ビジネスは村上春樹に学べ

ねじまき鳥
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文学は役に立たないという見解ほど、人口に膾炙した謬見はない。

特に村上春樹の精密な人間観察は、深いマーケティング的洞察に満ちている。

先般村上春樹の世界的研究者ジェイ・ルービン氏(ハーバード大学名誉教授)と話した時に、村上さんの小説はビジネスマンにとってものすごく役に立つ珠玉の知見が少なくない旨お伝えしたところ、「そのような意見は初めて聞く」とのことだった。

 

特にドラッカーばりのビジネス・マインドを示したのが下記である。

少々長いが引用する。

 

*   *  *   *  以下引用  *   *  *   *  *   *  

「だからお前が細かい説明をしたくないのなら、べつに説明することはない。俺も余計な口出しはしたくない。ただね、俺は思うんだけど、自分にとっていちばん大事なことは何かというのを、お前はもう一度よく考えてみた方がいいと思うよ」

 僕はうなずいた。「ずいぶん考えてはいるんですよ。でもいろんなことがものすごく複雑にしっかりと絡み合っていて、ひとつひとつほどいて独立させることができないんです。どうやってほどけばいいのか僕にはわからない」

 叔父は微笑んだ。「それをうまくやるためのコツみたいなのはちゃんとあるんだ。そのコツを知らないから、世の中の大抵の人間は間違った決断をすることになる。そして失敗したあとであれこれ愚痴を言ったり、あるいは他人のせいにしたりする。俺はそんな例を嫌というくらい見てきたし、正直に言ってそういうのを見るのはあまり好きじゃない。だからあえてこういう偉そうな話をするわけだけど、コツというのはね、まずあまり重要じゃないところから片づけていくことなんだよ。つまりAからZまで順番をつけようと思ったら、Aから始めるんじゃなくて、XYZのあたりから始めていくんだよ。お前はものごとがあまりにも複雑に絡み合っていて手がつけられないと言う。でもそれはね、いちばん上からものごとを解決していこうとしているからじゃないかな。何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。

俺のやっているのはもちろんたいした商売じゃないよ。銀座にたかが四軒か五軒店を持っているだけだ。世間的に見えればけちな話だし、いちいち自慢するほどのことじゃない。でも成功するか失敗するかということに話を絞れば、俺はただの一度も失敗しなかった。それは、俺がそのコツのようなものを実践してきたからだよ。他のみんなは誰が見てもわかるような馬鹿みたいなところは簡単にすっ飛ばして、少しでも早く先に行こうとする。でも俺はそうじゃない。馬鹿みたいなところにいちばん時間をかける。そういうところに長く時間をかければかけるほど、あとがうまく行くことがわかってるからさ」

叔父はまたひとくちウィスキーを飲んだ。

「たとえばだね、どこかに店を一軒出そうとする。レストランでもバーでもなんでもいいよ。まあ想像してみろよ。でもそこかひとつに決めなくちゃならない。どうすればいい?」

 僕は少し考えてみた。「まあそれぞれのケースで試算することになるでしょうね。この場合だったら家賃が幾らで、その返済金が月々幾らで、客席がどのくらいで、回転数がどれくらいで、客単価が幾らで、人件費がどれくらいで、損益分岐点がどれくらいか・・・そんなところかな」

「それをやるから、大抵の人間は失敗するんだ」と叔父は笑って言った。「俺のやることを教えてやるよ。ひとつの場所が良さそうに思えたら、その場所の前に立って、一日に三時間だか四時間だか、何日も何日も何日も何日も、その通りを歩いていく人の顔をただただじっと眺めるんだ。何も考えなくていい、何も計算しなくていい、どんな人間が、どんな顔をして、そこを歩いて通り過ぎていくのか見ていればいいんだよ。まあ最低でも一週間くらいはかかるね。そのあいだに三千人か四千人くらいの顔は見なくちゃならんだろう。あるいはもっと長く時間がかかることだってある。でもね、そのうちにふっとわかるんだ。突然霧が晴れたみたいにわかるんだよ。そこがいったいどんな場所かということがね。そしてその場所がいったい何を求めているかということがさ。もしその場所が求めていることと、自分の求めていることがまるっきり違っていたら、それはそれでおしまいだ。別のところにいって、同じことをまた繰り返す。でももしその場所が求めていることと、自分の求めていることとのあいだに共通点なり妥協点があるとわかったら、それは成功の尻尾を掴んだことになる。あとはそれをしっかり掴んだまま離さないようにすればいい。でもそれを掴むためには、馬鹿みたいに雨の日も雪の日もそこに立って、自分の目で人の顔をじっとみていなくちゃならないんだよ。計算なんかはあとでいくらでもできる。俺はね、どちらかというと現実的な人間なんだ。この自分のふたつの目で納得するまで見たことしか信用しない。理屈や能書きや計算は、あるいは何とか主義とか理論なんてものは、だいたいにおいて自分の目でものを見ることのできない人間のためのものだよ。そして世の中の大抵の人間は、自分の目でものを見ることができない。それがどうしてなのかは、俺にもわからない。やろうと思えば誰にだってできるはずなんだけどね」

「マジックハンドというだけのことでもないんですね」

「それもある」と叔父はにっこり笑って言った。「でもそれだけでもない。俺は思うんだけれど、お前のやるべきことは、やはりいちばん簡単なところからものごとを考えていくことだね。例えて言うなら、じっとどこか街角に立って毎日毎日人の顔を見ていることだろうね。何も慌てて決める必要はないさ。辛いかもしれないけれど、じっと留まって時間をかけなくちゃならないこともある」

「それは、もうしばらくここにいろということですか?」

「いや、俺はどこに行けとか、ここにいろとか、そういうことを言っているわけじゃない。ギリシャに行きたいのなら、行けばいいと思う。ここに残りたいのなら、残ればいいと思う。それはお前が順番をつけて決めることだよ。ただね、お前がクミコと結婚したのはいいことだとずっと思っていた。クミコにとってもいいことだと思っていた。それがどうしてこんな風に急に駄目になってしまったのか、俺にはもうひとつうまく理解できないんだよ。おまえにもまだうまく理解できていないんだろう?」

「いませんね」

「だとすれば、何かがはっきりとわかるまで、自分の目でものを見る訓練をした方がいいと思う。時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることが、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」

「復讐」と僕は少し驚いて言った。「なんですか、その復讐というのは。いったい誰に対する復讐なんですか?」

「まあ、お前にもそのうちに意味はわかるよ」と叔父は笑って言った。

(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』(第2部 予言する鳥編)新潮文庫、pp.311-315)