概説ドラッカー経営学(2)-強みに築く

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真摯さと強み

問いかけがドラッカーの得意とする常套的手法だったのは案外知られていない。

ドラッカーはあるところでギムナジウム時代の恩師フリーグラー牧師に教わった問いによる方法を「過去の囚人となることなく成長することを可能にしてくれた経験」の一つに数えている。

人とは誤りを犯す者であり、いずれ死すべき者である。不完全で、孤独である。そもそも人とは本来的に矛盾し分裂している。永遠の観念を持ちつつも、時間の中を生きている。聖性と俗性を同時に生きている。人は問いによって過去を捨てる。問いとともに成長する。

ドラッカーは、真摯さとは何かという一つのシンプルな問いを通して、マネジメントのバックボーンを説明しようとした。その問いが、目の前の雑然たる業務にとらわれがちな視線を少しだけ上に上げてくれる。可能態としての未来を教えてくれる。彼は一九五八年の日本での講演で次のように述べる。

「私が初めて社会に出て仕事を持つようになったころから、一貫して世の中は暗く、そして陰惨たる場所だった。破局の不安がつきまとい、その多くは実現した。もっとも悲観的な予測さえ、時には楽観的過ぎた。しかしそれにもかかわらず、われわれが生き延びられたのは、重要な仕事についている人々が働き続けたからに違いない。明後日に対する希望までをも失ってしまうことはなかった。それというのも、ときどき目を上げて水平線のかなたを仰ぐことができたからだと思う」。

一九五九年の著書『明日への道標』でドラッカーは初めてマネジメントの歴史的位置を示している。同じ文脈で、歴史家のウィアム・ドッドが日記の中でナチスの宣伝相ゲッベルスが博士の学位を有していたのに驚きを隠さなかったことを記している。ドッドを驚愕させたのは、ゲッベルスがなぜ学位を持ちえたのかではなかった。ドイツの教育機関がなぜゲッベルスを生み出しえたのかにあった。

ドッドはドイツの教育制度を心から尊敬していた。だが、ドイツの教育制度が理想の具現や価値の付託にいつしか無関心となり、職業準備機関へと堕落たのをドッドは嘆いたという。

ドラッカーはこのような様相を「知識人の裏切り行為」として批判する。教育の進んだ社会たる知識社会にあってこそ、ドラッカーは高次の人格の陶冶を不可欠のものと見た。彼自身がくぐり抜けた野蛮な時代の経験によるものだった。

彼は人としての品位と資質を「真摯さ」と呼んだ。彼はかなり早くからそのことを指摘している。たとえば、一九四六年の『企業とは何か』でそれを組織における人間についてなくてはならない資質とみた。

真摯さは原語でintegrityという。一義的に確定するのは難しいが、おおむね個の人格に潜む高次の統一性を指す。本来は、裏表のなさ、精神的一貫性、分の弁別の意である。わかりやすく言うと、清廉潔白で、ずるいこと、卑怯なことをしないといった意味である。

「真摯さ」とはドラッカーの翻訳者にして研究者の上田惇生氏による訳語であって、名訳だと思う。ドラッカーはマネジメントの資産として人の大切さを説き、そのほぼ唯一の資質として真摯さをあげる。

組織も人も社会も彼の世界観にあってはみな生成発展する生き物である。長期にわたって繁栄を続けるには、組織内の人間が、自らの能力を超えて成長できなければならない。その「根」を提供するのが真摯さである。

彼が教育やマネジメントに期待した重要な機能とは、そのような精神や魂の統一性を発見し、活発に働かせ、一つの人格として世界と和解させることにほかならなかった。

社会や組織は人の集まりである。一人として同じ顔がないように、一つとして同じ社会はない。一つとして同じ会社はない。驚倒するほどにこの世界は多様性と繊細さに満ちている。

それら一つとってもこの世界は神秘そのものである。だが、世界が多様なだけかというとそれだけでは言い尽くしたことにはならない。多様のなかに統一的な感性が確かにある。

不思議なことに、誰が見ても、美しいものはそれと感知される。きれいなものは老若男女問わず、そのようなものとして受け入れられる。そこには個別性に発する一つの普遍の世界がある。欧米、南米、アジア、アフリカ、世界中のどこに行っても変わることのない精神的尺度というものが厳にある。

