耳を澄まし続ける人
マーシャル・マクルーハン、バリントン・ネヴィット
井坂康志訳
文化都市ウィーンの相貌
ドラッカーが生まれ育ったウィーンは、文化、経済で世紀の十字路を象徴する都市だった。量子力学やインターフェイスといった学術的語彙がようやく産声を上げた頃であって、そこから人は文化の多様さがもたらすものの意味を知ることになった。ウィーンは良くも悪くも文化都市の見本だった。都市計画にあっても精緻な図面はなかった。むしろ持てる生命力がごく自然に雑多な相貌をとって発露した。市民もその文化風土の一部だった。
ウィーンはその存在感において国家にも比肩しうる都市だった。ミニ国家そのものだった。神聖ローマ帝国の栄えある中心たり続けた。ドラッカーの『断絶の時代』に次のようにある。一九〇〇年には、国の数は五〇にみたなかった。ヨーロッパに二〇、南北アメリカに二〇、その他の地域に一ダースたらずがあったに過ぎなかった。第一次大戦後は、六〇ほどになった。今日では主権国家は一六〇を越え、毎月のように新しいミニ国家が加わっている(『断絶の時代』上田惇生訳)。
ミニ国家乱立の背景に、電子情報環境が寄与することが暗にほのめかされる。ドラッカーが生まれ育った頃といえば、伝統様式に加えビザンティン式やドイツ式、さらには東洋文化さえも貪欲に取り込まれた時代である。ウィーン市民がおしなべて美的感性に秀でるのもそのような背景が作用するものと考えてよい。
ドラッカーは日本画への精通でも知られる。触空間や空間芸術の類稀なる理解者だった。日本には生け花なる独自の文化がある。それは花をデザインしない。空間を創造する。電子工学や量子力学の意味を正確に捉え、同時に日本的美意識にも鋭敏な知覚を持ちえたのがドラッカーだった。特に『断絶の時代』は、まさしく東洋的美意識と西洋的技術を共に具備する卓抜な世界観を根底に持つ。
ウィーン時代に培養された意識や感性の淵源は他にも見て取れる。裕福な高官の子弟だった。知的レベルは高かった。家に出入りする文化人も、きわめて国際的かつ文化的だった。二〇世紀の巨人たるフロイドの姿さえ見え隠れする。そんな文化的に豊穣な一角を起点として、ドラッカーはドイツで職を得てかつ学び、後にイギリスを経てアメリカへと渡った。そんな移住生活の中でやがて一人の世界市民へと成長していく。持ち前の博学と国際色豊かな文化背景は、電子情報時代への理解や知覚にも大いに寄与するところがあった。いわば、現代に甦る古典的教養人の一人だった。法学で博士の学位を得たのも金融経済を専門とする父アドルフと無関係でなかったはずだ。欧米にあって法学部は人文主義の流れを汲む。かつてのエリザベス朝の紳士や教養ある人文主義者は、現在では生態的問題関心を持って自らの精神を養う。西洋の伝統的教養たる雄弁術の流れを汲む人々である。
現代の教養
反響なる現象がある。いわば、ユークリッド空間たる物的世界を基礎として持つ共振作用である。E・A・ボットは、アコースティック空間なるものを終生研究対象とした心理学者である。そのボットのいう空間は「あまねく中心を持ちつつ、どこにも周辺を持たない」性質のものだった。アコースティック空間などは神の観念の新プラトン的解釈ととれなくもない。たとえば、プラトンの『ティマイオス――自然について』に類似の思想がある。それは古典古代の世界観だった。反響が人間の声と自然音の調和とされるのは洋の東西を問わない。そのような人間観・自然観が、古代にあって人文研究を科学の座にまで引き上げた。弁舌は英知と同義だった。ギリシア、ローマでもそう考えられたし、西洋においても同様だった。
そこには万学同源の思想があった。それがまさしく量子物理学の衣装をまとって現代に甦った。現在のエコロジストは一人の例学なく調和ある科学の発展を叫ぶ。これははからずも古代に優位を占めた論理の再来にほかならない。電子情報の時代に交わされるふとした会話さえ、すべからく古代の調和と徳性の復権を思わせずにはおかない。行政機関や専門知識が過剰に細分化されるなかにあっても、そのような調和と反響はあらゆるものに入り込む。意識せずして、一つの思想的総体への編入を余儀なくされる。
