『ドラッカー 教養としてのマネジメント』

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【忘れられた思想経由を読む】

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マチャレロ・リンクレター/阪井和男他訳『ドラッカー 教養としてのマネジメント』マグロウヒル・エデュケーション

ドラッカーの発言が実にさまざまな領域で引用され、言及されているにもかかわらず、今ひとつ既存の経営学のなかでしっくりこないのはなぜだろうか。彼のマネジメントには、経営学を超えた何かがあることを感じる人は少なくない。本書は、アメリカのドラッカー研究者が、その問題意識で鋭く切り込んだ労作である。

今では高校野球の女子マネージャーのみならず、糸井重里氏などのクリエイターから、超巨大企業のCEOまで、ドラッカーに学んだ事実を明言する人々が少なからずいる。だが、果してドラッカーの語ったことは「経営」だったのだろうか。そのような疑念がずっとつきまとってきた。

本書の主張に従えば、ドラッカーが経営を語ったのは事実であるけれども、それは彼の語った言説のごく一部をなすにすぎなかったということになる。では、彼が本当に言いたかったことは何だったのか。

その探索が本書のテーマである。そして、ドラッカーの業績の核心に迫る一本のアリアドネの糸が「教養」ということになる。教養とはリベラル・アーツとも言う。いわば自由のための技法である。

リベラル・アーツはギリシア時代以来、欧米文化に連綿と受け継がれてきた思想内容を持つ。それは哲学・思想など高度な人間の精神的営みそのものである。本書は全体に分厚い本だし、内容としてはかなり難解なところも含む。しかも、西欧の教養の歴史が緻密に展開される章があって、容易に手を伸ばしにくい側面も持つ。それでもなお本書を薦めたいと思うのにはいくつかの理由がある。

一つは、今の世の中が再び極端な形での経済偏重の噴出を見せつつある傾向にある。現下の経済至上主義への批判的視座は、本書のぶれることのない一貫した視点と重なる。

教養というのは、どこまでいっても人間に関わるものである。ある種の人間主義的な視点が教養の重要な背骨をなすならば、現状を的確に批判しうる知識は徹頭徹尾、社会的人間的帰結に関心を持つ知識にしかないとさえいえるかもしれない。そこに現代人が見落とし続けてきた「隠された」価値内容がある。

もう一つは、マネジメントそのものが、新しい教養としての意味を持ち始めているところにある。ドラッカーの考えによれば、マネジメントは決して企業の専有物でもなかったし、利益を最大化する方法論でもなかった。それはどこまでも社会のものであると同時に人間のためのものだった。小学校の先生にもマネジメントに関心を占める人々が出て来ている。

その一つの表れとして、企業以外の社会を構成する組織にもドラッカーはきちんと目をとめている。NPOや教会などが典型である。近年はさらに組織形態は多様になっている。また個人の活動の余地も広がっている。それら組織や人間活動の一つ一つが社会を多様なものとし、まさにその多様性の創出によって世界にエネルギーを与えている。

記述方法は決して容易ではないのだが、概要については現代を生きるものにとって重要な示唆をあまりに多く含むものがある。