実際にインテグリティとは、いわば「インテグラル」なものだから、それ自体統一を志向する概念である。

その意味で、真摯さは人間社会の普遍の尺度であって、世界中にあって変わることのない精神的価値である。いわば共通の資質である。後から学ぶことができない、生得的な資質である。真摯さなくして経営を行うことはできないし、社会を維持発展させることもできない。

他方、彼が真摯さに加え、個の持つ卓越性にマネジメントの焦点を据えたのも、そのことと深く関係する。彼は個の卓越した部分を指して、強みという。強みや真摯さは、ドラッカーが評価する社会学者ジンメルの言うコップの「取っ手」の役割を果たす。あるいは、扉のノブの役割を果たす。取っ手を獲得するとき、コップは初めて生きた世界での意味を得る。

ノブを獲得するとき、扉は初めて外の世界と通じる。自らを外の世界に融和させ、そのなかで有機的な意味を得る。

人も社会もみな同じである。人は強みと真摯さを獲得したとき、初めて世界において、自らを目的・手段の双方として生きることができる。そのことが人をして個としてのみならず、社会的存在として生きることを可能とする。

そこでは目的・手段は両価的な媒介として自由な生の展開における条件となる。個は社会を内に取り込み、社会は自らを内に取り込む。そのとき同時に、成果が単なる個の体験を超えて社会的な意味を獲得する。

強みも真摯さも自らのものであって自らのものではない。生み出された時点では自らのものであっても、社会的なもう一つの意味が与えられたとき、個の思惑を超えた別の実体となる。いわば公的なものとなる。「世のため人のため」のものとなる。

反対にゲーテの『ファウスト』の主人公などはまったく逆の例である。ドラッカーがしばしば知識のために悪魔メフィストフェレスに魂を売ったこの物語に注目するのも偶然ではない。ファウストの物語そのものが、社会を捨て、社会的な位置と役割を失った者の物語であった。いわばドアノブを失った扉の物語だった。

このことを考えるにあたり、ドラッカーはきわめて重要な警告として次のように述べるが、今を生きる者にも深く響くものに思える。「金を得るために、妥協してはならない。品位にもとる機会は、拒否しなければならない。さもなければ、魂を売ることになる」

現場が原点

マネジメントの原点となるコンセプトにより立ち入って考えてみたいと思う。

ドラッカーの考え方の基本は現場にある。彼は終生書斎の人ではなかった。大学で教えながらも、コンサルティングの現場を複数持つことで自らの言説が高度なリアリティーとともに、訴求力を獲得するのを知り抜いていた。

マネジメント原点の書は『企業とは何か』である。一九四六年に公刊されたもので、GMの内部調査をもとにした書物である。彼がそこで述べたポイントが三つある。

第一は「マネジメントに絶対はない」。第二に「社員が現場を知っている」。第三に「企業は社会のことを考えよ」。いずれも現代に通じる原点的考察であって、なかなかに意味深長である。

第一のポイント「マネジメントに絶対はない」は現代を生きる者なら実感せざるをえないものと言えるであろう。現場とは不如意とトラブルの連続である。処理すべき問題が頼まれもしないのにわいて出てくる。人体でいえば、絶え間なく細胞が老化し排出されるのに似ている。

そのことをドラッカー流にいえば、「あらゆるものは陳腐化する」ということになる。陳腐化したものは処理し排出しなければ、新たな生成活動が不可能になる。

陳腐化に例外はない。マネジメントも陳腐化する。人も資源も、社会も文明さえも陳腐化に逆らうことはできない。バブル時代に成功したマネジメントがデフレ時代にうまくいくなど万に一つもありえない。ごく当たり前の事実である。

ドラッカーはマネジメントを生命に形式を与える活動ととらえていたふしがある。言うなれば、マネジメントとは生命に関わる「永遠の過程」である。

生命ほど多様なものはない。これで確立されたということはありえない。マネジメントは生成するものに暫定的な形姿を与えるものであって、その原理からしても定型性を拒否する。同じ企業であっても、規模や業界によってマネジメント・スタイルは異なるし、同じ組織であってさえ、部門が異なればマネジメントは違う。まずもってそのことを認識せよというのがドラッカーの主張の一つだった。

考えてみれば、このことは大発見である。人は万古不易の方法を求めがちである。頭脳明晰な人ほど、変わらざる真理、万能薬を求める傾向が強い。ドラッカーはそのような知的姿勢に批判的だった。

