概説ドラッカー経営学(11)-レセプティブな知的姿勢

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レセプティブ思考①――ドラッカーの実践的姿勢

ドラッカーの知的姿勢を一言で言うならば、「レセプティブ」に集約される。受け入れる、レシーブする姿勢である。しなやかに、かつ柔軟に、現実に対して受容的なたたずまいを指す。

ビジネスなどではしばしば、積極果敢に攻めていく姿勢が強調される。貪欲とは言わないまでも、前向きさが多とされる。

もちろん間違いではない。だが、真の積極性や前向きさは、ドラッカーの言うものと世間で考えられるものとでは質的な違いがある。

積極さとは、目的がはっきりしていることが前提になければならない。ゴールのないマラソンを走るとき、人は積極的になりようがない。ルールのわからないゲームに参加するとき、人は前向きになりようがない。何を目指すべきかわからないのでは、どちらが前でどちらが後ろかさえわからない。

目的なき積極性、前向きさほどはた迷惑なものはない。ただあくせくと動き回り周囲を不快にするだけである。

ならば、現実をゆったりとかつじっくりと観察し、今自分がどこにいるのか、どこを目指すべきなのかを見極めなければ何も始まらない。地図の現在地を知らなければどこに行くかもわからない。

ドラッカーはビジネスの書き手であったが、そのたたずまいは哲人のものだった。彼は野心家を嫌った。世を貪る人々を軽むさぼ蔑した。がつがつあくせくと世界を収奪していく人々とは目線を合わせないようにしていた。

レセプティブな姿勢はドラッカーの生活態度にも表れていた。二〇〇五年にドラッカーに会いにカリフォルニアに赴いた。クレアモントという閑静な住宅街である。

印象的だったのは家の質素さだった。山荘を思わせるコンパクトな平屋である。一見しただけでは世界的なコンサルタントにしてベストセラーの書き手が住む家とは想像できない。

家具や調度品に華やかなものはない。素朴そのものである。日本人形が飾ってあるくらいである。

窓からは白い小さなプールが覗ける。敷地を合わせても一〇〇平方メートルはない。

家の持ち主はぜいたくや華美さに何の関心もなく、十分すぎるほどに自分自身と生活に満足している。誰が見てもわかる。

ビジネスに関わる人というよりも、思想家や宗教家の澄んだ空気が支配していた。書棚には歴史書や文学書が並ぶ。

お手軽なビジネス書などは関心の埒外だった。風向き一つで価値をなくすようなものに、目をとめることはない。眼は遥か数千年の歴史と文物に向けられた。

見ること、考えること、そして書くことに最低限の環境があれば十分だった。

ドラッカーの受容的な知的姿勢を表すもう一つが、彼のエリート嫌いである。彼自身はウィーンの政府高官の子として生まれており、比較的富裕であって知的な環境に慣れ親しんでいた。

それでもなぜか、彼はエリートや特権階級が嫌いだった。ごくふつうのささやかな人々が世の中の主役であることを早い時期から了解していた。相手の社会的な身分や懐具合や学歴におもねるということをまったくしなかった。エリートが積極的に社会を損なった時代を間近に見てきたからだ。

見るべきは人だった。ドラッカーが注視したのは人であって、人の付属物ではなかった。

人について考えるとき思い出す話がある。ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンのものである。ファインマンの父は徽章屋だった。勲章などをつくるのが仕事だった。子どものころ、勲章を胸にたくさんつけている人と普通の人と何が違うのかを父に聞くと、答えは「服を脱いでしまえばみんな同じ」だった。

人の付属品で人自身を判断することはできない。

ただし、人としての理想があった。紳士であることがそれだった。紳士といっても身分ではない。バークというイギリスの政治思想家は、身分はなくとも精神において紳士であることを重く見た。紳士とは生き方であった。そして紳士の条件は一つ、自分の言動に責任を持つことだった。

生まれた時代も関係する。一九〇九年、和暦で言えば明治人であるから、言葉が重い時代の人だった。今のように言葉が大量に流通する時代と違う。言葉が実体としての重みを持つ。できないことは言わない。

だから、礼儀正しい人だった。生活の中心に礼儀が置かれた時代の人だった。礼儀こそが受容的でレセプティブな生き方のはじめであり、終わりである。

ドラッカーからの手紙を見ると、礼儀正しさが表れる。簡単に本題に入ることがない。時候のあいさつからはじまって、近況をていねいに知らせる。相手への深い配慮と関心を示す。仕事の話はようやく後である。現代人のメールの文面などと比べると違う。

