渋沢栄一とドラッカー

渋沢
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渋沢
渋沢栄一(天保11年2月13日(1840年3月16日) – 昭和6年(1931年)11月11日)
ラーテナウ
ヴァルター・ラーテナウ(1867~1922年)

 

90年代以降、企業の社会的責任が産業上のトピックになりつつある。現在、CSR(企業の社会的責任)報告書を定期的に公にする企業も少なくはなく、社会の側も企業の持つ公共的な責任に敏感になってきている。何らかの不祥事が起きた場合、CSRの観点から指弾されることも日常になってきている。
 
そんなCSRはトピカルなテーマでもあり、ごく新しいコンセプトのようにも考えられる。だが、アルファベットで書かれていることは必ずしも新しさを保証してくれない。あるいはかりに新味があるにしても、新しさが価値あるものを約束するとは限らない。
 
ドラッカーは企業の社会的責任の先覚者の一人をある日本人に見出していた。
 
実業家として著名な渋沢栄一である。渋沢は江戸時代の農民の生まれながら、幕末の騒乱のなかで経理などの専門知識を得て、しだいに権力から重用されるようになる。
 
幕末にあって渋沢は佐幕派だったわけだが、明治以降新政府から専門能力を買われてスカウトされ、役人としても存分に力を発揮している。さらには、銀行をはじめとする企業、それから大学などの社会的組織など500以上の組織の立ち上げに関わりを持っている。現在も残っている組織がいくつもある。
 
「はるか前の時代のリーダーたちのほうが、企業の社会的責任を正面から捉えていた。日本の明治の渋沢栄一であり、第一次大戦前のドイツのヴァルター・ラーテナウだった」(『マネジメント』)。
 
事業の持つ社会的責任を認識していた人物として、ドラッカーは渋沢を高く評価し、同時に敬ってもいた。日本人はもっと渋沢を研究すべきであるとしていた。
 
ちなみにヴァルター・ラーテナウとはドイツの実業家、政治家だった人物である。第一次世界大戦の遂行に卓越した手腕を発揮したが、ドイツは戦争に敗れる。戦後のドイツ復興にラーテナウは奔走しつつも、右翼の憤激を買い、いざこれからというときに暗殺される。
 
渋沢とラーテナウにあっては、事業の創造それ自体が社会的責任だった。そこには新奇なものは何もない。目立つものさえない。事業活動そのものが、社会におけるニーズを満たし、社会からの要請に応えるものだった。
 
企業は製品・サービスの提供を通じて、顧客を創造する。顧客とは、社会全体のいわば代理人である。社会から派遣されてきた者である。ドラッカーが事業の目的を「顧客の創造」と述べ、彼のマネジメントに伴う一連のツール的コンセプト――マーケティング、イノベーション、戦略等々――は一つの例外もなく、「顧客の創造」を核として発展してきた。

だとすれば、顧客創造が社会的責任の遂行そのものだということになる。逆に言えば、顧客創造の失敗は社会的責任の遂行に失敗したという最も明らかな証拠であるということになる。もし、顧客創造に失敗し続けるならば、社会という舞台からの退場を勧告されることになる。

これがいわゆる「倒産」という現象である。企業は顧客創造の成否にあって利益というわかりやすい尺度を持つ。顧客創造に失敗した企業が自動的に退場を宿命づけられるのは、企業が持つ最もすぐれた特質と言える。

それに伴うもう一つの系がある。「社会に対するインパクトをなくする。できればゼロにする」ことである。こう聞くと、疑問に思われるかもしれない。
 
「インパクトをゼロ? 確かに汚染物質を排出するとか、近隣の渋滞を起こすとか、悪いインパクトをゼロにするのは当然だけれど、いいことならしてもいいんでしょ?」
 
そうではない。いいことも悪いことも含めて社会に対するインパクトを可能な限り少なくしなければならない。理想を言えばゼロにしなければならないとドラッカーは言う。企業活動が社会を変えてしまわないようにしなければならない。
 
時にCSRというと、何か特別な良き価値を社会に対して与えるかのような活動を想像する向きもなくはない。実際に各社のCSRレポートなどを見ると、多くは巻末などで、社員によるボランティア活動や、出前授業がカラフルに展開されているのがふつうである。
 
もちろん、社会に対して善をなそうとする意志が悪いということではない。だが、そもそも善のみをなすなど限りある存在としての企業にとって不可能である。
 
たとえば、私の知人が住む土地に、ある企業の巨大工場があった。地元の人々の多くがその工場で働き、生計の資を得ていた。
 
だが、工場がかなり離れたところに移転することになった。もちろん、地元の人々は困る。そもそもが、地元の経済の大半を回していたのはよい。だが、その工場が何かの理由で移転したら、地域社会が成り立たなくなる。果たして社会的責任の理念にかなうのか。
 
移転が悪いと言っているのではない。企業活動における善悪判定は簡単ではないと言いたいのだ。
 
実は企業を含むあらゆる組織にとって、良いインパクトも悪いインパクトもない。あるのは「インパクト」だけである。
 
というのは、良いか悪いかを判断するのは企業ではない。顧客や社会のほうである。世の中には良き意図によって着手されて結果として最悪の結果を生む事業というものが存在する一方で、動機は不純であっても結果として都合の良い成果を生む事業もある。

ドラッカーのCSRは人に考えることを強いる。葛藤することを強いる。葛藤のないところに真の思考はなく、真の成長はない。
 
企業は社会のためにある。社会の代理人とは顧客である。だが、顧客とは消費者だけか。そうではない。従業員も、メディアも、地元民も、取引先も、いずれも顧客である。顧客とは事業活動によって影響を受けるすべてである。
 
顧客は多元である。顧客を簡単に一義的に定義づけることなど誰にもできない。では、顧客はわからないものだろうか。そのとおり。わからないものなのである。
 
だからこそ考え続けることである。安易に結論を出すべきではない。顧客は多様であるとともに変化する。変化を捉えるには、見る者も変化し続けなければならない。
 
実は、渋沢栄一が偉かったのはそこである。彼は事業をある程度創造すると、後は若くて詳しい人に譲ってしまった。顧客に近く、かつ理解している人に委ねてしまった。彼は考え抜き葛藤する準備のある人に事業を引き渡したのだ。
 
それは自らの組織が社会に対してどのようなインパクトを与えているのかをモニタリングすることなくしては不可能である。
 
企業の場合は第一に経済組織であるわけだから、経済原理によって社会を変えてしまわないようにすることである。社会には社会の行動法則があり、原則があるのだから。
 
そのバランスを適切に経営に具現化することが彼のCSRの根本命題だった。
 
「今日、渋沢のような人物は見当たらない。しかし我々は、彼が100年前に行ったことを組織の力で行うことができる」(『マネジメント』)。