あの多難を極めたアポロ計画の思わぬ副次的効用とは、技術以上に社会に影響を持った。多数の主体が一つの目的に向かって緊密に連携し成果を上げるようになった。政官学財が
連携することを学んだ。意識したかはともかく、ドラッカーは古典古代の思考様式を多領域で同時実践した。それはウィーン独自の文化によるものとも言えるし、後の経済学や法学の修練によるものでもあった。
キケロの雄弁に伴う博学多才の知的伝統は、法学の世界で濃厚に息づく。考えてみれば、ヨーロッパで政治学に関わるなら、法学の修練はむしろ避けて通れないものとさえいえる。その驚くべき博学は法学に端を発し万学への果てしない広がりを持つものだった。適当にかじる程度であの域に行けるものではない。
その知的射程は、言語、哲学、政治、経済などを確実に掌握していた。それ自体一つの自律的な世界だった。同時に実世界との接点も濃密だった。古典時代の教養そのものだった。複合知の渉猟を一時の流行と見る向きもあろう。だが、違う。単なる知識を超えて、現代の電子工学とさえ関わりを持つ。あたかもキケロさながらである。あるいは東洋の易の思想をも彷彿とさせる。
セオドア・リップスが述べるように、ベル音も組み合わせ次第でいかなる交響楽も奏でられる。確かに現実の世界はかかる包括性、同時性の複合物である。われわれの時代の意識がそのようなものとして再構成されようとしている。他方で、そのような考えは、単にデータを機械的に蓄積するがごときここ数世紀来の方法論と正面対決せざるをえなくなる。知識産業の主役たる企業の論者として、ドラッカーを先端をなす一人と識別するのはたやすい。確かに、現代産業はどれを見ても知識を要しないものはない。昔ながらの手工業と比較しても明らかだ。そのなかで、いわゆる企業のマネジメントで最も卓越した論者と認識されるのもうなずける。
企業診断にあって、「無免許精神科医」などと自称したことがある。それとの関係で言えば、フロイトもまたウィーン市民だった。自らの精神分析学で現実問題を読み解き、近代産業の隆盛と家族崩壊は同時進行しつつあるとした。いわばフロイトが内部の人間世界に適用したことを、外なる世界に体系的に適用したのがドラッカーだった。
だが、ドラッカーはフロイド流というより、ウィーン文化の実践者のイメージと重なる。フロイドとその学派が見出した事実がある。ウィーンには精神を病みながらも耳を傾けてくれる人のない者が山ほどいた。そんな人たちは悩みを聞いてくれさえすれば金に糸目をつけなかった。アメリカとヨーロッパ古典古代の教養が現代に復活しつつある――。その説が正しいなら、二つの現象が傍証してくれる。一つは古代の反響への思想が量子物理学なる新たな装いで再び表舞台に登場したことである。もう一つは社会の代表機関たる企業への関心がこれまでになく高まったことである。
なかでもあらゆる物理原則を量子力学的共鳴に帰すほどの科学上の逆行はない。一九二七年にヴェルナー・ハイゼンベルグがその観念を提唱し、続いてライナス・ポーリングが著書『化学結合の性質』で分析した。最先端の量子力学が人文史で極端な反動勢力の一角をなすのには当人たちでさえ苦笑いせざるをえないだろう。かつてはニュートンが同じ立場に置かれた。ニュートンは万有引力を見えざる実体で説明する努力を放棄し、単なる作用とした。当時にあってはいかなる作用も実体的で可視的な力でしか説明されなかった。ニュートンの考えが一般化したのは『サイエンティフィック・アメリカン』の創刊以降だった。
ドラッカーが結果としてアメリカに腰を落ち着けたのは見逃しえない意味を持つ。渡米後も欧州人脈を維持し、そのリーダー役だったともいう。『「経済人」の終わり』(一九三九年)にはっきり記されるように、アメリカとヨーロッパには厳然たる制度上の相違がある。カール・ポラニーの大著『大転換』(一九四四年)にも通じる問題意識である。事実、ドラッカーは第三作『企業とは何か』(一九四六年)でポラニー著作に触れ、次のように述べる。
古典派経済学は、人間には取引の本能があるとし、そこから自らの理論を組み立てた。今日では、そのような本能など人間にはないことが明らかである。その誤りは、すでに近代人類学と近代心理学が明らかにしているとおりである」(『企業とは何か』上田惇生訳)。