私が二〇〇五年にドラッカーを訪ねたときも印象的だったのが礼儀正しさだった。何度も握手して言葉で歓待の気持ちを伝える。相手が誰であっても変わりない。どんな人であっても、みな大切なパートナーである。

相手に真心からの関心を寄せる。目線を合わせる。いくつかの質問をし、相手の関心の所在を知る。インタビューにせよその他の用件にせよ、本題に入るのはようやくそれからである。

礼儀はレセプティブの生活態度にとって欠くべからざる要因である。儒教では六芸といい、基本となる生活の形式を重く見て、礼節をはじめに挙げる。形式を大切にすることは、自他の尊重を意味する。どんなものにも、しかるべき順番があり、リズムがあり、パターンがある。

礼儀はそれぞれの個性に形式を与えるものであるから、相手を受け入れる気持ちと敬意がなければ成立しない。

時間が許せば、仕事が終わってからも、食事に誘ったりなどゆったりしたひとときを過ごす。今の慌ただしいビジネス流儀とは違う。雑談一つとっても、相手の関心がスタートだった。

彼が好きだったのはささやかな人たちだった。額に汗して、世の片隅で支える小さな人たちだった。蟻や蜂のように、この世界のありようを受け入れて、こつこつと世に貢献する人たちだった。そして彼自身もそんなひとりだった。

受容的であること、あるがままを受け入れて生きることこそが、積極的で前向きな生き方なのだと知っていた。そんな生き方は実は日本人にとってはなじみのものである。

『枕草子』に見る自然や人への繊細な眼、『方丈記』の人の世の無常へのあきらめと美意識、『徒然草』にあるおかしみと超然たる目線、いずれもすべてを受け入れるレセプティブな姿勢が底流にある。

そのような豊かな精神的水脈を持つ日本人がとりわけドラッカーを理解し、実践に役立てうるのは、ある面では当然とも言える。パソコンで言えばOSが同じプログラムで書かれているのだから、ほかのアプリを活用するにも親和性が高い。

数回にわたって、レセプティブな知的姿勢について書いてみることにしたい。

レセプティブ思考――「きざしつわるもの」に着目する

自己啓発書では自分を変えよという。強迫観念のように変化を連呼する。ドラッカーは本来成熟したヨーロッパ社会の紳士であるから、無思慮な贅言にくみしない。反対である。自分を大きく変えないようにと言う。

自分の強みにないことをしてはいけない。あるものは高めうるが、ないものは高めようがない。

強みは石油や温泉と同じである。あるところにある、ないところにはない。高度なボーリング技術をもってしてもないものは掘れない。成功するまであきらめなければ必ず成功するという。愚かである。挑戦する回数ごとに成功率は下がる。できなければさっさとやめて、違うところを探したほうがよい。

自分を変えようとしてもうまくいかない。弱みが強みに変わることなど万に一つもない。わけても人の気質は変わらない。変えられないものを変えようとする努力ほど救いのないものはない。

現実を受け入れたうえで、強みを土台に築いていくのがよい。何より自分自身であり続ける。成果を上げる人は自分を変えない。コントラバスがバイオリンの軽快な旋律を奏でようとしても無理である。自治体職員に「民間ではありえない」と切れた知事がいたが、そもそも自治体は企業ではない。異なる成り立ちを持ち、異なる原理を持つ。自らの本質に反する。

強みにないことは断らなければならない。ドラッカーはできないことにははっきりノーと言った。それこそがレセプティブな者の作法である。安易な迎合は後になって大きな代償を払わされる。

オブザーバント(目を上手に使うこと)がレセプティブな姿勢になくてはならない条件のひとつである。ドラッカーは見る人だった。五感をフルに活用して、世界を知覚する。知覚する人は、外的世界に働きかけない。「マーケティングの理想は販売活動を不要とすること」と言う。レセプティブ思考の本懐と言うべきである。

販売活動をしないとは、顧客に対して受け身、あるいは受容的であることである。受け身とはある意味で消極である。

消極とは、文字どおりに解釈すれば、「極」を消すことである。環境に対して自らをオープンにすることで、環境とひとつになる。極を必要としなくなる。顧客に働きかけない。顧客を受け入れる。

