「野球部って、野球をするための組織じゃないの?」

moshidora
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「野球部って、野球をするための組織じゃないの?」

 夕紀は、何気ない調子でそう言った。しかしみなみは、残念そうな顔をしながらこう答えた。

「それが違うらしいのよ。『マネジメント』には、こうあるわ」

 

  自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。(二三頁)

 

「つまり、『野球をすること』というのは、ここでいう『わかりきった答え』なのよね。だから、それはたぶん違うと思うの」

「あ、そうなんだ。ううん・・・難しいのね」

「そう。だから私も、ここで行き詰まっちゃったんだ。野球部って、一体なんなんだろう?――って。それで、夕紀に聞けば何か分かるかもしれないと思って、今日聞きに来たんだけど・・・」

 それから二人は、色々と考えてみた。お互いに思うことを言い合って、意見を交換した。しかし、いくら考えてみても、納得のいく答えは見つからなかった。

 そこでみなみは、気分を変えようと、今度は別の質問をしてみることにした。

「そういえば、夕紀はどうしてマネージャーになったの?」(25-26[第一章 みなみは『マネジメント』と出会った])

 

 

 

 結局、野球部の定義は分からず終いだった。そこでみなみは、もう一度『マネジメント』を初めからじっくりと読み返してみた。本の中に書かれていることの意味を、もう一度しっかり読み取ろうとした。

 すると、そこにはこうあった。

 

   企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。(二三頁)

 

みなみは、いつもここのところでつまずいてしまった。ここのところで分からなくなった。つまずく原因は、「顧客」という言葉にあった。この「顧客」というのが何を指すのか、よく分からなかったのだ。

もちろん、言葉の意味は分かった。それは簡単にいうと「お客さん」という意味だ。しかし、それが野球部にどう当てはまるのかが分からなかった。野球部にとって「お客さん」というのが、誰を指すのか分からなかった。

『マネジメント』には、続けてこうあった。

 

したがって「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。(二三~二四頁)

 

 ――本当に、「顧客」とは一体「誰」なんだろう?

 みなみは考えた。(35-37「第二章 みなみは野球部のマネジメントに取り組んだ」)

 

『マネジメント』には、「顧客は誰か」を問うことについて、こうあった。

 

 やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。しかるに、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかがほぼ決まってくる。(二四)

(37「第二章 みなみは野球部のマネジメントに取り組んだ」)

 

『マネジメント』を読み始めて以来、みなみには一つの信念が芽生えていた。

――迷ったら、この本に帰る。答えは、必ずこの本の中にある。(43「第二章 みなみは野球部のマネジメントに取り組んだ」)

 

「じゃあ、聞きたいことがあるんだけど」

「ん?」

「野球部の『顧客』って誰なのかな?」

「え?」

「私、それが分からなくて、ずっと困ってたんだ。この本にはさ、『企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される』って書いてあるんだけど、これは顧客が誰で、どんな人であるかによって、野球部が何であって何をすべきかが決まってくるってことだよね? そこまでは分かったんだけど、肝心の『顧客』っていうのが誰なのか、さっぱり分からなかったんだよね」

「ふむ」と、その質問を受けて、正義も真剣な表情になった。

「ちょっと見せて」と、みなみの持っていた『マネジメント』を受け取ると、パラパラとページをめくって、それからこう言った。

「ああ、ここ、ここ。『マネジメント』には、こう書いてある」

 

 一九三〇年代の大恐慌のころ、修理工からスタートしてキャデラック事業部の経営を任されるにいたったドイツ生まれのニコラス・ドレイシュタットは、「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ」と言った。この答えが破産寸前にキャデラックを救った。わずか二、三年のうちに、あの大恐慌時にもかかわらず、キャデラックは成長事業へと変身した。(二五頁)

 

「これを参考にすれば、『顧客は誰か』っていうのも分かるんじゃないかな」

「どういうこと?」

「つまり、ドラッカーがここで言っているのは、自動車というものの定義も、単に『輸送手段』だけではないということだろ。例えばキャデラックだったら、そこに『ステータス』が加わる」

「うん」

「それが分かったのは、ニコラス・ドレイシュタットが『顧客は誰か』ということを考えたからなんだ。そして彼は、『ダイヤモンドやミンクのコートを買うお客さん』という答えを導き出した。だから『ステータス』という定義づけをすることができたんだ。

これと同じように、野球部の場合も、まず『顧客は誰か』というのを見極めることから始める。そうすれば、野球部が何で、何をすればいいかというのも分かってくるんじゃないかな」

「うん。だから――」とみなみは、ちょっと苛立たしげな顔になっていった。「その『顧客は誰か』というのが分からなくて困ってるんじゃない。球場に来るファンが顧客というわけではないでしょ? 分かりやすい答えが、そのまま正しいということはほとんどない、って書いてあるんだから」

 しかし正義は、涼しい顔をしてこう言った。

「何も堅苦しく考える必要はないよ。確かに、野球部は球状に見に来るお客さんからお金をもらっているわけじゃないけど、それでも、タダでやってるわけじゃないだろ? ちゃんと、野球をやるためにお金を出してくれたり、お金は出さないまでも、協力してくれている人たちがいるじゃないか」

 そう言われて、みなみは全く不意に、そういう人たちがいるということに初めて思い至った。

「あ!」

「だから、そういう人たちを野球部の顧客と考えればいいんだ。彼らなしには、野球部は成り立たないからね」

「あ・・・あ・・・」と、みなみは興奮したように正義を見た。「そうなると、例えば『親』が顧客ということになるの? 親が学費を払ってくれてるから、私たちは学校に行けるし、部活動もできてるわけで」

「そうだな」と正義は答えた。「それから、野球部の活動に携わってる『先生』たちや『学校』そのものも、顧客ということになるだろうな」

「だったら、その学校にお金を出している『東京都』も顧客ということになるよね?」

「うん。その東京都に税金を払っている、『東京都民』も顧客だ」

「なるほど!」と、みなみは興奮して大きくうなずいた。「あ、じゃあ『高校野球連盟』も顧客かな? 彼らが、甲子園大会を運営してくれてるわけだから」

「そう。それに全国の『高校野球ファン』も、やっぱり顧客ということになる。ぼくらは、彼らから直接お金をもらってるわけじゃないけど、彼らが興味を持って球場に足を運んでくれたり、新聞の記事を読んだり、テレビを見てくれたりするおかげで、スポンサーがお金を出して、そのお金で甲子園大会が運営されているわけだからね」

「ふむふむ、そうなんだ・・・そう考えると、高校野球に携わるほとんど全ての人を、顧客ということができるよね」(51-55「第二章 みなみは野球部のマネジメントに取り組んだ」)

 

 

「そうよね! 合ってるよね!」とみなみも、興奮に激しくうなずきながら言った。「私、知っているの。一人、野球部に感動を求めている顧客がいることを! そうなんだ。彼女が顧客だったんだ。そして、彼女が求めているものこそが、つまり野球部の定義だったんだ。だから、野球部のするべきことは、『顧客に感動を与えること』なんだ。『顧客に感動を与えるための組織』というのが、野球部の定義だったんだ!」(57「第二章 みなみは野球部のマネジメントに取り組んだ」)