内村鑑三の日記

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時々思い出す逸話がある。

内村鑑三の日記にあったと記憶するものである。読んだのは二十歳前後の頃ながら、鮮明に頭に残っている。

話自体はたわいのないものである。

内村の家は新宿の角筈にあった。まだ寒さの厳しい折に市ヶ谷方面を散歩していた。

偶然通りかかった神社の境内に、凛と咲く梅の花を見る。内村は高崎藩の尚武の系譜の人である。寒中に咲く梅の花にいたく感動した。かくありたいものだと思った。

そんな梅を見せてくれたお礼に、神社に手を合わせ、賽銭を投げて家に帰った。

それだけの話である。

かつてそれを読んだとき、キリスト者が神社に手を合わせるのを何かただならぬ不徹底なことに思ったのを覚えている。

事実、彼は若き日に札幌神社にぬかづき、キリスト教なる邪教をこの神州より駆逐せしめよと祈ったと『余は如何にして基督信徒となり乎』に記している。

内村は人並みはずれた頑固さで札幌農学校でもさまざまな人々を悩ませたというが、その後周知の通り、彼はダマスコの回心ともいうべき経験を経て、日本を代表するキリスト者となる。

それのみではない。内村は日露戦争に及び、日本を代表する絶対的非戦論者のジャーナリストとしても論陣を張った。にもかかわらず、日本がロシアを破ったとの報に、万歳三唱せざるをえなかった事実を自ら告白している。そして、自らがいかに矛盾せる存在かを率直に認めている。

ここ数年といってよいと思う。かつて「不徹底」にしか見えなかった彼の言動に対し、心から共鳴してやまぬ自分を発見する。

自分自身を観察すればするほどに、ますます矛盾し、分裂し、とらえどころなき像を見出さざるをえない。しかもその傾向は年を追うごとに強まっている。

そう考えるほどに、強いときに弱く、弱いときに強かった内村の人生に思いを馳せる。筋を通すことに命を懸けた人の示した意図せざる曖昧さに思いを馳せる。

全集を引っぱり出して冒頭の個所を探したのだが、結局探し当てることはできなかった。