売り込みは半ば強制的に自らをねじこむ。対して、マーケティングは顧客の目線に立つ。

顧客と同化する。何も足さないし何も引かない。売り込む必要がない。

武道でも受け身は身体運用の基本である。環境と静かに通電する。微弱な刺激に俊敏に動けるようにする。マーケティングの理想である。

受け身はイノベーションに通じる。環境にオープンであるから、変化に敏感になる。

イノベーションに成功する人は例外なく保守的と言う。保守的な人は日々をシンプルな繰り返しのうちに生きる。繰り返す結果として、変化を知覚する。

繰り返しのない人には、昨日と今日の違いさえ目にとまらない。

たとえば、毎日同じ電車で通勤する人は、日々環境を知覚でスキャンする位置にあるから、昨日と今日の違いが手にとるようにわかる。努力の必要はない。フィジカルにわかる。

受け身な人には変化が見える。逆に、あくせくと走り回る人には大切なものが何も見えない。

受け身は葛藤をうちに引き込む。しなやかな強靱さである。レジリエンスである。外部世界と常時静かに接続している。葛藤を避けるのではなく、進んで自らのうちに引き入れる。イノベーションへの力強い一歩である。

変化を受け入れ、自らの中に引き入れ、変化とともに生きる。もっともイノベーティブな生き方である。

葛藤のないイノベーションなどない。顧客は外にいる。顧客接点の高い営業職はできる人ほど受け身である。そしてイノベーションのよき触媒となる。日々を葛藤とともに生き、葛藤を受け入れる。営業は社会のエコシステムでもっとも知的な人である。

受け身であるならば、資源や才能などなくても十分に生き延びうる。環境に対してオープンな感度を持つほど確実な生存戦略はない。

強くある必要はない。ドラッカーは柔道戦略と呼ぶ。弱くとも生き延びる方法である。創造的模倣ともいう。ソニーがアメリカでトランジスタの特許を安く買い、ラジオを製造して大成功した例が語られる。顧客の望みや期待を知覚できれば、隙間を模倣や創意工夫で埋められる。資源を持つ必要はない。よい目さえ持てば資源上の不利など容易にひっくり返せる。実際に日本はそうやって生き延びてきたし発展してきた。

何より相手と戦わない。対立など何の役にも立たない。戦えば無傷というわけにはいかない。そうではなく相手と一体となる。調和する。相手に補完してもらう。相手に考えてもらう。柔よく剛を制す。

勝ち負けの世界ではない。横ではなく、前を見る。勝ち負けは結果にすぎない。人に関するもので、ひとつのものさしで測れるほど単純なものなどない。人を質的に見なければ、強みは見出せない。手段でなく目的と見なければ質的なことはわからない。

強みを最大限発揮したとき何ができるか。なるべくストレスなく、無理なくできるか。いかなる条件のもとに最大限発揮できるか。

近代の教育は強みの感覚に鈍感だった。生まれながら勉強に向かない子もいる。学力だけで価値付けがなされるのは、向かない子にしたら、勝ち目のないゲームに参加させられるのと同じである。無意味な競争ほど人を消耗させるものはない。

勝ち負けの尺度を組織に持ち込むことは、社会を出世の道具と考えるくらい粗暴で品のない考えである。少なくともドラッカーの考え方ではない。

強みを生かしきることは、人を成就させる。自分自身になる。勝つことではない。強みを発揮したとき、自由と責任を負えるようになる。

レセプティブはあらゆるものを生命と見る。とくに人を軽く考えてはいけない。強みのみに着目する。強みに着目するとは、よいところを見るのとは違う。ほめるのとも違う。

ドラッカーも言うように、多くの場合人は自分自身の強みを知らずにいる。

強みを見るとき、将来成果が上がりそうなことを考えると必ず失敗する。未来ではなく現在を見る。『徒然草』にある「きざしつわるもの」を見る。「つわる」とは出産時の「つわり」に通じ、自らの内側から湧き起こる生命の動きである。未来とはいかにささやかであっても、現在のどこかに実現している。

ドラッカーはかつて言った。あなたが未来に行うべき仕事は、ここ数か月に手がけた仕事のなかに入っているはずだと。

この半年ほどの間に自分が何をしたか、どのような成果を上げたかを振り返ってみてほしい。卓越したものはあっただろうか。想像以上に成果が上がったことはなかったろうか。あったとすれば、そこに今後相当のウエイトを置いていったら何が起こるだろうか。彼はそのような「きざしつわるもの」の見方を「すでに起こった未来」と呼んだ。

