概説ドラッカー経営学(6)-NPOが教えてくれる未来

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NPOが組織の未来について教えてくれること――ミッション

ドラッカーは特に一九七〇年以降、非営利組織や小企業のコンサルティングを積極的に引き受けるようになる。その多くはボランティアだった。なぜドラッカーは非営利組織のために持てる知的リソースを大胆に割いていったのか。

アメリカでは、九〇〇〇万人のボランティアが、それぞれのコミュニティにおいて、責任ある市民性を体現している。事実上、非営利組織のほうがアメリカ社会の中核であり特性である、彼はそのように直観した。

経済規模で言えば、企業のほうが数値上は大きい。しかし、問題が社会にかかわる限り、数値で測定できるものに意味があることはむしろ例外である。「眼」が体の中で物理的に占める割合はごく微小ながら、心身全体の中で突出した意味を持つのに似ている。

もちろん企業が中心の座から転落したのではない。企業が社会的機関として持つ役割は依然中心的な意味を持つ。かえって、社会の中心をなす機関として、企業はその一つをなす要因に変わったと見てよい。

一九六九年の『断絶の時代』で、ドラッカーは多元化の時代の到来を説いた。社会全体が多元化していくならば、その中心を占める組織も、マネジメントも多元化していくと考えるのが自然である。ドラッカーが目をとめたのはそのような多元化する社会の実相だった。

ドラッカーは非営利組織向けに「最も重要な五つの質問」なる手法を開発した。対象はノン・ビジネスだった。しかし、ドラッカーの視野の中心は人と社会にあったから、厳密に言えば、ノン・ビジネスとビジネスとの間にさしたる区別はない。ともに成果をあげ、同時に個人に市民性を与えるべく期待される組織であることに違いはない。

では、なぜドラッカーは非営利組織向けの経営ツールを開発したのか。彼は、非営利組織の持つ特有の問題に着眼した。ミッションや理念が立派であっても、「マネジメントが不在であった」の一点に尽きる。

確かに、非営利組織にはそのような傾向があった。教会にせよ、病院にせよ、協同組合にせよ、「良き意図」で十分とする風潮があった。

ドラッカーは残酷な二〇世紀の変動期の生き証人として、良き意図のみの危険性をよく知っていた。天使が経営を行っても利益に関心を持たないわけにはいかないとの彼の発言が、そのリアリスティックな感性をよく表している。

経営には途方もないほどの実務的要因を伴う。組織というのはある面で石を金に変える装置である。

良き意図が現実には堕落と無能を生む可能性がある一方で、悪しき意図が結果として人々を救済する可能性もある。ナチスなどは、意図そのものは反文明的でありながらも、一時にせよ目の覚めるような経済的成果を生み出した。

良き意図には良き成果がなければ意味がない。誤ったことを正しく行うのも間違いだが、正しいことを誤った方法で行うのも間違いである。彼は、良き意図にふさわしい成果を手にするにはしかるべき方法論、すなわちマネジメントが不可欠であることを痛感したからこそ、非営利組織への助力に六〇歳以降の残された人生を賭けたのだった。

ドラッカーは次のように述べていた。「今日の非営利組織は、損益というコンセプトがないからこそマネジメントが必要なことを知っている。ミッションに集中するにはマネジメントを駆使しなければならない。ところがこれまで、非営利組織のマネジメントのための経営ツールがほとんどなかった。私の知る限り、ほとんどの非営利組織の成績が『並』である。努力が不足しているわけではない。懸命に働いている。問題は焦点がぼけているところにある。加えて経営ツールのないことにある」(『最も重要な五つの質問』)。