成り立ちのいい加減なものを「胡散臭い」という言い方をする。胡散とは万病に効くとされ、古代インドにあったという幻の薬の名称である。いわば万能薬だ。万能薬の看板を掲げるものにはどこか嘘くさいものがある。この世にそんな都合のよいものはないのを誰もが潜在意識では知っている。だからいんちきの臭いがする。「胡散臭い」のである。

ドラッカーがマネジメントについて言ったのも同じである。

万能薬ではない。一つの思考の補助線であり、考え方である。第二に、仕事を知っているのは社員だとした。今でこそ当然と思われる向きもあろうが、ドラッカーが一九四六年に言うまでほとんど主張されたことのない命題だった。会社からすれば社員などいかに怠けて給料をもらうかしか考えていない人たちだった。経営者の思考前提だった。そんなやる気も主体性もない人間をいかにして働かせるか、戦前戦後の組織理論は終始その問題に腐心してきたとして過言ではない。

だが、そのような考え方はドラッカーが自ら観察した現場の真実に反していた。現場の人々は仕事を知っていた。経営者よりはるかに知っていた。知っているばかりではない。仕事のことを深く考え、思いを寄せていた。ならば、マネジメントとしてなすべきことは簡単である。

現場に聞くことである。この聞くというシンプルな行為がいかにマネジメントの跳躍台たりうるかを彼は強調してやまない。

実際に、役員会でいくら議論し想像してみても、わからないものはわからない。頭のいい人が千人集まってもわからないことなどこの世にはいくらでもある。だが、そんなわからないことが現場に聞いてしまえばあっけなくわかってしまうことが少なくない。

ドラッカーの趣味は山歩きだった。ハイキングである。晩年にいたるもカリフォルニアの山々を歩いた。山荘も所有していた。

日本に来たときにも富士山をはじめ各地の山々を登って巡ったという。彼の一九五〇年代後半の経営者セミナーが箱根で行われたのは、たぶん彼の山好きが関係しているだろう。新幹線に乗るときも、富士山の姿が見えてくると子どものように喜んだという。

山頂に立つとき、彼が同行者に話したエピソードがある。山頂からしか見えない景色というものがある。しかし、山頂から絶対に見えない景色もある。山にいる以上、見えないところが必ずある。今見えているものは全体のごく一部に過ぎない。

経営者はみな自分の手にした視野がすべてだと思う。錯覚だ。見えていないものがそれこそ山ほどあるのに気づかなければならないと言った。立場の違いは錯覚を生む。常に見えない部分がある、そこに意識を馳せよというのがマネジメントに携わる者への重要なメッセージの一つだった。

慢心とはそれ自体が失敗の一部である。上に行くほど実は見えなくなっていることに気づかなければならない。たいていの人は勘違いする。上に行くほど見えていると思っている。

現場が大切という命題に逆らう者はほぼいないだろう。だが、なぜ現場が大切なのかに思いを馳せる人はさほど多くない。理由は、そこでしか見えないものがもっとも豊富にある場所だからだ。そして現場で企業の生命活動の大半が営まれているからである。

第三のポイントである。近年CSRなどと言われる。企業の社会的責任と訳されるが、ドラッカーは単に「責任」とだけいった。

このことを述べたのはドラッカーが必ずしも先駆者ではない。卑近な例で言えば、近代日本の実業家にして「論語と算盤」で著名な渋沢栄一などは明治初期に企業の持つ社会的責任をあらかじめ機能に織り込んでいた一人だった。ただ声高に言わなかっただけである。

ドラッカーが述べたものも大仰なことなど一つもない。あくまでも本業を傷つけることなく社会に貢献できるならば貢献せよと言う。あえて言えば、企業などいくら大きくても社会という大海の一滴に過ぎない事実を忘れてはいけないと言った。規模に関係なく、海がなければ船は生きられない。

人はうっかりすれば自分が身を置く世界を全世界と錯覚してしまう。巨大企業が世界には自分しかないなどとかりそめにも思おうものなら、社会的脅威以外の何者でもなくなる。

ドラッカーがくぎを刺したのはそのことだった。

日本社会を考えてみるとよい。電力企業が、テレビ局が自らを全世界と錯覚したらどうなるだろうか。企業とは巨大な権力の実勢を手中に収めながらも社会に活かされている。そのような考えが許されるはずはない。別に積極的によいことをしなくてもいいから、せめて海の広さを意識してほしい、彼はそう願ったのだった。