ここにドラッカーは注を付し「その事実を示すうえでポラニー『大転換』ほどの労作はない」とする。そこから功利主義的人間像たる経済人が終焉を迎えたとの認識が引き出される。それは経済学の物的側面を担保しうる科学の前提条件の終焉を示すものでもあった。ドラッカーは自らマネジメントを追求しつつポラニーの『大転換』執筆への助力を惜しむことがなかった。年齢はかなり違えど二人は友だったし、同郷人でもあった。
さらにドラッカーは、アメリカ経済の持つ比類なき美点を見極めつつあった。『「経済人」の終わり』では欧州全体主義経済の逆機能を見届け、その認識を受け、『企業とは何か』で次の指摘がなされる。
アメリカとヨーロッパの社会観の違いは、遠く一六世紀、一七世紀に遡る。ヨーロッパの大陸諸国は、三〇年戦争(一六一八―四八)以降、倫理的なものとしての社会を捨て、ひたすら政治の絶対視と無視の両極の間をうろついてきた。つまるところ、選択肢はヘーゲルとマキャベリしかなかった(『「経済人」の終わり』上田惇生訳)。
アメリカもヨーロッパもともに閉鎖システムだったわけだ。アメリカは、キリスト教の社会観を墨守し、その昔ながらの原則のうえに、自らの社会を構築してきた」(『「経済人」の終わり』上田惇生訳)。
このように二つの経済体制の特性を概観し、次のように指摘するのを忘れなかった。アメリカの政治哲学の基本は、個としての人間の重視という、際立ってキリスト教的な思想である。(略)アメリカほどに、一人ひとりの人間が重視され、社会としての約束と信条になっている国はない。アメリカとヨーロッパを分かつものがこの個としての人間の重視である」(『「経済人」の終わり』上田惇生訳)。
鉄道の戦争とラジオの戦争
『「経済人」の終わり』『産業人の未来』の二作に濃厚に息づくのは、ヨーロッパ的感性といってよい。『企業とは何か』のあたりにもなれば、次第にアメリカ的感性に変わっていく。『企業とは何か』は大企業GMの組織特性と社会的存在意義を描出するものだった。かかる視点の変化は、『産業人の未来』においてさえ認められる。その若き日にドラッカーはファシズムなる新手の部族主義を目の当たりにしている。それは戦時産業体制を通して現実のものとなった。ナチスは電気産業を国家に編入した。ラジオを巧みに利用し、ドイツ民族を再び統合した。
いずれも功利主義的経済人像に対し完膚なきまでの打倒を試みた。それらを間近に観察するのに青年ドラッカーは絶好の場に身を置いていた。電子通信手段のもたらす人間社会像は、アメリカ黒人の存在を経由し一つの意味に転換される。ヒトラーは新技術たるラジオと前世紀の遺物たる演説を駆使し巨大な祭典を成功させた。
他方アメリカ黒人は異なる形で新技術を活用した。ヒトラーがなしたことは政治利用に供された黒人ブルースだった。第一次大戦後のインフレなどで一敗地にまみれ、ドイツ国民の挫折した誇りを象徴するものだった。ドラッカーにあって、第一次大戦に先立つ帝国の技術的見地からの分析はなされることがなかった。第一次大戦は鉄道の戦争だった。第二次大戦はラジオの戦争だった。ヒトラーの第三帝国は、あくまで物的に支配された皇帝時代の手法をソフトウェア版に供しただけのものだった。統治が物的に遂行されるならば、文化や民族がはっきり存在しようと決して見まがうことがない。しかしアメリカでは、電子情報の環境が整備されただけで、共産主義要因は侵入できなかった。他方ロシアでは国内統治のために、メディアが道具に供されもした。
ドラッカーは『断絶の時代』で述べる。
今日の政府は、まさに統治不能となっている。あらゆる国が、官僚とその官庁をコントロールできなくなっている。官僚と官庁はますます自律性を強め、自己完結的となっている。政策ではなく、自らの権力、自らの論理、自らの視野で、自らの方向づけを行っている」(『断絶の時代』上田惇生訳)。
電子情報の破壊作用
