ドラッカーの話法--ひたすら耳を傾ける②

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ドラッカーは「聞く」ことが、知識労働者であるための基礎的素養と考えていた。ひたすら耳を傾けることである。「聞く」ことがそこまで大切であることを知る人はさほど多くはない。 

きちんと聞けない人がきちんと話せることはない。特に現在のような高度情報社会では、大切な情報は人と人とのさりげない会話の中にある。それに、ドラッカー話法の素材も、人から聞かせてもらったものの中に多く潜んでいる。

それにしても聞くということは、一つの立派な能力である。

周りを見回してみてほしい。世の中には話したい人など掃いて捨てるほどいる。しかし、人の話が聞きたくてたまらないという人はさほどいない。

もしあなたが聞き上手であるならば、それだけで大変貴重な人材と言っていいくらいに、聞き手は慢性的に供給不足である。

ドラッカーはこんなことを言う。

「人の話を聞くのは簡単である。口を閉じればいい」。

確かにそう言われれば簡単そうに聞こえるが、良き聞き手になるのは必ずしも簡単ではない。というのは人の話を聞くときは、自分を無にする必要がある。これは能力というよりも習慣の産物である。

人の思考はいつも動き続けている。人の話に耳を傾けているときも例外ではない。話を聞きながらもつい心の中で「おしゃべり」をしてしまう。

話を聞いていると、その話に触発されてつい自分自身とおしゃべりをしてしまう。この誘因に抗うのはかなりの精神力を要する。

しかし、ドラッカーほどの達人になると、耳をじっと傾けながら、話し手が「何を言っていないか」にも同時に耳を傾けていた。

こうしてみると、ドラッカーにとって聞くとは受動的ではなく、能動的でクリエイティブな行為なのだということがわかる。

聞く力の大切さはあまり認識されていないと述べた。

特に口が立つ人ほどその傾向が顕著である。その種の人に共通するのは、ポジティブであればあるほどよいという誤った思い込みである。自分がいかに多忙であり、世界各地を飛び回っており、いかに著名人と知り合いであるかをまるで勲章のように他人に語る。それはフォルス(偽りの)・ポジティブである。

人物像から見れば、ドラッカーとは似ても似つかない。

何より言葉数の多さが説得力を保証するわけではない。むしろ自分自身にも周囲にも負担のかかる動きをすることは、自慢できることでも優秀さの証でもない。

豊かに伝える力を培うのであれば、もっと異なる方向に意識を向ける必要がある。

その点、聞く力はあらゆる伝達力の土台となる。自分の持つものを最大限に聞き手に伝えたいのであれば、自分らしく人に耳を傾ける姿勢を身に付けるべきである。

どんな人でも、「謙虚に耳を傾けることが大事だね」と口をそろえる。しかし、その一方で、あまりの多くの人々が、進んでコミュニケーションを破壊するような明らかに損なことを続けている。

真に聞く力を味方につけたいと望むならば、まず行うべきは、自身の聞き方を細かくチェックすることである。

人が話しているときに割って入ったり、話題を強引に自分の関心に引き寄せたりなどの明らかな悪習に染まっていないだろうか。「ついうっかり」とか「悪気はないのだけれど」などと言い訳をしても、これらは人間関係を破壊する悪い習慣である。

甘んじていてはいけない。

以下は一般的に言われる聞くうえでの悪習である。

・目を見て話をしない
・相槌をうたない
・うなずかない
・無駄にうなずきすぎる
・途中で口をはさむ
・「でもね」「そうじゃなくて」
などの否定語で受ける
・「だからさ」「何度も言ったことだけど」などのたたみかけを常用する

このリストに上げられたものを見直してほしい。いずれも「ハラスメント話法」と言われるもので、相手を支配しようとする話法である。際立った美徳はあるだろうか。一つもないはずである。

つまり、これらはドラッカーの話法以前に、当然の常識やマナーに反している。それでも、周囲を見回してみてほしい。どれだけの人がついこのようなことをしてしまっているか。

コミュニケーション上のトラブルのほとんどは、言った内容よりも、言い方に起因している。同じように、話し手の不快感の大半は、聞き方の悪さに起因することが多い。

聞く秘訣とは非常にシンプルであり、誰もが知っていることばかりである。この機会にこと細かに自分の聞き方を検証してみてほしい。聞き方を改めることなく、伝え上手になることはできない。悪習慣があるなら、それを断ち切ることである。

ドラッカー・スクールでマインドフルネスを教えるジェレミー・ハンターが挙げている例である。彼の同僚に、会議の席でいつも軽い皮肉なコメントする人がいた。その皮肉が必ずしも快いものではなく、出席者はいつも嫌な気持ちになっていたものだった。

問題はそこからである。あるとき、ハンターが本人に、どうしてそのような皮肉を言うのかと聞いてみると、驚くべきことに当人にはその自覚がなかったという。

ハンターはまず自らの悪習の自覚を促すところからはじめた。自分が人を不快にする発言をする癖を持っている、そのことを意識し、悪習から決別できたという。

ドラッカーは会話の早々に本題に入る無粋な人ではなかった。必ず話し手への関心をいくつかの質問として示した。一言で言えば、雑談から入った。雑談は、相手への人間的関心を示すうえで最も有効で即効性の高い方法である。

できれば、ここでもひたすら耳を傾けることである。口を閉じることである。質問をして耳を傾けることは、相手への最上級の敬意を示すうえで、最もすぐれた方法だからである。

さらには、雑談をしてくれたお礼に、話し手にその場で率直な感想を伝えられるとよい。

自分に対して何の先入観もない人から、率直に語られる感想ほどインパクトの大きなものはない。

・「とてもおもしろかったですよ」
・「はじめて聞く話でした」
・「友達にも聞かせてあげたいです」

誰にとってもしっかりと話を聞いてもらえるほどうれしいことはない。聞くということも、日常的に訓練できる習慣である。より精度の高い聞き方を身に付けることによって、自然に必要な知識や情報が入ってきたら、聞き手にとってもこれほどの成果はない。

こうした効果を考えると、現代人の大半は、聞けないばかりに損をしていることがあまりに多い。しかも、自らを優秀でリーダーシップと統率力に秀で、話し上手と思う人ほどその傾向が強い。彼らはアクセルだけを備えてブレーキを持たない自動車に似ている。

ドラッカーの言うように教えることは最高の学びである。ぜひそのようなフィードバックをすることで、話し手の強みや真の姿を教えてあげるとよい。そして次にその気付きを得るのは自分自身である可能性が高い。