変化は今ここにあるものである。

レセプティブ思考――ドラッカーと日本

レセプティブは一つの時代のキーワードである。レセプティブとは、環境を受容する、レシーブする姿勢である。過剰に環境に働きかけることはしない。合気道の達人のように、相手とダンスを踊るように周波数を合わせる。敵はいない。いるのはパートナーだけである。

私はその体現者としてドラッカーを見る。そして、レセプティブ思考にもっとも習熟し、磨きぬいてきた国の一つ、いわば「レセプティブ先進国」が日本である。

時代の流れも関係している。私は、現代はよい時代であると思う。率直にそのように考えている。その重要な要因に、選択の自由が現代ほど高まった時代はなかったことがある。とくに情報の選択可能性については無限の広がりがある。

選択肢が多すぎることが、かえって悩みを生む状況にさえなっている。考えてみればぜいたくな悩みである。ほんの少し前まで、情報が手に入らない悩みのほうがあまりに切実だったのだから。

ドラッカーは日本の文化を愛した。私は偶然とは思わない。問題は彼が日本を通してどのような理念やコンセプトを見ていたのかということである。

日本とドラッカーの基底的価値観には絆がある。

ドラッカーは「自分の思想内容は、日本に含まれる」と述べた。あるいは「日本の渋沢栄一から、マネジメントの本質を学んだ」とも言う。ドラッカーは近代的思考を身に付けた人にも理解可能である。私たちはマネジメントを通して日本を理解できる。

東洋と西洋を対立でなく、調和に読み取る。ドラッカーには東洋思想がある。理性を否定するのでなく、知覚を通して理性をかえって深く掘り下げる。西洋思想の特徴を理性と考え、東洋思想を知覚と考えるならば、ドラッカーは理性の根拠を、知覚を通して明らかにした。

多元論も東洋的なものの一つである。キリスト教が一神教とすると、東洋思想は多元論に立つ。ドラッカーもある面で多元論に立つが、それによって一元論の根拠を明らかにもする。一元論と多元論を対立でなく、ともに受け入れ調和的な発展をもたらそうとする。

象徴がマネジメントだった。マネジメントに洋の東西はない。マネジメントは多文化、多元論、世界性を根拠とする。そこには欧米の独善を告発する認識上の武器がある。

ポイントは知覚をどう見るかにある。知覚こそがレセプティブ思考の認識上の武器そのものだからである。

反対に理性偏重の近代西洋は、理性を通して優劣を明らかにする。理性を通して、支配と被支配関係を基本に据える。知覚は合理より進化した精神活動である。内的に自らを自覚できる自由の精神である。自らの存在根拠を一人ひとりが自ら意識できる働きである。

対して合理は、内に根拠を見出すのではなく、外の世界を見るとき、優劣を判断し、自分を適応させる。

ベートーヴェンやゲーテは時代の社会環境や文化伝統に適応できず、それを超えた新しい意識を、自らを頼りに生み出した。時代は数世紀くだって、二一世紀初頭の現代には、ベートーヴェンやゲーテのような人たちが一般大衆に無数に表れ、自らを頼りに生きることに生きがいを感じつつある。プログラマーや企業家、NPO経営者などは現代のべートーヴェンであり、ゲーテである。

みなが自己実現を通してかけがえのない個性を実感する。外的に押し付けられた論理に頼らず、道なき道を歩み自由を体験する。そして、そこに生きがいを見出す。知覚は自由による自己確認を求める。

典型がイノベーションであり、マーケティングである。ともに外部に自らを適合させるのではなく、自ら内的動因によって外部環境を受け入れ、一体化し、創生する。

新しい知覚は、日本文化の復活を意味する。その一つが空間把握能力である。

空間把握能力は環境を受容するレセプティブ思考になくてはならないものである。

空間把握能力は、西洋よりも東洋に伝統として残る。日本の武道や芸道で残される。ささやかな民衆のなかで生きつづけ、叡智を具現する。

美的体験とも結び付く。ドラッカーは白隠をはじめとする日本画を愛し、その空間構成力をもっとも評価した。あるいはにおいを嗅いだり、音を聞いたり、美に結びつく。

茶道、香道などでは、香を「嗅ぐ」だけでなく、香を「聞く」。茶の湯も、においや音の知覚体験が美的な印象を深める。ドラッカーは来日するときなるべく京都の茶室で茶道を嗜んだとされるのも、おそらく関係しているのだろう。

