ドラッカーのビジョン(金森久雄)

kanamori
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 金森久雄『大経済学者に学べ』

 

経済学の根本的な過程に疑問

もう一人の大経済学者としてP・F・ドラッカーを挙げたい。ドラッカーは、これまでの学者とは違って、経済学者というよりは、経営学者の系列に属する。しかし、普通の経営学者とは全く違う。ドラッカー自身が代表的著書『断絶の時代』の序文で述べているように、「視野は広く、経済学、政治学、社会問題、技術からさらに学習と知識の世界にまで足をふみ入れて」おり、経済社会について非常に幅広い観点から経営というものを見ている。大きく、かつ豊かなビジョンを提供した点で私はドラッカーを大経済学者の一人に数えるのである。

ドラッカーは1909年にオーストリアの首都ウィーンで生まれた。彼の生いたちは、『傍観者の時代』という自伝に生き生きと描かれている。彼が生まれた家庭は知的な雰囲気に満ちており、当時のウィーンの知識社会と交流があった、このような環境の中で、ドラッカーは恵まれた生活を始めるのであるが、あいにく彼が大学に学んでいる頃からナチスの勢いが強くなって、自由な研究活動ができなくなった。そこで、ドラッカーは1933年、圧迫を逃れてイギリスへ渡り、ロンドンのあるマーチャント・バンクに就職した。

1937年にはアメリカへ渡り、イギリスの新聞のためにアメリカの政治経済情勢の記事を送った。この間に企業のコンサルタントを務める傍ら産業や企業に関する多くの著作を出して、次第に注目されるようになった。彼の名を有名にしたのは、1939年に出版された『経済人の終わり』という著書である。これは1964年に東洋経済新報社から翻訳が出されたが、1997年にダイヤモンド社から新訳が出版されている。この著作で彼は、主として全体主義を論じたが、「人間は経済的利害を目的とし、利益を最大にするように行動をする」というアダム・スミス以来の経済学の根本的な仮定に対して疑問を持つようになり、非常に幅広く、従来とは異なる観点から経済や企業の問題をとらえるようになった。

 

マクロ理論にミクロ的基礎を与えた『現代の経営』

ドラッカーの名声を一気に高めたのは、1954年に出版した『現代の経営』という著作である。これは原著が出版されて以来、40年を経た今日でも広く読まれている経営学の古典である。ドラッカーはこの著書で、「企業が行う事業というのは、マーケティング及び革新を行うことによって顧客を創造する活動である」といった。この著書の中で、ドラッカーは「市場は、神や自然によってつくり出されるものではない。市場をつくり出すのは事業家である。(中略)事業家の行為がそれ(顧客の欲求)を有効需要に転化する場合にはじめて、顧客と市場が生まれる。ときにはまた事業家は、これまで人々が全然感じていなかった欲求を、宣伝とかセールスマンシップの発揮、あるいはまた新製品の発明といった手段によって創造する。これらいずれの場合においても、顧客を創造するのは事業行為である」と述べている。与えられた需要のもとで利益を最大化するのが企業経営の目的であるという従来の考え方とは大きく異なっていて、シュムペーターの考えに似ている。

アメリカの著名な経済学者ガルブレイスは1908年生まれで、ドラッカーより一歳上であるが、彼の有名な著書『新産業国家』もやはり企業が顧客を創造するのだという基本的な考え方に立っている。ただ、ガルブレイスはこれを現代の産業社会は企業が支配していると言って否定的にとらえている。これに対し、ドラッカーは新しい企業の役割としてこれを肯定的にとらえたのである。そして、企業家に対して、資本主義興隆期に企業家たちがやったように、旺盛な企業家意欲を持って客創造活動をせよ、と呼びかけた。

『現代の経営』はアメリカでも非常によく読まれたが、特に日本の企業家に大歓迎され、以降、ドラッカーは日本の企業経営者の間で神様のように偶像視されるほどになった。それは『現代の経営』でドラッカーが描いた企業家の姿が当時の勃興期の日本の企業家にぴたりと合っていたためであると思う。ドラッカー自身もこの著書の中で日本の企業家を高く評価している。

『現代の経営』は、合理的な思考のもとで創造力を発揮せよ、と企業家を激励しただけではなく、また、実際の企業経営者の行動に役立つような教訓も多く盛り込まれていた。彼は、経営者はいかなる職務を果たすべきであるか、高級幹部をどのように管理するべきであるか、企業に働いている人やその仕事をどのようにマネージすべきであるかといった実際的な問題についても適切な方法を示したのであり、その結果、この本は企業経営者のバイブルのようになった。

