【書評】思考を熟成させる方法

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平野啓一郎『本の読み方――スロー・リーディングの実践』PHP新書

 

「一日にほんの僅かな時間でも、スロー・リーダーであることは、公私にわたって自分自身を見失わないためのよりどころとなるだろう」

世にはさまざまな読書法があるが、多くはいかに速く大量に読むかについて書かれている。いわばインプット法である。情報時代にあっては、一つの社会的要請なのであろう。

もちろんそれは大切である。私たちは明日の会議の資料をつくったり、企画提案資料をつくったりするために、本をはじめとするいろいろな資料にスピーディーにアクセスし、内容を理解し、アウトプットすることを日常的に求められているからだ。

だが、「読む」行為にはもっと深い奥行きや可能性に富む世界へのもう一つの扉がある、そんなところに目を向けさせてくれるのが本書である。

「それは、地道ではあるが、着実な体験としての読書である」

と著者は言う。

それがスロー・リーディングである。スロー・リーディングはたんにゆっくり読むというだけではない。それは短期的な成果のための読書ではなく、10年20年、あるいは人生全体のための読書である。

豊かな長雨が地表にゆっくりと確実にしみこんでいくような読書――。

評者自身、わが身を省みて大いに反省させられる。あまりにも読み飛ばしてきたからだ。それというのも、時間に対するパフォーマンスばかりに目を奪われ、一知半解の読み方に恒常的に陥っていた。

だが、そのようなリーディングが後々にまで役に立ったかというと、そんなことはない。特に読むことが理解し感性を触発することをそのまま保証してくれるわけではないからだ。

その点、著者の速読の隠れた弊害を指摘する目は鋭い。

「速読法のおかげで偉業を成し遂げたなどという例には、まずお目にかかることができない。速読本の著者にしても、その技術を生かして、本は書けたであろうが、それ以外にどんな成功をおさめたのかはまったく謎である」

考えて見れば、出版物が洪水のように世に出ている昨今ながらも、一冊一冊はしかるべき思索や推敲、検証を経て世に出ているものである。書かれたものは思考の凝縮物であって、どんな本でも書かれるのに半年、編集過程で三か月程度はかかっている。それを速読するのは、思考や理解を誤解しているようにも思えてくる。

「一ヶ月に本を一〇〇冊読んだとかいって自慢している人は、ラーメン屋の大食いチャレンジで、一五分に五玉食べたなどと自慢しているのと何も変わらない。速読家の知識は、単なる脂肪である」

著者は作家である。作家の仕事の射程は今日明日のことではない。一人の人生や遠い未来へもその視線は伸びている。評者はそのような視点から情報を語る姿勢を好ましく思う。しかも高度に実践的である。

夏目漱石『こころ』、森鴎外『高瀬舟』、カフカ『橋』、三島由紀夫『金閣寺』、川端康成『伊豆の踊子』等、そして著者の作品『葬送』などの抜粋を「スロー・リーディング」してみることで、たどるべき思考の道筋やポイントが語られる。