ドラッカーは電子情報の進展にさしたる関心を示さなかったようだ。だが、情報こそが産業の物的側面にあって中央集権主義者のたくらみを粉砕した当のものだった。第二次大戦後に生まれた国のなかには、一つとして、一九世紀の目標だった統一国家の体をなしているものはない。われわれが手にしたものは、国民国家の装いのもとに、国民国家としての費用を発生させ、国民国家並みに嫉妬、不満、高慢にみち、そのくせ内政外交ともに不首尾な部族国家の断片の数々にすぎなかった。こうして世界は、国民に対し強大な権力を振るい、独裁とはなりうるものの統治はできないという小国の群れへと、分割されてきた(『断絶の時代』上田惇生訳)。
第一次大戦時、世界の国民国家は五〇に満たなかった。そのなかでミニ国家が政治や産業で急成長した。それは知識産業たる電子の世界で起こった。ドラッカーは情報伝達の進化が、既存の制度を破壊していくのにいささかの戸惑いさえあったようだ。あらゆる政策が電子的な環境の上に成り立つとき、そこに潜む隠れたダイナミズムは見逃されてしまった。人類は月に人を送るのには成功しても、電子情報がもたらす帰結には無頓着だった。『フォーチュン』ではNASAマフィアと称して、関係者の隠れた思惑や目的が厳しく指弾された。NASAは現実に何をしたか――。人を変え、地球を変えた。新たな認識を創造した。だが、コロンブスの新大陸発見とは似ても似つかないものだった。作家アルダス・ハクスリーの小説『島』でヒトラーは「邪悪なピーターパン」として登場する。ピーターパンと言えば、黒人ブルースの後にはビートルズが新メディアたるラジオに乗って登場した。気の利いたダンスと共に全世界を席巻し文化を一つにした。そんなことは全地が一つの言語、一式の言葉だったバベルの塔以来である。ヨーロッパ人などは、やはりジャズを品性に欠くものと見た。全体主義のさしがねとさえ見た。ピーターパンは現実の世界では常に大量流血と背中合わせである。『産業人の未来』でドラッカーは次のように述べる。
今日われわれが直面している社会的な危機は、企業が社会の基本単位となっているにもかかわらず、それが社会制度化されるにいたっていないという事実に起因している(『産業
人の未来』上田惇生訳)。
ヨーロッパでは、社会機関として立ち現れた企業が新たな部族主義を招くものと即断された。他方、アメリカでは同じものが政治的な色眼鏡ではなく、むしろ娯楽、消費といった新たな世界への扉と見られた。ドラッカーはそれをミニ国家にも多国籍にも変わりうるものとした。
ヨーロッパでは、大衆娯楽を一段下に見て、親しみやすさは見せかけであって、実際には技術を広範にコントロールするものとの疑念があった。警戒さえ呼び起こした。ヨーロッパ人は政治への感性が格段に鋭かった。戦争に匹敵する破壊への予兆さえ嗅ぎとった。もちろんそんな意図がアメリカ人にないのは明らかだった。領土的野心など電子メディアの出現で早々に無効となっていた。だが、ヨーロッパにはなお階級文化の残滓があった。
現に一九一四年の第一次大戦は、ドラッカーの指摘したごとく、東方への野望によって引き起こされたものだった。三八年から三九年にいたる第三帝国建設はアメリカではテレビドラマのなかのものだった。だが、そんなアメリカでさえ、西方への野望は戦後のベトナム戦争をもって挫折した。西方の終わるところで、東方が始まる。新たな地平は地球外の存在たる月にしかなかった。
ヨーロッパ人にとって、ハードとしての産業はマルクス主義的計画と切っても切れないものだった。英米にあっては、むしろキリスト教の個の観念こそが国家や組織に優先すると考えられた。そのために自由な土壌が培養され、そこでスポーツや娯楽が活発に自生していったとはドラッカーの見方だった。そんな土壌は、ウェリントン将軍がワーテルローで勝利したときの有名な章句たる「勝利はイートンの校庭でなされた」にも現れる。
現世を来世との関係で重く見ないのはキリスト教の伝統による。リチャード・スティール(イギリスの劇作家・随筆家)は紳士をして、善なる言動を重んじつつ歩み、いっそう善なる言動と共に天国に戻る者とした。何より執着のないのが理想だった。ドラッカーもその種の人だった。あらゆる物事を理解した。人が自世界の外に目を向けるのは存外難しい。ドラッカーにあって、世界は限りなく多様で豊かなものだった。彼は持てる知性を生かし切り、しかも富や権力に利用しなかった。「五八歳になった。今でも大きくなったら何になるのかわからずにいる」との科白ほどに背筋の伸びた彼の生活態度を示すものはない。この度の『断絶の時代』は集大成ではない。万物を一つの知識体系に閉じ込めるのはドラッカー流ではない。閉鎖システムではない。むしろ、地表を覆う問題の数々に、とらわれなく心のアンテナを向け続る。本書は、この世界が知られざる変化と解決すべき問題で横溢するのを教える。それまでのアプローチでは解決不能な新たな時代に突入したのは何より書名が雄弁に教える。