ケインズ経済学は、投資や消費といったマクロ的な動きが経済の発展や変動をどのように生み出すかという問題を主に取り扱ったが、実際に投資を行うのは個々の企業である。したがって、マクロ経済学は企業を中心としたマクロ経済学に補完されなければ本当に役には立たない。ドラッカーはケインズやシュムペーターによって築かれたマクロ経済論に、「企業」というミクロ的基礎を与えた。

 

『断絶の時代』

その後、ドラッカーは次第に企業経営の問題を離れて、経済社会全体の動きに関心を持つようになり、『新しい社会と新しい経営』、『変貌する産業社会』といった著作を続けざまに出したが、決定的な成功をおさめたのは、1969年に出版した『断絶の時代』という著書である。この本は、現代の経済が過去とは全く違った新しい時代に入ったということを非常に力強く述べたものである。

では、どういう点で過去と断絶しているかというと、第一に、新しい技術によって新しい産業が発展し、その技術を活用する企業の重要性が高まったこと、第二に、経済が国境を越えて世界化し、多国籍企業が発展したこと、第三に、組織が変わって、従来の政府では扱えないような問題がどんどん発生し、その結果、企業という組織の役割が重要化したこと、第四に、世界において知識の役割がますます重要になってきており、教育の役割が大事となったこと、である。ドラッカーはこれらのうちでも第四の知識の役割を最も重要なものとしている。この『断絶の時代』は大変なベストセラーになった。これは現在から30年近く前で、彼が60歳のときの著作である。それ以後もドラッカーには多くの著作があるが、それらは大体『断絶の時代』が源であり、これを発展させたものである。

ドラッカーが偉いのは、経済社会の流れを非常に的確に洞察していたことである。ドラッカーは1989年に『新しい現実』という著作を出版した。この書は、我々は既に「未来」におり、「未来」の奥深く踏み込んでいるということを叙述したものであり、20年前に予想した「未来」がもはや現実となっているという勝利の宣言である。しかし、一方で、彼はまだほとんどの人たちは、この「新しい現実」を見ていないと嘆いている。

 

日本における「新しい現実」

現在の日本の経済を観察すると、確かにドラッカーの言葉は至言であると思う。私が日本で30年前にドラッカーの著書を読んだときは、遠い未来論であると考えていた。しかし、それらは既に日本でも現実になっている。30年どころではない。10年前に未来と考えていたことが既に現実の問題となっているのである。日本の「新しい現実」として、私は経済の自由化、情報・通信化、地球化の三つを挙げたいと思う。

経済の自由化が政策の課題として取り上げられたのは、1987年、中曽根内閣による日本国有鉄道の分割、民営化である。10年前は、国鉄が民営化されるとはほとんどの人が考えていなかった。自由化政策が軌道に乗ったのは、1995年3月、村山内閣による規制緩和五カ年計画である。これは極めて微温的で、ほとんど実効がないという批判が多かったが、その後2年余りの間に日本経済には大きな変化が起きている。特に大店法や情報・通信関連の自由化の結果として、日本経済は大きく変わってきているのである。

第二の情報・通信化の発展も早い。戦争直後にアメリカで発明されたトランジスタがLSI、超LSIへと発展し、経済に大きなインパクトを与えてきたが、それが通信と結びついて、情報・通信化が飛躍的に進んだのはつい近年1994年の頃である。その後のエレクトロニクスや携帯電話の普及が進んだ。これが時間・距離の消滅、情報の蓄積と検索、バーチャル化や双方向化などをもたらして、日本の企業経営ばかりでなく、社会生活全体を巻き込んだ変化になりつつある。

第三の変化は地球化である。日本の地球化元年は1986年である。円が急騰し。国内生産では輸出競争力を失った企業が一斉に直接投資に乗り出した。当初、それは日本経済の空洞化を引き起こすと心配する人があったが、その心配は当たらず、現在、日本の製造業は日本国内だけでなく、アジア全域に活動の範囲を広めている。

以上の変化はわずかここ10年ほどで起きたものであるが、10年前に遠い未来と考えられていたことが急速に現実となっている。現在は「断絶の時代」である。経済が大きく変わっていることに気がつかないで、古い見方で経済を議論してはだめだ。

 

