望楼守は泣いている

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ゲーテ『ファウスト』二部の第五幕に登場するリュンケウスは、見ることを仰せつけられた神人である。世界をありのままに見ること、伝えることが彼の仕事だ。見ることはリュンケウスにとって生きることでもある。

リュンケウスは、自らの一対の目を通して見取られたこの世界のすべてを言祝ぐ。その目に映るのは、世界の美である。すべては「飾り」として目に飛び込んでくる。目に映る愉悦は心をやさしく慰撫する。

リュンケウスは世界を見る自らをも言祝ぐ。誇りと喜びを感じる。世界をありのままに見ることは、リュンケウスにとって何よりの美徳であり栄誉である。

一方で、リュンケウスの目には時に悲しみや不条理、絶望も飛び込んでくる。

できれば見たくはない。だが見ないわけにはいかない。リュンケウスの仕事は見ることなのだから。見て伝えることなのだから--。

老いたるファウストは万民の統治者として海辺の干拓事業を通し、人々が尊い労働を通して生活をともにできる楽土を夢見る。そしてこの仕事がついには彼の魂を悪魔に引き渡す回廊となるのだが、それはもう少し後の話だ。

干拓予定地に面した一角に、美しい古木が群生し、心優しい老夫婦の住まうささやかな土地があった。ファウストはこの土地の獲得を望む。この土地が干拓事業の最後の欠けたピースなのだ。これによってファウストの仕事は完遂される。そのためには、是非とも老夫婦に立ち退いてもらわなければならない。が、あくまでも穏当かつ平和的に、しかもよい生活環境を引き替えに与えたい。そうファウストは望む。

にもかかわらず、メフィストと手下の荒くれ者たちはファウストの意を知りつつも、あえて火種をまく。土地の引き渡しを拒み、住み続けることを懇願する老夫婦に強引な立ち退きを迫り(バブル期の地上げ屋みたいに)、結果として老夫婦を死にいたらしめる。しかも騒動のさなかでささやかな土地は炎に包まれる。

リュンケウスは目に飛び込んできた不条理を歌う。時は真夜中である。彼は老夫婦を愛していたのだ。ささやかな土地を愛していた。そして、見ることでその土地を守ってもいた。見守っていた。

愛するものは無残にも根本的に損なわれた。

望楼守は絶望の涙を流す。それは見る者に避けることのできない悲しみである。しかもかえりみられることのない涙である。救われることのない涙である。頑是ない子供の目からこぼれる涙である。

リュンケウスはささやかな生活の消失を歌う。心優しい老夫婦の終焉を歌う。勇敢に救おうとした旅人の死を歌う。昔ながらの樹木がただの黒い炭に変わっていくさまを歌う。リュンケウスは、絶望を歌う。

リュンケウスの悲しみは鎮魂の節をともなってファウストの耳に届く。ファウストは言う。

「望楼守は泣いている」。

はじめて『ファウスト』を読んだときから、この一文が鋭利な矢みたいに魂に突き刺さって今なお抜けずにいる。