人類は数世紀にわたり継続の時代を生きた。時代は段階を経て新たな局面に入る。変化をあらかじめ知るのは人のなしうることではない。継続の時代は終わりを告げ、新たな局面に入りつつある。断絶の時代は情報が即時的に共有される時代でもある。パターンによる認識がそれまでの現実把握にとって代わられる。そして知識産業が中心となる。既存の生産力や権力は凋落を余儀なくされる。ドラッカーは鮮やかな筆致でそれらの変化を描く。
プラスティックの世界
そこで検討される課題を見てみよう。いまだ未着手の問題が広大無辺に横たわる。なかでも原材料革命などはよく知られたものだ。
一九世紀の科学ではなく、二〇世紀の科学にルーツをもつ唯一の産業が、プラスティック産業である。その基盤は、放射能発見にともなうX線回折にあった。プラスティックは天然資源の利用ではなく、新素材の創造という新素材産業のはしりだった(『断絶の時代』上田惇生訳)。
包装にプラスティックが欠かせないのを知らぬ者はない。プラスティックそれ自体は物質でありながら、電子回路による情報基盤にも利用される。映画『卒業』で若き主人公ベンは高年齢層の部族から疎んぜられる。アイビー・リーグ出のこの若者は「まがいものにさわるな」と寸言される。「ピーターの法則」にあるごとく持てる者は一言を持って足りる。ベンはその忠告を無視すれば共同体から出なければならない。
ダスティン・ホフマン扮するこの主人公は、物質消費時代の終焉を見事に象徴する。ベンが手にする『ライフ』誌の表紙はさりげなく『勇敢なる追跡』のジョン・ウェインで飾られる。傍らには「英雄の選択」とある。ウェインは物質消費終焉のもう一人の立て役者だった。ドラッカーはむしろそこで新製品やサービスを創造するハード的基盤に関心を寄せたように見られる。「ワールド・ショッピング・センター」なる比喩も使用する。それ一九世紀的な比喩だった。『卒業』のベンのように電子情報の論理は語られなかった。ベンは大学卒業を目前にし、擬似近親相姦関係の過ちを経て、急遽企業に就職する。オイディプス王の物語を彷彿とさせるくだりだ。違いは背景に電子技術を持ちうるかのみである。
その技術が物事に決着をつけるほぼ唯一のアプローチである。そこでは無数のジョン・レノンもどきが全世界とベッドを共にしようとする。衛星情報でチャールズ皇太子の叙勲を五億人が目撃する。地球は一つの劇場となる。そのイメージはもはや「ワールド・ショッピング・センター」などという陳腐な比喩で語り尽くせはしない。
その間製品はプラスティックで包装され、世界のコンテナ会社は物流の激減で悲鳴を上げる。モンゴメリーワード社に吸収されるしかない。そのことは大量の粗悪品が平然と生産されていたころには起こりえなかった。プラスティックは元に戻らない素材である。それはグローバル環境の生み出す呪いの一つとさえ言える。物を覆いつつ、情報の動き回る電子回路の一部をなす。それが何を意味するかまではドラッカーに思いが及ばなかったようだ。
あらゆる産業の高速度化はそれ以前の産業構造を半ば自動的に破壊せずにはおかない。スプートニクが宇宙に飛んでからというもの、それまでの世界は考古学上の関心対象とさえなった。月面着陸も同様だった。太古から変わりなくあり続ける月を新たな装いで視野の中心に押し出した。新たな構造変化が自動的かつ速やかに古いものを陳腐化するのはやむをえない。役に立たないものは廃棄されるのが理である。かつて人類はそのために戦争をした。ホメロスからT・S・エリオット、ジェームス・ジョイス、エズラ・パウンドにいたるまで、すぐれた叙事詩は例外なく廃墟の復興からはじまる。変化に必然的に伴う破壊作用についてドラッカーはほぼ何も述べていない。
戦争と技術