空間把握能力が残るのがものづくりである。ものづくりは高度な知覚の具現である。新しい知覚文化は、西洋より日本で具体的に体験できる。

現在欧米でも東洋思想の復興が表れる。最近では、一時期のスティーブ・ジョブズが禅に没頭していたのはよく知られるし、シリコンバレーの経営者の間でも禅の修行が流行すると聞く。

評論家の小林秀雄などは知覚の芽生えを能に見出そうとした。能は原初的な知覚形態がほとんど手つかずのまま残っている演劇と言っていい。かつての日本人が感じとった繊細な世界観がそのまま濃厚に息づいている。

小林の場合、ドストエフスキーやモーツァルトの研究を通して、この問題意識が生じたわけだが、日本的知覚に関心を深めるほどに欧米文化に惹かれざるをえない。

日本の立ち位置がまさにそこである。西洋と東洋のちょうど間のちょうつがいのような場所に日本はいる。

近代以降、歴史は西洋文明と技術を中心に展開した。世界史とは西洋史と同義だった。しかし、ヨーロッパが二つの大戦で損なわれ、一度崩壊したことで、西洋を歴史とし、東洋の勃興をもたらした。

振り返るならば、東西の融合を象徴する事件が一九〇五年に起こる。日露戦争だった。日本が勝利し、列強に伍するようになったとき、西洋のみを世界史とする認識は終わり、世界史がはじまった。

第二次世界大戦後、日本は世界情勢における存在感をさらに高め、高度成長による経済大国化として表れた。日本はドラッカーの世界観のなかでも代替不能な世界史のトリックスターだった。東西融合、世界文化を育むうえでのまたとない「すでに起こった未来」となった。

この考え方の持つ意味を、もう一度理解し直すことによって、西洋と東洋を結び付けるうえでも、ドラッカーの思想は意味を持つ。

西洋と東洋を考えるとき、相互の働き合いにも、思想性が浮かび上がる。日本に生きる者にとって、ドラッカーは、欧米文化の支えになる。

ドラッカーの思想は、欧米以上に日本のためにある。日本は事実上、東西の唯一無二の結び目の役を果たす。ドラッカーは、「マネジメントがアメリカで根付くことができなかったら、マネジメントの理想は東洋の日本に移る」と考えた。ドラッカーが日本に対して、特別な期待を持たざるをえなかったのはそのためだった。

レセプティブ思考――これ以上の均質性はいらない

ドラッカーの発言に触れるとき感じさせられるのは、多様性は望ましいといった程度の生やさしいものではない。多様性がなければ社会がもたないというきわめて切実な緊張をはらむ主張である。

「雇用関係とは、もともときわめて限定された契約であって、いかなる組織といえども、そこに働く者の全人格を支配することは許されない」――これがドラッカーの持論である。

会社が一元的に個を縛るなど想像するだに醜悪な構図である。

一方で多様性が大切でないという意見を聞いたことがない。教育現場でも、ビジネスでも、多様性や個性といったものがポジティブなものとして言われる。

だが、時にこの社会は本当の意味で多様性を欲しているのか疑問に思う。現実のグローバル世界ではむしろその逆、均質性の高まりさえ実感させられるからだ。

グローバル社会になっているからといって、多様性が自動的に実現しているわけではない。筆者は先般ヨーロッパとロシアに旅行に出かけたのだが、先々でスマホに釘付けの人々の群れを目にしている。

スマホ中毒は日本独自の現象でも何でもない。どこに行っても同じである。「世界にはこれ以上の均質性はいらない」とドラッカーは言う。必要なのは多様なモデル、多様な成功、多様な価値観である。

本来マネジメントが多様性を原理に成り立っているのは、マネジメントのお手本が自然生態だからである。植物も動物も細菌も鉱物も多様性をもとに相互に共生しながら生きている。対立し合っているように見える動植物同士さえ、全体から見れば一つの共生の円環によって結ばれている。

企業経営の卑近な例を言えば、会社の取締役会である。取締役の面々が判で押したように似たような経歴、似たような専門性の場合、個々の能力がいかに高かろうとも、チーム全体としての力は脆弱になる。四番バッターしかいないチームは弱い。

イタリアの同族マフィアでも、あえて一族外からの幹部を一部は迎え入れておくという。多様性を意識的に維持しておかないとちょっとした変化にも対応できなくなるからだ。

ある論者は取締役会には詩人がいたほうがよいと言う。しばしば公益法人などの幹部会に作家が入っているのはおそらく似た発想がどこかで働いているものと想像する。ビジネスだからといってビジネスマンだけで意思決定を統一するのは危険である。同じことはほかの領域にもいえるだろう。教育、政治、技術、すべて専門家だけに任せてしまうときの危険は影響力が大きければ大きいほどにとりかえしのつかないものになる。

