「私は経済学者ではない」

熱海
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熱海

ドラッカーは1950年代以降、経済問題についてもさかんに発言するようになります。わけても政策面での代表的な発言としては、イギリスのサッチャー政権にも影響を与えたとされる民営化への提言も含まれていました。

それでもなお、彼は自らを経済学者と考えたことは生涯一度たりともなかったといいます。 自らが経済学者との間で合意しているただ一点の事実は、「自分は経済学者ではない」ことだけだと。

世間ではしばしば経済学者やエコノミストの実勢診断や予測があてにならないことが嘆かれる。確かに、経済予測はよほどのことがなければ当たらない。先頃の巨大金融機関の倒産を事前に予測しえた経済学者はいなかった。

一般的に人は、「経済学者なのになぜ経済がわからないのだろう」と首をかしげる。しかし、ドラッカーならきっとこういうでしょう。「経済学者が経済を理解できないのは、まさに彼らが『経済』学者であるそのゆえである」と。

じつはここでも幼少期の祖母の記憶が関係してきます。

祖母は19世紀の後半から20世紀前半を生きた人でした。そのころはまだオーストリアは銀本位制でした。それが1892年には金本位制に移行し、さらに第一次大戦後には有名な大インフレが起こって通貨を根こそぎ破壊してしまった。

戦前は1クローネで買えたものに7万5000クローネを要するようになっていました。そのためにシリングという単位が登場し、1シリングを2万5000クローネとしました。誰もが、すぐにシリングで考えるようになりました。むろん彼の祖母を除いて――。

祖母と店の人との間で交わされた会話は次のようなものです。

「どうしてその卵はそんなに高いの。1ダース35クロイツァーじゃないの。昔は25クロイツァーだったのよ」

「奥様、この頃では餌代もかさみますので」

「馬鹿おっしゃい。鶏は社会主義者ではありませんからね。共和制になったからといって、沢山食べるわけがないでしょ」 

祖母を見かねて経済の専門家であったドラッカーの父アドルフは、インフレの理屈を親切に教えてあげようとします。

「おばあちゃん、インフレでお金の価値が変わったんですよ」

「そんなことどうして言えるの。私は馬鹿ですよ。でも、あなた方経済学者の尺度がお金だということぐらいは知っています。それならお聞きしますが、尺度が変わったから私が六フィートになったと言えるのかい」

父は説明をあきらめた。  

笑い話に見えるかもしれません。しかしよくよく考えると、ちょっとやそっとの経済学者でも説明できないくらい、理屈を超えた難しい経済現象です。

むろん当時の人々も、おばあちゃんがインフレをわかっていないと言って笑いました。しかし、今もって物価や通貨の固有の機能や変動のメカニズムなど誰もわかっていません。そのなかには経済学者も含みます。

そう考えるなら、彼の祖母の素朴な見方のほうが経済の実相をあるがままに捉えているのではないだろうか。

もしドラッカーに思想というべきものがあるのだとすれば、それは常に人間社会の生活に密着したレベルにしかありえませんでした。端的に言えば、生きるという行為そのものと分離不能な大切な何かでした。そして、それは祖母が実地に生きた激動の20世紀前半の感覚そのものであったと思います。

祖母は「鶏は社会主義者ではない」という。その通りです。社会主義をはじめとするイデオロギーは人工的な思想体系であって、自然社会とはそもそも無関係だからです。

ドラッカーが経済学者に過剰な信頼を置かなかったのも、つまるところ、彼がイデオロギーという人工物に、実態的な価値を見出さなかったためだろうと思う。また、彼が最初の著作で「経済至上主義」の考察からはじめたのも、恐らく当時における彼の生活実感と無縁ではないでしょう。

経済学自体も、限りなく広く複雑な世界を、経済という一つの要素から体系化していかねばならないという宿命がある。しかし当の経済自身が、経済学者に任せるにはあまりにも経済以外の多くのものごとから成り立ち過ぎている。

というのも、人間社会もまた、自然社会に比すべき独自の生態を持ち、ゆえに人為的自然といってよい自律性を持って動いているからです。それらを単一の原理で説明するなどどだい無理な話です。父アドルフがおばあちゃんにしようとしていたことはまさにそのことだった。

ドラッカーは次のように後年祖母を次のように評価しています。

「おばあちゃんは20世紀の問題の本質をつかんでいた。お金が通貨であるためには、価値の基準となることができなければならない。その基準となるべきものを政府が変えてしまったならば、お金とは何であるということになるのか」

本当に、お金とは何であるということになるのでしょうか。20世紀初頭のおばあちゃんの時代と比較して、理解可能となっているのでしょうか。