ドラッカーのビジョン

ドラッカーのビジョンは、先にも述べたように、企業が単に資本や労働力を集めて、最大の利潤を追求するものだという古い企業観から離れて、マーケティングや革新を行って顧客を創造するものだと企業をとらえたことである。その上、新しい企業観を総論的に述べただけでなく、「顧客創造」という新しい役割を達成するためにどのようなマネジメントが必要か、という方法を具体的かつ詳細に叙述したところにドラッカー経営学の特性がある。

ドラッカーは企業は具体的な目標を持ち、それらの目標を達成することが経営者の任務であると主張する。そこで、どういう目標を立てるかというと、(1)市場の地位をどうするか、(2)革新をどうするか、(3)生産性をどうやって上げるか、(4)資金をどのように調達するか、(5)収益をどのように上げるか、(6)経営の管理者の能力をどのように高めるか、(7)労働者の意識をどうやって向上させるか、そして、(9)企業の社会的責任をどうするか、これらの八つに分けて議論をしている。

ここからわかるように、従来の企業論のテーラー・システムやフォード・システムといった、いかに生産性を上げるかというような考え方も含まれているし、また、ガルブレイスの言うように、顧客、あるいはマーケットを創造するという考え方も含まれている。また、シュムペーターの言う新しい技術を取り入れるといったものなど、いろいろな考え方が非常に幅広く取り入れられている。

もう一つは、ドラッカーの経歴で見たように、彼が企業のコンサルタント等を経験してきたことを生かして、彼の実際的な経験を随所に織り込んだことが、『現代の経営』の成功に大きく寄与したといえるだろう。経営という点からさらにもう一ついうならば、ドラッカーは、以前から現代社会において経営というものはどのように発展していくかという大きな課題に取り組んでおり、これに関する幾つかの前兆ともいえる書物があったが、最終的にそれが『断絶の時代』という著作に結晶した。これは現代の経営者に大きな影響を与えた。

 

未来学は現代学

未来学は30年前、日本でも非常にはやった。日本経済研究センターでは未来学の国際セミナーを早い時期に行っていた。未来学には、ヨーロッパ流の未来学とアメリカ流の未来学があった。フランスの未来学者は、哲学的な傾向が強く、経済が発展していけば人間は不幸になると言う人が多かった。「憂鬱な未来学」である。

一方で、アメリカの未来学はいろいろあるが、最も有名だったのはハーマン・カーンである。カーンの未来学は、将来、どのようなことが起きるかということでなく、「未来学というのは現代学」であるという信念のもとに展開した。現代どういう行動をとるかによって未来は決まるのであり、あらゆる可能性を考えて未来のビジョンを描いて、現在の行動を決定するのが未来学であるというように積極的に未来学を定義した。カーンの著作『紀元二〇〇〇年』は日本に非常に大きな影響を与えた。私は彼の未来学を高く評価している。

また、カーンは、通常では考えられないような、思想的、技術的、経済的、社会的な変化を具体的にいろいろ挙げ、それにもとづいて幅の広い将来の可能性を示した。そこにカーンの尊敬すべきところがある。カーンは単純な成長論者のように日本では誤解をされていると思う。私はカーンと仲がよかったけれども、一九八二年に六一歳という若さで亡くなってしまった。

 

明るいビジョンを描くドラッカー

学術的な未来学者として偉いのは、『脱工業化社会の到来』を書いたダニエル・ベルだ。彼は、物をつくる産業化社会から情報中心主義の社会になるといち早く言った。日本では梅棹忠夫が同じことをほぼ同時に言っている。

ただ、ベルの『脱工業社会』の中には、だんだん情報が発達すると、未来が計画化されるようになってくるという考え方がある。彼には、このまま脱工業化が進めば管理社会になるという懸念があった。そういう懸念は、一般の世間にもあり、それが、例えば一九六五年前後の世界的な大学騒動にもつながっている。将来は自由がない管理社会になるという不安感が学生運動の根本にあった。未来社会論には、明るい面もあるけれども、人間がコントロールされるという暗い考えも入っていた。シュムペーターが『資本主義・社会主義・民主主義』という本の中で語った未来観も、資本主義はだんだん管理されて、社会主義になってしまうというものだった。ある面ではダニエル・ベルにもつながったグルーミーな未来観ではないかと思う。

しかし、ドラッカーのビジョンは明るい。今の情報化社会論もドラッカーの中にあるし、地球化論もあるし、だんだん国家の組織というものが矛盾をきたすということも彼の思想に含まれている。そして、それらを突破するのが企業だと言う。国家という組織にかわって、企業組織の重要性が非常に大きくなると主張する。