生きるためのドラッカー(スピーチ原稿)

ドラッカーの樹
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生きるためのドラッカー

※下記の文章は、5月21日の第11回ドラッカー学会大会(明治大学)にて話す予定の草稿です。
はじめに

昨年はドラッカー学会も設立から10周年を迎え、春には東京大学、秋には帯広、ものつくり大学にて、記念大会を意義深く持つことができました。ひとえに関係各位、そして会員のみなさまのご尽力のたまものとこの場をお借りして感謝申し上げます。

約10年にわたる活動の中で、ドラッカーのマネジメントや思想、実践をめぐるさまざまな研究や考察、討議が行われ、「ドラッカー・スタディーズ」は深められてきた感があります。学会誌『文明とマネジメント』は現在12号を数えますが、多面的な研究活動の一つの精華として当会の誇りうる活動と考えてよいと思います。

しかし一方で、次なる10年を考えるにあたり、深く根を張ってきたドラッカー学会の活動を、次はより広い社会に目を転じ、発信しつつ、実践していく時期にさしかかっているように思います。そして、まさしく「実践」というキーワードからこれまでの10年の活動を振り返り、未来にむけて照射し、そして何より成果をあげることが、今切実に求められている活動であると考えます。

今大会の実行委員である菅野孝治氏の主導のもと、ドラッカーの「五つの質問」をどう学会活動に応用するかが検討されました。五つの質問とは、言うまでもなく、①ミッションは何か、②顧客は誰か、③顧客の価値は何か、④成果は何か、⑤計画は何か、からなる問いによるフィードバックを言います。この結果として、実践や、参加といったキーワードが導き出され、今回の大会にいたったのです。

上記の課題を具現化するために、二週間に一度担当者が集まり、タスクを検討し、力を持ち寄りながら本日にいたりました。そのなかで、可能な限り会員のみなさまのご意見を伺いたく、ウェブ上のアンケートなども活用し、収集してまいりました。

上田先生からも次のようなメッセージをいただいております。「いろいろなことがすべてよい方向に進んでいるのも、みなさまのお力です。これからもこの調子で、世の中に貢献していかれると嬉しく存じます。」

「小さくはじめよ」とのドラッカーの助言のように、まずはドラッカー学会のささやかなイノベーションの一歩として、みなさまには温かく見守っていただくとともに、会のさらなる発展にお力をいただけることを願っております。

道具をつくった人

さて、ドラッカーには実にさまざまな業績があると思うのですが、私になりに一言でまとめると、道具をつくってくれた人と言ってよいように思います。

わけても、顕微鏡や望遠鏡、眼鏡など視覚の補正にかかわる道具です。それによってはじめて、今までまったく見えなかったり、あるいは見えていても歪んでしか見えなかった像を正確な像に移し替えてくれるような道具、そのような知識として、ドラッカーはマネジメントを打ち立てていると思うのです。

ですから、ドラッカーを読むということは、一つの学問体系を習得するという以上に、今まで自分の行って来た活動や仕事、生きること全般に関わる意味が、理解できるようになる、そのようなあり方が、ドラッカーの望むマネジメントの真の意味という気がするのです。

また、彼は単にマネジメントを説いただけではありません。もし彼がマネジメントの詳細を説き、彼自身がいかなるかたちでも自らが実践していなかったのならば、道具というコンセプトに照らして考えれば、それは空語といわれてもしかたのない面があります。しかし、そうではなく、まずドラッカーがマネジメントという道具をつくり、さらに自らが徹底的にその道具を使いこなし、その道を歩み通したという特徴があります。

その意味では、マネジメント――少なくともドラッカーのマネジメント――は、ドラッカーの人生という偉大な範をもっているのです。

その証拠に、ドラッカーの伝記を眺めてみますと、彼自身が道の開拓者であり、その道を歩み続けた人物でありました。ドラッカーはヨーロッパの生まれですが、物心がついてから故郷を飛び出し、やがて大陸を、そしてイギリスをも脱出して、アメリカで人生の大半を過ごしています。アメリカに移ってからも、ニューヨークからカリフォルニアへと活動場所を変えています。