「企業は軍と変わるところがない。軍と同じように設備は必要である。しかし人間活動が機能的に組織されていなければ、折角の装備も役にたたない」とドラッカーは言う。
軍と大企業の関係についてドラッカーは「企業が政治的機能を持つことは第一次世界大戦のあたりには経営幹部によって認識されていた」とする。両者はマネジメントにおいて異質なものとしながらも、いくつかの方法上の一致点を消極的に認めはする。しかし恐らく意図的に鉄道と戦争の関係性に触れていない。二〇世紀初頭の経済社会を論ずるのに第一次大戦を捨象するなど不可能である。戦争の遂行に際し、武器弾薬等を速やかに目的地に移動するのに獅子奮迅の大活躍を見せたのが鉄道だった。その鉄道さえ、電報や新聞の威力を前にしては顔色を失う。電子メディアが戦争にイメージと輪郭を与えた。自ら当事者の一人であることを万人に認識させた。
第二次大戦で同様の役を担ったのはラジオだった。あのヒトラーさえ、ラジオを最大限活用することで第三帝国建設に成功した。『企業とは何か』に次のようにある。
今日の西洋では経済発展に代わるものは戦争しかない。ヒトラーが脱経済至上主義として求めたものがそれだった(『企業とは何か』上田惇生訳)。
そんなところからもドラッカーが戦時社会を技術とワンセットとする見方に与しなかったのがわかる。何であれイノベーションには予期せぬ結果が伴う。それがさらなるイノベーションを進めるうえでの目的、文脈、構造をつくり出す。昨日の世界と今日の世界を異なるものとする。アポロ六号が、結果的に経済上軍事上の米ソ間競争を激化させた一事をとっても明らかである。月は一つの仮想目標に転じ、いまだ物質社会にしがみつく科学者の郷愁をかき立てた。スプートニクのもたらしたものも予期せざるものだった。人工衛星が成層圏外を飛んだというのみではない。知識産業を劇的に加速化させた。以来、人工衛星は世界を一つの劇場に変えた。
だがそれを除けば、いかなる経済的な影響力も持ちえなかった。その後はあれほどまでに熱狂した人々は老いも若きもひっそりと日常に戻っていった。自分の狭い世界に再び汲々とするようになった。
付言すれば、産業分野でドラッカーが目を向けなかったものがある。数世紀にわたり営々となされてきたグーテンベルクの活版印刷が、経済人と産業人の生みの親となった事実がそれである。手工業という手工業は一つの例外もなく、分刻みのマニュアルに分節化され、機械のプロセスに翻訳されたというその事実にふれることがなかった。現代を支配する「時給」の観念はまさにそこに発していた。それが企業の成果を約束したにもかかわらず│。
超大国とミニ国家ドラッカーのアンテナはミニ国家を敏感にキャッチしていた。巨大国家といえども単位に細分化された。だが、新たに細分化された単位と巨大企業の共犯関係についてドラッカーは口をつぐんだ。
ミニ国家なる現象はバルカン化とは質的に異なる。一九世紀の典型的なバルカン化現象は、要素労働への細分化の結果だった。それははるか以前の国家統制にいたる結果として現れたものだった。現在も細分化は進行中である。しかし、かつてとは逆の理由で巨大な構造物を腐食させつつある。企業コングロマリットは従来の国民国家連合とはまったく対極の位置にある。
今日にあって、超越的な権力は、政治的経済的コラージュ以外の何ものでもない。企業が知識に依存するものである以上、物的環境を見ても本質はわからない。ドラッカーは述べる。超大国とは、福祉国家の国際版であって、福祉国家と同じように、優先順位をもつことも、何ごとかをなし遂げることもできない(『断絶の時代』上田惇生訳)。
新たな超越的権力というものは実体と言うよりそれに先立つ包括的なイメージにより形成される。一昔前の専門家による物的目標は意味を失う。それも電子情報が瞬時に共有されるようになった一つの帰結である。
今なお異常なほどのスピードで標的が動けば、狙撃手も動き、その関係性さえ稀薄になりつつある。現代の医学生が医師になるには数年を要する。彼らは研修期間も終わらないうちに医学の観念自体が変わりかねない世界を生きている。エンジニアも同じである。激烈なスピードがミニ国家の断絶を生み出す。量子物理学なども、不連続な要素から成り立つのが当然とされる。変化が常態となる。