「最も重要な五つの質問」は、今行っていること、行っている理由、行うべきことを知るための経営ツールである。次の五つの問いからなる。

「われわれのミッションは何か」

「われわれの顧客は誰か」

「顧客にとっての価値は何か」

「われわれにとっての成果は何か」

「われわれの計画は何か」

いずれも、ミッションに焦点を合わせ、成果をあげていくためのものとドラッカーは言う。

逆に言えば、この五つの問いはミッションへの意識を日常にする効果を持つ。ミッションを持つとは「ノー」と言うのと同義である。

非営利組織のみならず、自分のミッションでない仕事に対して「ノー」と言うのは難しいことである。特に日本の組織のように微温的な風土では、「ノー」と言うだけでも一苦労である。

かつてある日本人の作家が、「仕事を断るのが仕事」として秘書を雇った経験をエッセイに書いていた。現実に、それくらい「ノー」と言うのは一つの大切な仕事であることが多い。

ドラッカーはある教育関係の非営利組織で活動している友人との対話についてこう書いている。彼は友人に対して、「行っていることの半分は、行っていてはいけないことなのではないか」と言ったという。別にその友人が無駄な仕事ばかりをしていたということが言いたいのではなかった。重要な仕事でないというわけでもない。ほかにもっと上手に行うことのできる人たちがいるのではないかとの意識の喚起だった。

仕事にまつわる問題にはこの種のものが無数にある。ミッションを忘れ、日々の仕事に取り込まれてしまうと、やがては社会という巨大な挽き臼にすりつぶされるだけで終わってしまう。そうならないために、個としての、あるいは組織としてのミッションを明確に灯火として掲げる必要がある。

最初の質問は「われわれのミッションは何か」である。組織とは自然の産物ではない。人の意思と尽力があってはじめて組織は機能する。ミッションとは存在理由である。この質問は「何のために存在しているのだろう」という根源的な問いである。したがって、それに答えるには熟慮を要する。

ドラッカーの言うほかのコンセプトにも共通することだが、ミッションもまた自明のものではない。常に考え抜く姿勢を要求する。いかに多忙であっても、いや多忙であるからこそ、ミッションは小手先で処理するわけにはいかない。人に代わって考えてもらうこともできない。そもそもミッションはアウトソースできない。きちんと時間をとって、メモを取りながら、考え抜くことである。

「われわれのミッションは何か」は建物で言えば正面玄関である。外部から最もはっきり見えるところであり、象徴とも言えるコンセプトになる。

ミッションを考え抜くに当たって、ドラッカーはいくつか役に立つ助言をしてくれている。一つは、Tシャツに印刷できるようなすっきりとわかりやすいものがよいと言う。加えて、明日への一歩ではなく、「今日何をするか」にかかわるものである。

言葉の美しさより、成果にかかわる行動を促すこと、ミッションの意味である。

NPOが組織の未来について教えてくれること――顧客

第二の問いは「われわれの顧客は誰か」である。顧客とはビジネスの世界ではよく聞くが、非営利組織ではあまり耳にしない。しかし、いかなる組織にも顧客がいる。顧客とは必ずしも製品やサービスに対価を払う消費者だけではない。

教会にとっては信者が顧客であって、学校では生徒が顧客である。病院では患者が顧客で、ケースワーカーにとっては貧困家庭が顧客である。顧客とは端的に言えば組織の成果を判定する究極の尺度である。

ドラッカーは「あなたの組織が成果をあげるには、誰を満足させなければならないか」という問いへの答えがそのまま顧客は誰かを教えると言う。ここからも、顧客とは経済的な概念ではなく、社会的な概念であることが分かる。

非営利組織の顧客には二種類ある。一方は、活動対象としての顧客である。外部の世界にいて、組織の活動によって生活と人生を変えられる人たちである。第一の問いはミッションだった。ミッションは内的な動因であり、その明確な言語化を意味する。さらにそのミッションを行動に転換し、具体的な成果につなげるためには、外部世界への大胆な架橋が必要となる。それを可能とするのが外部の顧客である。ドラッカーは架橋を成功させるには、活動対象としての顧客を絞らなければならない。

