観察は社会生態学者の武器

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【考え方と実践方法】

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松波晴人『「行動観察」の基本』ダイヤモンド社

なにごとによらず、変化を見出すのに地道な観察ほど意味を持つものはない。にもかかわらず、観察ほどに忘れられがちなものはない。

考えてみれば、観察方法を教えてくれる本はあるようでなかった。観察を軸としたコンサルティング活動で成果を上げる著者によるもので、文体もやさしくかつ具体的で、頭と心にしみる内容になっている。

著者は言う。「成果を生み出そうと考えているのであれば、まずは『場』に足を運んで観察すべきである。なぜなら、本質は『場』に、そして場における『人間の行動』に存在しているからだ」。

観察にとって、現場ほど意味を持つものはない。ではなぜ現場がだいじなのか。そこにはえもいわれぬ空気が存在するからだ。それを場の情報という。

特定の場所に旅行に行く前に抱いた観念と、行った後の印象が同じであることはない。頭脳の中だけで処理された情報は、多くの場合場の情報をフィルターではじいてしまうからだ。観察でぜひともなくてはならないのが、現場に赴くことであるのは、まさしく生きた情報、場がもつ呼吸を自らの呼吸に同期させることにある。

ただし、場に入るだけで十分かというとそうではない。それは条件の一つに過ぎない。筆者は行動観察を「ある課題に対して、観察者がさまざまなフィールドに入って対象者の行動や背景にある情報をつぶさに観察したうえで分析し、本質的なインサイトを導出したうえでソリューションを提案し、実行する方法論」として、現場での観察を経て手にした情報をもとに、解決策という一定の行動につなげていくことをきわめて重視している。

それというのも、多くの場合、人々の考えることや行動の原因は、私たちが安易に憶測するものとは異なる。時に「人間は、自分の行動を自分ではあまり把握できていない」。いくつか説得的な例が挙げられているので、一つ紹介したい。

高齢者の思考と行動にかかわるものである。

多くの場合、若い人ほど、高齢者は社会から距離をおきたいと考えているように想像する。社会への義務を果たしたのだから、いい加減ゆっくりしたいと思っていると推察している。

行動観察の結果見えて来ることは逆である。高齢者は「人に役立つことで自分の有用感を実感したい」と考えていることがわかっている。

たしかに多少年をとってみるとわかることだが、年齢を重ねても、気持ちはそれほど変らない。高齢者も気持ちは若いままだ。八〇を超えても、老後はまだ先と認識している。

こんなふうに、人間を深掘りしていくこと、そして、そこから新しいインサイトを得て、従来のフレームを異なる視座のもとで捉え直すことが推奨される。

いくたびも本書で強調されるように、世の中には多様な人々がいる。そして、人というものは「自分がこう考えるのだから、ほかの人も同じように考えるはずだ」と考えてしまう傾向がある。思い込みは現実を見ることでしか書き換えられることがない。そのためには新しい仮説を次々と生み出していくしかない。「現場に弟子入りする」――重く響いてくる。