技術による変革は、しばしば多くの人々にとって愉快とは言い難い環境をつくり出す。電子情報の進展がいかに速いかはすでにおなじみのものである。戦争やビジネスの代用品たるスポーツや娯楽などがそれを象徴する。そこでドラッカーがあえて目を向けるのは、「経験」と「知識」の新たな関係である。この電子情報の世界にあって、知識は経験に代わりうる。経験の積み重ねで月に行くことはできないが、知識の積み重ねで月に行くことはできる。必要なのは知識である。それまでは、人が月に行くなど仮説としてさえおよそありえないものだった。
トロイの木馬とパンドラの箱
『断絶の時代』は、知識経済、知識産業を大胆に論ずる。だが知識とは何なのか――。そもそも知識とはとらえどころなき語彙である。人間環境を刷新する推進力として、知識は例外的な存在である。少なからず人はあまりにめまぐるしい変化に適応するのはきわめて不得意である。現実がうまく認識できなくなる。経験から知識への移行は、ハードウェアからソフトウェアへの移行とも捉えうる。
知識は一つの生産手段とされる。「知識の生産性が、経済の生産性、競争力、経済発展の鍵となった」とドラッカーが述べるとおりである。
だが、そのことは知識の特性や機能といったものが、工業経済の物的基盤に擬して理解されてきたことをも意味する。だがテレビ時代の子供にとって、知識が物的なものというイメージはもはやない。そのうちそんなイメージは完全に一掃されるだろう。知識の生産性が鍵となるのはいいとしても、電話が職階を無意味にし、テレタイプが郵便制度を破壊したごとく、情報環境の変化が基盤を無効化する点にはきちんと目が向けられなければならない。知識は従来の社会を育むより、かえって急速に陳腐化させる。
ハードウェアは頻繁な使用の結果磨耗するのではもはやない。反対に、適切に手を入れなければ即座に無用の長物となる。従来の機械をはじめとする物に関わる技能は、カメラ、トースター、鉄道、自動車いずれも消滅する。西欧世界もロシアもたどる運命は同じである。補修されるより早く、新たな製品を手にしてしまう。
現在、電子情報の技術はあまりに進展が速過ぎる。すでにあるハードに技能を合わせられずにいる。例外が南米にあるという。そこでは農民や職人が製品の補修を行う。みな産業人以前の人々である。彼らはむしろ進んで陳腐化した製品に付き合う。反対にポスト産業人たる欧米人はそんな工業製品に見向きもしない。結果ごみの山がいたるところにできる。
トロヤ市街に木馬が運び込まれ、神々に供されようとしている。だがその核たる新技術がこの古い都にとどめを刺す。トロイの木馬はイノベーションそのものの象徴である。ドラッカーのいう知識産業はトロイの木馬のごとく、あるいはパンドラの箱のごとく、慎重かつしたたかに処すべきものでもある。
反転する世界
明日を知るには、すでに起こった事実を見るのがよい。新産業に席巻される欧州企業社会を見てみればよい。コンピュータは銀行の会計手法を規定した。そればかりか証券投資のフレームまで決めてしまった。一九二〇年代にあって、ラジオの持つ経済的影響力を見通せた者は一人とてなかった。高速で回るコマの芯は縁よりはるかに高速である。
その芯にあたるのが経済である。遅いものは容赦なく振り落とされていく。現在の保険市場にあって、情報の流れは保険そのものの流通スピードをはるかにしのぐ。回転を逆にすることはおろか、わずかに速度を落とすのさえ絶望的に不可能である。ある時点を過ぎれば、そのような超高速も漸次制御可能になるだろう。だが、少なくとも現状にあってはハードとソフトの絶妙なバランスで成立する経済のスピードは緩まる兆しがない。現実を直視することなく惰性に身を委ねるならば確実に破滅への道をたどる。
利上げというマクロ政策一つとってもプロセスはさほど複雑ではない。だが、実体経済に対してははからずも思惑と反対の力を持つことがある。経済学なる科学の前提にはいわゆる合理的経済人があった。それはドラッカーが示し、ヒトラーとともに消滅したはずのものだった。