もう一方は、パートナーとしての顧客である。従業員、ボランティア、寄付者、委託先など、組織の活動によって満足を得る人々である。パートナーとは組織が提供するものに「ノー」と言える人たちである。気に入らないことがあれば、さっさと辞めてしまえる人たちである。

とくに非営利組織は自発性を基礎としている。ちょっとした諍いなどは頻発する。しかし、パートナーとしての顧客が満足しなければ成果をあげることはできない。彼らも大事な顧客である。

非営利組織のマネジメントにあってはつい内部の組織の論理を優先したくなる。ドラッカーはそこに硬くて鋭い釘を一本刺す。「パートナーとしての顧客を活動対象としての顧客と同一視したくなるのは人情である。しかし成果をあげるには、その焦点はあくまでも活動対象としての顧客に絞らなければならない」(『もっとも重要な五つの質問』)。

うっかりすると、内部の人間関係で外部の世界についての重要な意思決定をしてしまう。そのような誘因に駆られるのは世界共通の現象である。だが、それではだめだという。つまるところ、組織はそれ自体何も生み出すことがない。組織は外部の世界に壮大な架橋を行わない限り潜在的な力を持つにすぎない。書かれても投函されなかった手紙のように、メッセージとしての力を持つことがない。

場合によっては、積極的に動いて顧客を開拓しなければならない局面もあれば、逆に、ニーズが満たされていたら活動をやめなければならない局面もある。ほかの組織に委ねてしまうことも考えられる。そこは千変万化である。顧客のニーズなどという既定の欲求があるわけではない。

つど創造されたり刷新されたり、消滅したり形を変えたりする。あるいは、何かの行動がまったく異なる顧客のニーズを顕在化させることもある。ドラッカーは「いかに検討した後でも、顧客には驚かされることがある」と言っている。

第三の問いは「顧客にとっての価値は何か」である。考えるほどに顧客とはスフィンクスのごとき謎である。ニーズ、欲求、期待はあまりに複雑であって、顧客本人しかそれを知らない。場合によっては顧客自身も薄く感じとっているのみで、明確に言語化できない場合もある。それでもあえて、ドラッカーは「顧客は皆合理的である」と前提せよと言う。

そこで言う合理的とは、客観的な合理性ではなく、それぞれの内部的世界においては辻褄が合っているという意味である。そう考えると、どのように不合理に見える顧客の行動も、首尾一貫した内的合理性を持つと言える。

それらはあくまでも顧客の内部で進行することだから、第三者が見て簡単に分かるはずはない。「自分は顧客を知っている」などとうぬぼれて、安易に答えを想像する姿勢をドラッカーは強く批判する。それでは博奕と何ら変わらない。

反対に、「自分は顧客を知らない」からスタートするのが正しい姿勢である。知らないのならば、言うべきことは一つしかない。「教えてください」である。顧客にとっての価値は何かを知る唯一の答えは、直接顧客に答えを聞くことである。

ドラッカー自身も、大学教授、コンサルタントとして顧客に聞くことを実践していた。毎年、一〇年前の卒業生五〇人から六〇人に電話をし、「振り返ってみて、この大学院はあなたに何を貢献できたか。今でも役に立っていることは何か。どうしたら改善できると思うか。私たちが止めるべきことは何か」と聞いていた。そこから得た情報ほど現実の大学院運営に役立つものはなかった。

ドラッカーはあえて、この第三の問いが「五つの質問」で際立って重要であるとした。同時に、実践の難しい問いでもあると言う。なぜか。非営利組織も企業も、プロフェッショナルからなる。その分野に精通し、顧客の言動もよく見ている。しかし、そこではプロとしての想像力がかえって仇をなす場合がある。

自らは顧客を知っているとしながらも、あくまでも目線は提供する側である。この顧客の目線を獲得するというのは、演奏家が演奏しながら、観客の目線を持つのと同じくらい難しいことである。プロでありながら、非プロの目線を持てと言う、ある面で矛盾した要請だからである。