マネジメントの三つの役割

マネジメントの役割についてドラッカーが語ったことを思い切って要約すれば、次の三つだった。

第一に、それぞれの組織に特有の社会的機能を全うすることである。事業、本業を通じて、社会に貢献することである。

第二に組織に関わりを持つ人々が生き生きと生産的に働き、仕事を通じて自己実現できるようにすることである。

第三に社会的責任を果たすことである。

この三つの点は組織を使いこなすうえでの公理ともいいうるものであって、会社、NPO、病院、自治体、クラブ活動など組織の形態を問わず共通する原則と考えてよい。それぞれ見ていくことにしよう。

ドラッカーは貢献についてくだくだしく述べることをしなかった。本業を通じて社会的に有用な存在であれと説くのみだった。

一般的に言って、テレビ局なら、正確な情報を適時に伝えるジャーナリズムの貢献が本業としてありうるし、スーパーなら高品質のサービスと手ごろな値段で地域の生活を支えるといった貢献があるはずである。いずれも常識的な思考で推察可能である。

ともすれば社会貢献などというと、本業を越えた特別な活動を指すかのように錯覚してしまう。肩に力の入った積極的な活動を考えてしまう。多くは間違いである。出過ぎた行動はかえって貢献を破壊する。

ドラッカーはあくまでも本業がそのまま貢献となりうる状態を健全な組織の展開条件と見た。事実、うまくいっている会社を見てみれば、本業が即貢献になっていないものなどない。

逆に本業が貢献になっていない組織はたいてい腐敗し、堕落し、結果として社会を損なっている。そんな組織は例外なく市場から退出を余儀なくされる。

組織は貢献を条件に社会での存在を許される。組織は社会から許されてはじめて、人材をはじめとしたかけがえのない資源にアクセスできる。

第二が人に関わるものである。「人こそ資源」とは企業が好んで社是に掲げる。しかし多くはドラッカーの言う意味に照らせばピントがずれている。

ドラッカーは人を社会的存在と見る。人は社会なくして自らを実現できない存在と見る。

社会の側から見れば、人がそれぞれ個々の能力を発揮してくれなければ自分が困る。土壌と種子に似た相関的な関係である。社会的な存在としての人は、能力を発揮し、自己実現し、貢献することを求めるし、求めざるをえない。

現在の日本のように、若年者の少なからざる割合が活躍の場を手にできないとなると、それ自体が社会的成立基盤の毀損につながっていく。人と社会双方にとって悲劇である。戦前、失業が社会的病魔となってファシズムを生んでいったのは、人が社会的存在であることの論理的必然だった。

人の生産性を高めえない組織はそれだけで、社会的貢献を怠っている。そんな組織からは容赦なく人が去っていく。有能さをとどめられない組織は社会的存在として不適である。

昨今の流れからすれば、本当に人を資源と思うのなら、過剰に会社に縛り付けないことだ。

ドラッカー的に言えば、副業やNPOなどの社外活動は時間をつくってどんどんしたほうがいい。個人の知識や能力は会社の占有物ではない。しかも高度な能力ほどに、さまざまな知識の複合物であって、むしろ社外でも生かしたほうが本業のためになることが多い。

いかにゼネラリスト養成といっても、会社が個人に提供できる経験などたかが知れている。個々人の自己実現を進んで後押しできる組織でなければ、高度な能力を涵養することなどできないし、まして組織にとどめておくもできない。

最晩年にインタビューしたジャーナリストのB・ローゼンステインは、「一つ以上の人生を同時に生きること」が知識労働者の必須条件としたドラッカーの発言を紹介している。

活動を多元化させるのは、何もお金のためではない。会社が提供できない体験価値を増やすためだ。その程度の自由度がなければ、会社自体が知識社会の高度化からとり残されてお荷物になっていくのみだう。

三つ目が責任である。ドラッカーはマネジメントの根幹に責任のコンセプトを置く。

では、組織として最大の責任とは何か。拍子抜けするほどに簡単であって、「社会を害さない」、それだけである。

病院に行くと、診察室に「ヒポクラテスの誓い」が額に入れて貼ってあることがある。ヒポクラテスはギリシアの哲学者である。誓いには、「どんなにわかりきったことでも、専門家に相談して対処せよ」とか「最低限、来訪したときより患者を悪い状態にして帰してはいけない」などといった文言がある。