そのなかでさまざまな経験を積み、学問的修練を経ることによって、多様性というハンマーで、マネジメントを鍛え上げていくのです。つまり彼のアプローチの仕方は、多様な論理を踏まえつつ、さまざまな歴史、文化、知識をも取り込まれた知性の輝きを表しています。

ドラッカーの樹
ドラッカーの樹

 

このイラストをご覧ください。しばらく前に上田先生とともに作成したもので、「ドラッカーの樹」と呼んでいます。

彼はしばしばマネジメントと社会という二つの問題意識を持っていたと言われますが、実際にはそうではない。本来文明社会の存続に関心がありそれがごく自然に枝分かれしていったのです。

現代の課題

その意味では彼の提示してくれた道具の根は深く人類社会の叡智の水脈にまでまっすぐにつながっています。まさしく古代から現代にいたる知の水脈をもって、現代におけるビジネスの森を養っているのです。これは考えてみればすごいことです。

このような、今ここから実践に供しうる知識でありながらも、人類の叡智の古層にアクセスしうる知的スタイルを現代の21世紀の私たちも同じようなかたちで受け継いでいかなければならないように思います。

実際にドラッカーが生まれたのは一世紀以上も前です。しかし――彼自身が日本画を認識の道具にしたように――ドラッカーの業績を認識や知覚の道具に徹したアプローチをとる必要があるのではないかと感じるのです。言い換えれば、ドラッカーをどこまでも利用可能な状態にして提示すること、それ自体が一つの大きな仕事として私たちの前にあるのではないでしょうか。

というのも、ドラッカーの発言はすべて一元主義に反発する衝動から発したもののようにも見えるからです。たった一つの原理でしか説明できないなら、まったく何も説明しない方がはるかにましです。しかも、一つの尺度で他者を裁断するのではなく、また批判によって相違点を明らかにしていくのではなく、相互の強みを結びつけていくことに務めています。現在の時点でドラッカーの理念がどこまで実現されているかは別の問題としても、彼の目標はそこに置かれているのです。

それは近代的な、ヨーロッパに発する近代的な世界観を乗り越える理念でもあろうと思います。この発想なしには文明社会の将来が危うくなるという危機感に貫かれているのです。

ですから、マネジメントもその精神は融合を目指すことになりますから、本人はヨーロッパからはじめたにしても、アメリカであろうと、日本画であろうと、古代ギリシアであろうと、医学や音楽であろうと、別々に存在していた文物を統一するための道具がどこに見出せるかというのが、彼の関心にあったように思います。

ささやかな人生とマネジメント

私は幸いなことに当会初代代表の上田先生とさまざまなやりとりを行って来ました。本日の大会にあたっても、上田先生とは電話でお話をし、未来への期待を伺っています。そのキーワードは、「ささやかさ」です。

たとえば、私が昨年翻訳した本ですけれども、『ドラッカーと私』というものがあります。著者はボブ・ビュフォード氏と言います。現在も、ドラッカー・インスティテュートで指導的な役割を果たしている方です。

ビュフォードは、人生前半で会社経営者として大成功を収め、人生後半をメガチャーチという教会づくりに捧げ、その名を残しました。そこにはささやかな人生にどうイノベーションを起こし展開していくかについてのありとあらゆる知恵のパターンが詰まっています。

テキサス州でケーブルテレビ会社を経営していたビュフォードは、ビジネスパーソンとしての成功を追い求め、自分が人生のどの地点にいるかさえもわからぬまま、ただがむしゃらに走ってきました。しかし、彼の魂が求めるものは、そこにはなかったのです。

四二歳、大好きなアメフトを観戦していたときのことでした。前半、後半の間のハーフタイム。そのとき、ビュフォードはふと気づくのです。「今、私は四二歳。人生のハーフタイムなのだ」