大切なのは、顧客それぞれがまったく異なる目線で組織を見ているという事実である。学校であれば、教育委員会、現場の先生、父母会、市民などパートナーとしての顧客はそれぞれが見たいように学校を見ている。価値観もばらばらである。完全に全員を満足させることは不可能にしても、外部の顧客に焦点を合わせて組織を継続可能な程度には満足度を維持する必要がある。いかにマネジメントというものが奥深いかがこの一点からも分かる。

少なくとも、顧客になり代わって自ら答えようとするのは提供者側の傲慢にすぎないことを知らなければならない。

いずれにしても、顧客の価値を知るには、耳を傾けるというのがドラッカーの一貫した助言である。それ以外はないと言ってもよい。内部のミッションを外部に架橋し、それをさらなる現実的な行動に落とし込むには、顧客が何を成果と見なすかへの理解を避けては通れない。多様な顧客が何を求めているかを一つの組織で実現するのは、しばしばドラッカーが例に挙げるオーケストラの指揮者とまったく同じである。

各奏者のパート、それに伴う特性などは異なるものの、その多様性を一つの全体に統合することは指揮者固有の機能である。ドラッカーは言う。

「分かってしまえば至難というわけではないが、大変な仕事であることに変わりはない」(『もっとも重要な五つの質問』)。

NPOが組織の未来について教えてくれること――成果、計画

引き続き、非営利組織向けのドラッカーの助言を見ていくことにしたい。問いの形式をとって展開される。

第四の問いは「われわれにとっての成果は何か」である。成果を定義することである。成果とは、活動の結果外の世界で何が変わったかに関わるものである。しかも、成果は単一ではない。

一本の樹木が健康かを判定するのに、果実のみ見ればいいというわけにはいかない。葉の色つやや幹の様子、見えない土の中で根がどう生育しているのか、いくつもの視点で想像力をフルに駆使して見ていかなければならない。

企業の場合は、樹木で言うところの果実に相当する「利益」という分かりやすい尺度がある。利益のメカニズムは単純である。どんなに意味ある活動をしていても、利益を上げられなければ企業は存続できない。

しかし、非営利組織の場合などは、利益に相当する明瞭な尺度はない。企業の最大の利点は倒産できる点にある。非営利組織の場合、この倒産という能力が企業に比べてさほど強くない。

ドラッカーはだからこそ成果をはっきりさせよと言う。非営利組織のほうが多様な成果をマネジメントに織り込む必要がある。日ごろから成果とは何かを考え抜き、開発していく姿勢が求められる。

成果を明確にするにはどうしたらよいか。二つの種類の成果を設定せよとドラッカーは言う。定性的な成果と定量的な成果である。

定性的な成果とは、質的なものである。活動が世の中に与えた変化を物語として持つことである。そのためには活動を詳細に観察し、パターンを認識する必要がある。いかなる組織にも、数値に換算不能な物語がある。一例として活動を始めた時の神話がある。神話を共有することが、組織に伴う信念と絆を表す。あらゆる組織が同様の物語を持っている。

どのような志でスタートしたか、立ち上げの時の難局をどう乗り切ったか、倒産の危機を救ったのは何だったか――。

そのような物語が、ミッションを強め、顧客へのフィードバックを強力なものにしていく。

アメリカの製薬会社イーライ・リリー社は一八七六年設立で、百年以上の歴史を持つ、イーライ・リリー氏の創業になる会社である。創業前、リリー氏は薬局の店主をしていた。ある時、店先に小さな女の子が立っていた。