大昔のものながら、マネジメントに携わる者にとっての金言といっていい。組織の責任も同じであって、飛び抜けた善行などしなくていいから、せめて社会を害することのないようにせよとドラッカーは言う。これが究極の責任だからである。

テレビ局なら、間違った情報をうっかり流してしまうくらいなら何もしないほうがはるかにましである。あるいはスーパーなら、周囲に騒音を出したり、不良のたまり場になったり、最悪の場合腐った商品を売ってしまうくらいなら、ないほうがはるかにましである。そんな社会へのインパクトを、理想を言えばゼロに、無理なら最小限にしなければならない。これこそが責任だと言うのである。

マネジメントは組織のための方法論だから、いかなる目的の組織にも適用できる。国家でも、自治会でも、クラブ活動でもいい。個人や家族さえも例外ではない。

しかし、数少ないながら企業にしかできない固有の機能もある。社会問題の解決を営利事業化しうるのは企業しかない。社会的ニーズを満たすことで、本業をもって利益を上げうるのは企業だけである。

その対価としてというべきか、企業にはほかの組織にない、重要な社会的機能がある。「倒産できる」ことである。倒産は企業のみが持ちうる傑出した能力であって、最高の強みである。

世の中を見回しても倒産できないばかりに害悪をまき散らし続ける組織など、国家、政党、病院、学校等目的のいかんを問わず山のようにある。しかし、企業の場合、社会に貢献できない、あるいは責任を果たしえないとなると、とたんに存続が危ぶまれる。

そんな企業からは瞬時に顧客や従業員が離れていくから、存続の資金がショートした時点でゲームオーバーとなる。そして倒産する。

まして、世の中に害悪を与えようものなら、どんな大企業であろうと秒殺されるのはしばしば私たちが目にするところである。消費者は誰一人として同情しない。こんなにすばらしい仕組みはない。

ドラッカーによれば、企業の発展は社会的な「器官」として機能しえたときに結果として可能となる。人体を例にとれば、心臓が「器官」として健康に機能するときに、心身の全体の成長が可能になるのに似ている。

企業の健康は社会の健康のバロメーターである。マネジメントの重要な視座であろう。

 強みを知る方法

ドラッカーについて間言われる肩書きは決して少なくない。マネジメント学者、ジャーナリスト、大学教授、コンサルタント、未来学者、社会生態学者、日本画収集家などなどある。

だが、ドラッカー自らが認める唯一といってよい自己規定は「書く人」というものだった。「行動としてみれば私は書く人」と自らについて述べている。

自伝的書物に『傍観者の時代』(一九七九年)がある。数ある書物のなかでも、本書がもっとも心に残るという人も少なくない。小学校時代の記述で、ゾフィーとエルザという姉妹の教師に教わった記憶が温かな時代の空気感とともに綴られている。彼は後年、この二人のもとにあった一年間、「いい思いをしすぎた、あるいは二人にかぶれた」と回顧している。

そこで言及すべきドラッカーの性癖がある。彼は本来人間社会の観察者なのだが、とくにその対象が教師となると異常なほどの偏執狂的熱意を帯びてくる。実際に後の人生においても、イギリスでのケインズの授業をはじめ、さまざまな授業や講義に「もぐり込み」、教師を観察している。彼にとって生涯にわたる一つの高尚な趣味であったようだ。

ゾフィーとエルザの両先生はドラッカーの強みに着眼した。

おそらく彼が小学校時代に体験し学んだ最大のものとは、強みを体系的に引き出し、成果をあげる方法に集約されると言ってよい。そして、そんな志向性はエルザ先生が彼に提示した一定のルールに従ってノートに書き込んでいくある手法に象徴される。『傍観者の時代』で、「エルザ先生のワークブック」として紹介されるのがそれである。

ドラッカーの場合、もともと読書と作文は得意だった。先生と二人三脚でノートに目標と成果を記述し、強みを伸ばしていった。ポイントは「書く」ことにある。ドラッカーはあるところで、「私は紙とペンさえあればいつまでも退屈することのない人間だ」と述べている。「書くこと」が自らとの対話を促し、内側に眠るものを引き出す手法として捉えられている。しかも、書くことを通じた自己内対話を繰り返すことで、自らの強みを知り、ひいては自らの何者たるかを知る。おそらくこの方法は大方の成果をあげる人々の実感とも一致するところであろう。人は書かなければ自らが何を考えているのかさえまともに知ることはできない。