それを肌で感じ、後半人生のゲームプランを真剣に考えなければならないと思ったビュフォードは、自らの内面から聞こえてくる魂の声に気づいたのです。

当時、ビュフォードはケーブルテレビ会社を経営する傍ら、熱心なクリスチャンとして教会で教えていました。

魂が求めるところに誠実でありたいという思いを強くした彼は、メガチャーチに後半の人生を賭けようと決意し、引き続きケーブルテレビ会社を経営しつつも、未来の新たなパートナーを探す旅に出たのです。

以降も、ビュフォードはドラッカーに相談しながら、自分が本当に求める活動へと大胆に舵を切り始めます。

そして後半人生においては、メガチャーチという大勢の人たちのための教会づくりに自分の強みを振り向けることで、社会に大きな貢献をなすことができました。

ビュフォードのエピソードを第二の人生の好例として紹介しましたが、そこからはっきりと分かるのは、前半でまったく得られなかったものを、後半で得ることはできないということだと思います。

ビュフォードのケースでは、もともと熱心なクリスチャンであり、さらには経営者としての経験が成功の背景にあることは、言うまでもないでしょう。

では、なすべきことは何でしょうか。それはドラッカーが言う、シンプルな一文に集約されます。「何かに着手するときは、成果をしっかり見極めよ」。

後半生をうまく展開し、なすべきことをなすには、「自分が何をしたいか」ではありません。「自分を使って、どのような成果を挙げるべきか」を考え抜くことだという。私はここにドラッカーの普遍性を見ます。おそらくビュフォードの直面した課題は、誰もが直面しているか、直面しつつある課題なのです。ビュフォードは、自らの経験や思考力に加え、ドラッカーの道具を使い、知恵を援用することで、人生のマネジメントやイノベーションに成功した一つの例であろうと思います。

私自身もちょうどビュフォードの分岐点と同じ年におりますので、深く考えさせられるところがありました。

おそらく、ビュフォードに見られるように、マネジメントのドラッカーもさることながら、もっとささやかな日常的なレベルで、ドラッカーの考え方は役立てられるように思います。そして、あるいは幸いなことに、そこにはいまだ未開拓の大地が無限に広がっているように思います。

最後に――片隅の幸福

ドラッカーが提供してくれた道具の一つ一つを吟味し、何に役立てるかは私たち次第です。ぜひそれらを持ち寄って、より豊かな世界をつくっていくきっかけの一つにこの会の活動がなればと念じるものです。

しばしば上田先生が述べるように、この世界はささやかな人から成り立っています。そして、ドラッカーも、この世界は小さな世界であるとジャーナリストのブルース・ローゼンステインに語っています。

たとえば人間でいうと、偉い大統領とか大学者とか、あるいは大政治家の方に目が行きがちなのですけれども、日常生活を支えている大事な一人一人、お母さんとか、小さな子供とかいうものに細かい愛情のこもった感覚、目を向けるという考え方です。片隅の幸福を大切にする思想ということにもなってきます。

ドラッカーは知覚の世界をことのほか大切にしました。それはまず片隅の幸福を大事にするところから出発します。大経営者とか大政治家とかの大きな仕事をする人々を大事にしないというのではなくて、逆に、そういう社会的に大きな仕事をしている人にとっても片隅の幸福が大事だというのです。

ですから一つの大きな実践活動の中では、どんな人もそれぞれの立場で自分の知覚の部分を大事にするというところから出発する、ということです。

ドラッカーには永遠の未完があります。私たちの父祖から受け継いだこの世界を次の世代に適切に引き渡すのに、大きな思想は必要ありません。必要なのは、今目の前にあるなすべきことをなすことです。そのささやかさへの認識を持つとき、ドラッカーの思想は誰に対しても平等に開かれているのです。おそらく、そのような種類の思想家は歴史上にもさほど多いとはいえません。

そのような観点からすれば、まだまだなすべきことは多いのです。ドラッカー没後10年が経ち、ドラッカーは古い、もう終わった人だという印象も世にはあるかもしれません。しかし、彼のなかには未発掘の新しいコンセプトが無尽蔵にあります。その意味では、ドラッカーはまだまだ新しい。いや、ドラッカー山脈の発掘はまだ本当の意味でははじまっていないとさえいえるのかもしれません。