現在の日本の政治状況でいささか気にかかるのはこの点である。アベノミクスなどの信念を伴う経済政策はあってよい。だが、それに対してはしかるべき反対意見が聞かれるのが健全な状況である。反対意見はあったほうがよいのではない。なくてはならない。

自然科学でさえ、K・ポパーの言うように、反証可能性、すなわち異なる視点からの批判的意見がなければ命題の正しさは支持されえない。空間概念をはじめとする物理学の科学的命題でさえ、これまで何度も批判に晒されそのたびに修正を余儀なくされてきた。

まして、政治・経済・社会といった純然たる人間活動ならなおさらだ。批判的見解による発展可能性が阻害されてはいけない。現在の経済政策において、ごく一部の経済学者を除けばほぼ反論や反対意見が聞かれない。事態は悪化していると見てよいだろう。

ドラッカーは一九四六年に公刊した『企業とは何か』で早々に組織での多様性の確保が企業全体の生命線になることを述べている。彼はGMの内部調査からその事実に思いがいたるのだが、多様性を維持するためのGMの会議を「スローン会議」と呼んでいる。

スローンとはGMの会長だったアルフレッド・スローン・Jr.である。

彼は重要事項の決定で反対意見を見ないものは、反対意見が出てくるまで決定を延期したとされる。満場一致の意思決定は不十分であるばかりでなく、誤った決定をしても取り消せないという修正不能のリスクをはらむからだ。

逆から見れば、たった一つの意見でしか決定がなされないならば、何も決定しないほうがはるかにましとの強固な信念が彼にあったことを表している。

現実にたった一つのロジックで説明されてしまう世界なら、何も説明されないほうが害悪は少ない。同じことは個々人の仕事や人生についても言える。

そこで言えるのは、たった一つの原理しか据えないならば必ず悪くなるということである。凄惨で醜悪な二〇世紀の歴史から私たちが学びうる最大の教訓であろう。

ドラッカーがマネジメントを広く個々の人生にまで適応して発言を始めたのは企業のマネジメントを体系的に分析し始めたのとほぼ同時期であった。『現代の経営』(一九五四年)において次のように述べている。

「えてして会社は、自らの経営幹部に対し、会社を生活の中心に据えることを期待する。しかし仕事オンリーの人たちは視野が狭くなる。会社だけが人生であるために会社にしがみつく」。

仕事だけしかない人生が仕事そのものに対してさえマイナスなのは、先の取締役会の例とまったく同じ理説に基づく。確かに会社は個々の社員に会社中心の生活を暗に強要するところがある。なぜなら、会社自体が、社会のなかで離人症的な感覚を持ちやすい、閉鎖的な組織だからである。

しかし、会社中心主義への誘惑に屈してはならない。というのは、自らの人生のためばかりでなく、仕事自体のために会社オンリーは危険なのだとドラッカーは言う。つまるところ、会社しかない人にとっては、会社さえない。たった一つの視野しかないということは、その視野さえも失っているということである。ものごとはほかの視野との類比において意味を持つものだからだ。

これまでレセプティブ、すなわち受容的な姿勢の大切さについて述べてきた。とくにこの姿勢は人生の後半を始めた方々、年齢で言うと四〇歳の坂を越えたあたりからがぜん意味を持ち始める。

仕事オンリーだと、「空虚な世界へ移る恐ろしい日を延ばすために、自らを不可欠の存在にしようとする」とドラッカーは言う。たった一つのことにしがみつくのは、それなしで生きられないからではない。多様な世界からの斜眼帯を手にしたいがためである。他者だけでなく自分をも欺くことだ。

いかに否定してみても、心の奥深く行動の原点に近いところで、自分を不可欠の存在にしようとする意識の動きを感じることが私自身の中にもある。

そんな一つのことに執着し、縛り合う関係が生産的であるはずがない。一方が縛り、一方がしがみつく関係が自由で創造的であるはずもない。

本当に多様な職場があるとしたら、そもそも詩人、収集家、音楽家をごく自然に同僚に持っているはずである。実際に筆者は童話作家を同僚に持ったことがあるし、声楽家をパートナーとしたことがある。豊かな世界であったのを実感する。