【書評】専門家をめぐる考察

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和田秀樹『学者は平気でウソをつく』新潮新書

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時々、こんなふうに、ページを開くまでもなく主張したいことが分かってしまうタイトルの本がある。評者はそのような本が嫌いではない。わかっていてもつい手にとってしまう本こそがおそらく良い本の条件なのかもしれないとさえ思う。

なかなか刺激的な表題であるが、ここ十数年ほどで誰の心にも飛来する静かな声をクリアな言語で表現しているように思われる。

実際に内容に眼を通すと、決してタイトルが誇張でないことは明らかである。帯には次のようにある。

「臓器を診て患者を診ない医者

金持ちばかり味方する経済学者

教育現場を知らない教育学者

何にでもコメントする社会学者・・・」

そして、各章ごとに、専門家と称する人々の知見がときにその権威にもかかわらず、いや権威ゆえにというべきか、市民の安寧を脅かすことについて述べてられている。

ここでは「学者」ということばでくくられるが、要するに専門家の言うことを鵜呑みにしないようにという趣旨のレトリックである。

もちろん専門家がすべて信用できないということはありえないのであって、私たちのこの社会は人々の見えざる専門的知見の現実的な適用によって成り立っている。当然敬意を払われるべきである。

しかし一方で、かつてギリシャの思想家ヒポクラテスは、「来たときよりも患者を悪い状態にして帰してはならない」と述べた。まさしくこれこそが専門家の最上の倫理と言うならば、確かに現在の専門家には時として問題なしとしない。

世に言うように、知識が社会の中心になり、誰もが何かの専門家であるというのが現代の真相である。学者ばかりではない。誰もが何らかの専門家たらざるをえない社会なのである。

もしそこでその専門的知識への信頼性がなくなってしまったら、この社会自体が成り立たなくなってしまう。それくらいこの社会は細かく専門知識によって分業されているからだ。

著者は言う。「学問は二〇世紀の宗教だったと言っても過言ではありません」

確かにそうだ。著者の危機意識はすでにいろいろな世界で具現化している。

ニュースなどでは、何らかの裏をとるために、おおむね同じような専門家が登場して裏付けるコメントを述べる。

そして多くの「非」専門家はその説を批判的に吟味するだけの知見を持たない。

著者はこのような学問の神聖視はやめたほうがいいという。

だが、現実には「非」学問的でありながらも、一つの知的潮流を形成している世界もある。
それはネットの世界である。

ネットの世界ほど学問の権威の失墜に手を貸したものはないだろう。その観点は本書ではさほど述べられていないが、現代というものが巨大な流れが衝突する摩擦熱のなかにあるのを思うとき、頭脳の中でいろいろな身の回りの出来事を思い浮かべて、豊かに想像しながら読んでいくのが愉しいかもしれない。

刺激的な問いを含む新書の楽しさはここにある。よい問いを一つ、一冊の本から得られたら、それだけで十分に儲けものではないか。