女の子はおもむろに「おじちゃん、ミラクルをちょうだい」と言う。リリー氏はそれを聞いて、「ミラクル? そんな薬はないけれど、どうしたの?」と尋ねる。聞くと、女の子の母が末期癌で死の床にあった。女の子は、一度は寝かされたけれども、心配で矢も楯もたまらず、ドア越しで聞き耳を立てていたと言う。医者の説明で「もう助からない。ミラクルにすがるしかない」というのを聞く。女の子はそれを聞いて、ミラクルがあればお母さんは助かるのだと思い、翌朝なけなしの小遣いを握りしめて、リリー氏の店に行き「ミラクルをちょうだい」と言ったという話である。

それを聞いたリリー氏は、「今は薬局で薬を売っているけれども、いつか本当にミラクルを起こせるような薬をつくりたい」と思い立ち創業したのが、イーライ・リリー社だった。創業の物語を映像で伝えている。物語はそのまま人の心に飛び込み、熱を持ち百年を経ても成果として記憶され続けている。このような定性的な成果も、体系的に収集せよとドラッカーは言う。

もう一つは定量的な成果である。定量的な成果には客観的な尺度がある。そこでは測定可能なデータとして提供する必要がある。ドラッカーが例に挙げるのは、「美術の授業時間数と非行の減少の関係」「生活保護家庭における義務教育修了者の就業率」「医療における新たな知見の利用件数」「一〇代の喫煙人口の減少」「二四時間電話受付による児童虐待事案数の減少」などである。

いずれも、資源は成果に向けられたか、進歩は見られたか、生活とコミュニティは改善したかを具体的にフィードバックするうえで、意味を持つ。このように、定性と定量、あるいは主観と客観をともに追求して成果の本質に至れ、と彼は助言する。

第五の問いは「われわれの計画は何か」である。ここから第一のミッションの問いにフィードバックしていく。

ドラッカーにとっての計画とは、明日への指針であって、変更不能な原則ではない。計画は活用すべき手段である。手段にとって変更は宿命であって、現実に合わせて柔軟に対応することが求められる。しかも過去も現在も未来も縛らないものでなければならない。

限りある身としての人間に明日を知ることは許されない。計画とは、行くべき場所と行き方についての目論見を規定する見解の一つにすぎない。いかに優れた計画も、意思決定やリーダーシップの代替物ではありえない。

一九五七年の『変貌する産業社会』でドラッカーは述べている。「計画は、未来が現在と異なるとの認識からスタートしなければならない。計画がリスクを回避しうると素朴に信じられているが、それほどに危険な妄想もない。計画はリスクを創造し、リスクを引き受ける」。

計画の初めに行うべきことが、ミッションを確認し、目標を設定することである。とくに非営利組織の場合、組織の存続を確定する一義的な尺度がないために、時にミッションの高邁さに陶酔する傾向がある。だからこそ企業以上の熱意をもって、「目的は何か、何のためか」を問い続ける必要がある。

計画にあって、いずれへ資源を集中するかを示すものが、ゴールである。「組織が本気であることを示すものである」とドラッカーは言う。彼は自らの体験から、ビジョン、ミッションからゴールに至る筋道として、次のような例を教える。ある市立美術館によるものである。

ビジョン―世界の多様な美術品を市民の心の糧とする街

ミッション―市民と美術品との触れ合いの増大

ゴール一―美術品の保全と収集

ゴール二―展示、講座、出版による啓蒙

ゴール三―来館者数の増加

ゴール四―設備の充実と運営の改善

ゴール五―財務基盤の確立

以上が五つの質問によるミッションと点検である。このミッションと点検のプロセスは、セルフモニタリングとして、繰り返し行われるべきものである。

何度も同じことを繰り返す。成長は継続的なモニタリング以外の方法で知ることはできない。

どれだけ外の世界を変えたかを知るには、この五つの問いを何度も繰り返すしかない。行動の前提が変わってしまったり、成果があがらなかったり、あるいはとんでもないところからチャンスが現れたりもする。不測の事態が日常の世界だからこそ、計画に意味がある。

計画の最大の利点は修正できることにある。どこまでいっても優れた手段以上のものにはならない。