【ポストモダンの本棚】『ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー』(菊澤研宗)

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【経営学は貢献可能か】
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『ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー』祥伝社新書

 

経営学とはどのような学問なのだろうか。経営と一言で言っても、対象はあまりに広い。規模によっても経営の方法や範囲は異なるし、業界によっても違う。要は人間が各人各様なのとまったく同じで、企業に対して一般普遍に妥当する法則は存在しないように思える。

いつからかMBAの取得が「できるビジネスマン」に選好されるようになり、学問と実務のあわいに当世の出世欲と野心がスパークするようになっている。もちろん野心や向上心は人間にとってなくてはならないものなのだが、果たしてビジネススクールで教えられている知識や方法が、どの程度学問的貢献をなし、ひいては実務的な貢献をなしているのかは看過されてよい些事とは言えない。

軽く手にとれる本だが、その意図するところは果てしなく広く、しかもラディカルな問題意識によっている。たとえば、冒頭で次のように述べている。

「今日の米国では『実証主義的な科学的経営学』がまかり通り、市場も支配できるという傲慢な発想にまで発展しているのだ。それがリーマンショックを導いた原因の一つかもしれないと思った。そして、この米国流の疑似科学的な経営学から、ドラッカーの経営哲学をも許容する日本の経営学をどのようにして守るべきか。いかにして科学主義に負けないようにするか」。

経営の問題は、おそらく経済学以上に世の中のマインドに対して力を持つ面がある。理由の一端はその「わかりやすさ」である。マクロ経済について語るだけの知識がない人でも、大会社の経営について語れる人は決して少なくない。あるいは、自分の会社の経営状況についてなら、よほどのことがなければ語れる人が大半だろう。

つまるところ、経営の問題はあまりに身近でしかも切実なのである。それだけに影響力が大きい。このような評論や助言のしやすさが、MBAやコンサルなどの伸張に手を貸してきたのかもしれない。

「平凡な経営学者やコンサルタントの助言に従って、経営者が経済合理的マネジメントだけを展開すると、いつかどこかで正当性を無視して経済合理性を追求し、長期的利益を無視して短期的利益を追求し、全体を無視して個別合理性を追求して失敗するような不条理に陥ることになる」。

そして、著者は力強く言う。「このような不条理に陥らないために、実は科学的な経済合理的マネジメントとは別のマネジメントが必要なのだ」と。その一つが、ドラッカーが展開している哲学的で人間主義的なマネジメントである。

単に、経営学の科学主義を批判し、ドラッカーの人間主義を称揚するのではない。それ以上に、安直な科学主義が世の中を傷つけるリスクと、経営するものが哲学と理念を持つことに伴う発展の可能性にまで目が配られている。そして、いずれもが、著者自ら見聞してきた体験や、考察によって裏付けられている点が本書に高い説得性を与えている。

現在のところビジネススクールで教えられることに、大きな変化はないようにも思える。だが、ゆっくりと確実な変化が底流で起こっていることを教えてくれる一冊である。