生まないのは、おそらくそこにあるのだろう。

むしろ幸福度を上げるためにすべきことは、体を動かすこと、動きを変えることなのだろう。

この本は科学の体裁をとっていながら、科学の本ではない。人間と社会についての本である。技術がどのような貢献を人間に対してなしうるのかを示した点で一つの時代を切り開く可能性を秘めた書物と言ってよい。