「パン屋のリアリティはパンの中に存在するのであって、小麦粉の中にあるわけではない」(村上春樹)。
ドラッカーの著作には、「回想」というストーリー手法で書かれたものがいくつかある。半自伝とされる『傍観者の時代』や「ある社会生態学者の回想」、『マネジメント』の「IBM物語」「P&G物語」などさまざまである。なぜ彼は回想という手法で世界の見方を表現したのか。
話し手と聞き手はそれぞれ生きてきた経路も考えた方も違う。彼がとった作法は、体験という泉から湧き出る水を直接すくいあげて、聞き手ののどに気持ちよく流し込むことである。
ドラッカーが回想を採用した理由の一端がそこに見えてくる。回想とは個人的体験である。自分だけのストーリーである。ある種の体験は、時に一般論では持ちえないほどの説得力を持つ。科学的エビデンスさえものともしない感化力である。
回想のかたちをとるストーリーは、リアリティがあればあるほどに、聞き手をもストーリーの登場人物の一部にできる。人はそのストーリーが魅力的であるほどに逃れられなくなる。すぐれたストーリーを聞いた時点で、聞き手はストーリーという船の一員になる。
ドラッカーがあえて回想を使ったのは、読み手の認識上の限界を打破し、読み手の中に眠る力をさりげなく鼓舞するためだった。ドラッカーがストーリーの語り手であったことはあまり知られていない。しかし、事実である。
彼は自らのストーリーにアクセスする方法を知っていた。日本画を見たり、文学作品や戯曲を鑑賞した。オペラなども観た。そうすることによって、自らの内に眠る物語にアプローチした。古い井戸に長いつるべを落とすみたいに。
特に大切なのが日本画である。ドラッカーが生涯の出合いともいうべき日本画を最初に目にしたのは、ロンドンの金融街で働いていた二十代前半のころのことだった。そのころドラッカーは、ジャーナリストとして活躍していたドイツでの生活を断念し、ナチスの迫害を逃れロンドンにたどり着いた。
当時のドラッカーの生活が心穏やかとはいいがたいものだったのは想像に難くない。野蛮で暴力的な帝国に姿を変えた故郷のことを思うたびに、心は激しく傷んだ。
そんなある日、ドラッカーは仕事帰りに雨に降られ、通り脇に雨宿りする。バーリントン街というところだ。ちょうどそのとき、ヨーロッパ初の日本画展が開催されていた。偶然にせよ、ドラッカーは日本画を目にし、そこに自分自身の魂の居場所があることを知らされる。以来、ドラッカーは日本画の熱烈な学徒となり、大学で講義を持つばかりでなく、収集家としても名をなすにいたった。
ドラッカーが日本画から学んだのは、美のみではなかった。ドラッカーはヨーロッパ的な思考と並行して、日本的思考を自らのうちに取り入れた。特に自らのコンディションを整え、沈思黙考した。自らの心と対話した。そこから回想のアプローチを自らのものとした。日本画を眺めることで、自らの知性と心を調整し、回復し、「正気を取り戻していた」。
思いがけないかたちで出合った日本画ながら、ドラッカーは、沈黙の中で自分と向き合うこの時間を大切にしてきた。そして沈思黙考と自己内対話の習慣は亡くなるまで続いた。
時に、フィクションはつくりものだから触れるに値しないという人がいる。間違いである。
フィクションとは、事実とは異なる形で現実の現実らしさを凝縮的に伝える。時にフィクションのほうがはるかに現実を表している。
『傍観者の時代』はドラッカーのファンからもっとも支持される書物の一つである。自伝的タッチで描かれているのだが、その実、事実のみで構成されるわけではない。
精神科医のヴィクトール・フランクルも自らの強制収容所体験を内省と黙考によってつづり、『夜と霧』として世に問うた。本書は純粋なドキュメントというよりも、彼が後になって思い出したことを中心に構成されている。回想によるリアリティが、今なおもっとも共感を呼ぶ本として世界中で読まれ続けている理由でもある。
書かれたことは百パーセントの事実ではないかもしれない。しかし、そこには彼が感じとったストーリーの語る別種の強烈なリアリティがある。
このような心的作用は、何かを伝えるときに心にとめておいてよい。科学的なものが説得力を保証するわけではない。むしろ純粋に個人的な体験が持つある種の説得性というものがある。
過去のある時点、たとえば子どものころの出来事、最初に取引先に行った日のこと、あのころ飼っていた犬のこと、結婚式の朝、子どもが生まれたとき、ふとしたときに見上げた青空のこと……。なるべく過去のある時点に意識を絞り、いきいきと立体的に思い出してみる。
しだいに、そのころのふとした感情や周囲の印象、そして意味がくっきりと思い出されるようになる。こんなささやかな黙考の習慣を通して、あなたの人生のかけがえのない時間は再び体験としてよみがえってくる。『傍観者の時代』や『夜と霧』はそんなかけがえの時間を描いている。
経営学者の野中郁次郎氏は、ドラッカーを「沈思黙考する人」であったと述べる。正しい判断や選択を下すためには、頭脳と心が落ち着いていなければならない。落ち着くとは、言い換えれば、「あなた自身の居場所」を知っていることにほかならない。
沈思黙考とは思い出すことである。過去と向き合うことである。過去と向き合うことができない人は、未来に向き合うこともでない。
私たちはどんな過酷な状況であっても、頭脳と心は譲り渡してはならない。どんなときも、自分自身である努力を怠ってはならない。このことがドラッカーの言う切実な原則である。
ドラッカーは彼以外の誰かになろうとはしなかった。そして人に対しても、自分以外の誰かになることを求めなかった。あなた自身であることは、あなた自身の歩みを受け入れるところからしかはじめられない。何よりも自分自身の来歴を受け入れることが、過去に支配されることなく、また安直な成功や夢に踊らされることなく、自分自身であり続ける勇気を持つことを可能にする。私たちはこのドラッカーの勇気からも学ぶ必要があると思う。
誰にとっても自分を見失わずにいられる勇気ほど生きるうえで大切なものはない。
というのは世の中というものは自由を志すほどにあなたに別の自分になるように勧告する。生きていれば、たいていは他者から干渉される。身近にいる大切な人からこそ干渉される。
ドラッカーはしばしば世間の言説とは真逆のことを述べて不興を買ったこともあった。しかし、他者と違うというだけの理由で自説を曲げるようなことはいっさいしなかったし、迎合を嫌う人だった。人の軽薄な評言など気にもとめなかった。というか他者の評価に重きを置かなかった。
それは彼が自分が何をすべきかを知っていたためだ。何をすべきかを知ることほど人に勇気を与えるものもないし、自分自身の身の置き場を教えてくれるものもない。正しい意味における自己肯定とはそのようなものだと思う。
そこから紡ぎ出された真正の物語が人の心にまっすぐに届く。