おそらく書く人には世界の成り立ちを理解し、コンセプトを創造する特権が与えられる。人は書くことから自分を学び、書く行為を通じて世界を理解する。歴史自体も書かれることによって創造されてきたし、人生も書かれることで創造されるものである。

自らの経験と虚心坦懐に向き合い、自らの強みと正対するのにまたとない「推奨の方法」である。

ドラッカーは強みからしか成果はあがらないという。逆に言うと、弱みは何も生まない。弱みは一顧の価値さえない。むしろ本能的に嫌悪すべきものとさえ言える。

しばしば弱みを努力で強みに変えるべきという。無理である。弱みが強みに変わりうると考えること自体が、強みの本質への無理解を露呈している。

ドラッカーの言う強みとは高度に生物的な特性である。エドマンド・バークというイギリスの政治思想家が言うことだが、この世に存在する人間は、自然界の動植物に比すべき多様な存在である。鳥は翼を持って空に羽ばたき、魚はえらや鱗で水中に生きる。人間も同じである。

弱みを強みに変えるのは、翼のないものに空を飛べと要求するのに似ている。あるいはえらのないものに息継ぎなしに泳げというのに似ている。

相手にとって酷なだけでなく見当違いも甚だしい。大切なのは、翼を持つものをもっと高く飛べるようにすることである。えらを持つ者をもっと泳げるようにすることである。

ただし、人間と動物の根本的な違いが一つある。人間は意識して進化できるところである。人間だけが道具を使い、強みをさらなる強みに飛躍させることができる。

天 才的な画家には空間を俊敏に構成する能力がある。しかし画布と絵筆がなければその才能は才能のままに終わる。道具を使うことで人は能力に形式を与え、ドラッカーの言うところの「成果」に転換することができるようになる。ここが人間独自の能力である。

「道具は意識を進化させる」という。人間社会で言えば技術が典型である。ITの進化によって、一〇年前にはなかった職業が山ほど生まれ、生計の糧を社会に供している。

ドラッカーは終生技術に関心を寄せ続けた。それというのも、技術や道具の概念が、人間の強みに遠心力を与えるからだった。強みに結び付いた時、人は巨人を味方に付ける者となる。

ドラッカーがマネジメントで第一に言うのは、自らの強みを見出すということである。自らの強みを知り、そこを起点に世界を開いていく。強みはいわば世界に向かって開くドアである。そして道具と方法はドアノブである。道具と方法がなければドアノブなきドアの前で永遠に立ち尽くすことになる。「書くこと」――。まさにこれがドラッカーのドアノブだったのだ。

ドラッカーは書くことを核とした強みの発見方法を「フィードバック分析」と呼ぶ。実際にこれを実践している人は少なくない。著名なところでは、ビル・ゲイツなどは年に一週間何もしない時間をつくって「シンク・ウィーク」として将来のことを考えるという。ドラッカー自身も九五歳で亡くなるまで続けていたとされる。

方法は簡単である。九か月から一年後に実現したい目標を箇条書きしておく。そしてその時間が経過したら見直してみて、できたこととできなかったことを仕分けする。そしてできなかったことはきっぱりやめてしまう。そこに強みはないからだ。

できたことはさらに進めていく。これを続けると凡人が巨人にまで成長するとドラッカーは言う。そこでのポイントはできることを突きつめるということだ。そしてできないことに無駄なエネルギーを浪費しないことだ。

読むことを習慣にする人は少なくない。人に会いに行くのを習慣にする人も少なくない。しかし書くことを習慣にする人はさほど多くはない。しかし実際に行ってみるとわかることだが、書くことは読むこと以上にさまざまな発見がある。

さしあたり簡単な日記をつけることから始めてもいいし、ブログを始めてもいいと思う。書くことを人生の一部にできれば強みを発見するのに一歩近づいたことになる。

ドラッカーが書く人(ライター)だったことを思い起こしてほしい。書く人はいかに小さな世界についてのものであれ、世界の成り立ちを創造する人だ。自分について書き始めるということは自分を新たに創造するのと同じことである。言葉にはコンセプトやイメージなど観念を創造するという計り知れない力がある。