【書評】橋本治『負けない力』

負けない力
LINEで送る
Pocket

【「役に立つ」、「役に立たない」の間】

 

負けない力

 

橋本治『負けない力』大和書房

 

「人間にとっての正しいあり方は、『勝とう』と考えるよりも、『負けない』と考えることだということです」――。

世の中には何かを教えようとする本がある。その種の本は世の中に多い。というか、本を書こうなどと思う人は、誰かに教えたくて仕方ない種族なのだから当然かもしれない。

一方で、ごく稀ながら、教えるのではなく、学んでいただくというスタンスの本もある。後者は勇気がいる。「教えるつもりはありません。何を学ぶかはあなたの自由です」というのは著者に最も繊細な知性を要するメッセージである。

橋本治さんの本は後者である。しかも裏切らない。成熟した知性のありかを示してくれる。これは本書についてささやかながら保証できる数少ないことの一つである。

何度も示される基本的な姿勢がある。「役に立つ本ではない」というメッセージである。

「役に立たない?」

そもそも役に立たない本を誰が手にするのだろう。出版社はしかるべきコストをかけ、書籍を制作し、流通させ、印税を払っている。役に立たないなどと公言する本をいったい誰がお金を出して買うのか。というか、経済的に成り立たないのではないだろうか。

あるいはこう思うかもしれない。世の中は役に立つと強く主張する本にあふれている。かえって殊勝に役立たないというメッセージが逆説的に他の本よりも一歩抜きん出る要因になるのではとの読みがあったのだろうと。

だが、役に立たないと著者が言うのは、決して美しい謙遜でもなければ、レトリックでもない。「ほんとうのこと」である。

もちろん評者は本書で示される知性を安直に要約などしたくない。世の中にはあえて要約されないことによってしか示しえない種類の知性というものが存在するからだ。

しかしながら、今ちょっと前までとは違う様相で、世の中が急ぎ始めているように思える。本当であれば、時間をかけてなされるべき国民的合意が、電子レンジでチンされるみたいに、わずかな時間で形成されたかのように扱われている。「乗り合い馬車的コンセンサス」(村上春樹)が、あちらにもこちらにも組まれて、どことなくどこかで見たような暗鬱な風景が繰り広げられている。

乗り合い馬車的コンセンサスが形成される時代の背景はだいたい共通している。自己主張を奨励され、勝ち上がることが善とする価値観である。

それでも著者は何がよくて何が悪いかということをそもそも議論しない。どうあればよいかと助言もしない。ただ、語る。ゆったりと。

ある意味で語り口自体が、一つのメッセージを内に含んでいる。ぜひその語り口に耳を澄ませてみてほしい。著者の提供する浴槽に身を委ねてほしい。温泉に浸かるみたいに、日ごろの考えを棚上げして、今の自分に何が本当に必要なのかだけを考えてみてほしい。

温泉の効能は一つではない。そもそも温泉に出かけていくという行為の中に、効能が含まれている。著者の語る言葉の多義性というか、いろんな響き方をする。最大の持ち味だ。