今日の経済学は、自らの理論をマクロ経済のための経済理論であるとする。しかし、このことは、真にマクロな経済すなわちグローバル経済を除くだけでなく、現実にコストが発生し、成果がもたらされる経済、すなわち生産者、消費者、市場からなるミクロ経済を除くという結果をももたらしている(『断絶の時代』上田惇生訳)。
ドラッカーが関心を寄せるのは商取引の経済である。商取引はイメージ化の世界にあって、著しく存在感を低下させつつある。技術変化も一役買っている。それによって人間活動が従来の市場を迂回するようになっている。あえて言えば、物質たるハードは等差級数的にしか増加しないが、知識たるソフトは等比級数的に増加する。ドラッカーは言う。
われわれは、マクロ経済とミクロ経済との関係についての経済学を手にしていない。そのため、企業、市町村、消費者にかかわる政策の九九パーセントは、いかなる理論も、いかなる合理的な根拠もなしに行っている(『断絶の時代』上田惇生訳)。
われわれは経済学を手にしていない――。それはあたかも物理学者が万有引力の法則を手にしていないようなものだ。経済学はその基礎理論を持たないとする。だが、共に問題解決の道筋は探索されつつあり、仮説的分類が可能となったものもある。そこで認識すべきは、われわれを取り巻く環境そのものが、革新を推進力とするものに変化した事実であろう。人間環境といえども、生態的な秩序原理によって機能する。まさにオーケストラの共鳴である。
知識経済でなされる意思決定は、かつてなじみだった時代に涵養された原則を要する。二〇年代を考えてみればよい。ラジオによりあらゆる経済活動が一気に知識化していった。アメリカでも、娯楽、ラジオ、ジャズ、映画、スポーツ、教育などのサービス業が主役に躍り出た。製造業はその地位を下げた。現在では、情報産業の隆盛がかつてのサービス業にあたる。娯楽、ビジネス、教育、軍事いずれも事情は変わらない。世界全体の経済で情報が他を圧する力を持つ。
電子時代の若者
そのようななかで、経営者、成果はどう考えられるべきか。組織が目標を達成するための方法論をドラッカーは一貫して考えてきた。その時代にあっては差し迫った問題だった。だが、情報が即時的に共有可能な世界にあって、それまでの想定が妥当とはとても考えられない。
一世紀前には当時なりの美学があった。現在にあって、われわれはその選択肢さえ手にしていない。どの政府といえども最高度の美的感性と創造性を持たねばやっていけない。まずは意識形成からはじめなければならない。そのための学習モデルが開発されなければならない。そこでは象牙の塔も中央管理も生存の余地はない。あらゆる情報は濁流のごとく一緒くたになる。
現在の情報の流れを見る限り、鈍い組織は絶滅させられる。同時に新たな秩序形成を推進する組織が次々に現れる。解決方法は問題による。新たな問題を従来の方法で説こうとするほど非現実的なことはない。新たな経済は従来の手法でコントロールできない。まったく別の何かに変わっていくものと考えなければならない。
われわれは内なる神経系がそのままコンピュータを介して外的世界を形成する時代を生きようとしている。そんな環境を構造化するには、意識そのものを利する観点に立たなければならない。人工物が行き過ぎれば、自然は衰退する。情報があらゆるものに入り込めばハードが意味を失う。
ジュール・ベルヌの作品では、一九世紀の物質中心の環境が、瞑想や精神などの内面世界に向かって展開されていくとされる。だが、現状では物的世界が人工物に適応できるまでにはなっていない。
ビートルズに熱狂し、昨日の世界からの決別をはかった若い世代は、数千年前石器を手に新文明を切り開いた人類の祖先と同じ歩みをはじめたばかりである。電子時代の若者は、コミュニケーション方法が未定義のまま見知らぬ時代に突入しつつある。そのことをどこかで鋭敏にキャッチしている。
それはカフカの『変身』やオーウェルの一連の作品が暗示してきたものと同じである。前者では、虫を一つのシンボルとして、埋めようのない時代的懸隔が表現される。虫はいかにして人とコミュニケーションをとりうるか――。ビートルズがやったことはまさしくその懸隔を埋めることだった。彼らは太古の昔から人間の体になじんだサウンドとリズムを復活させたに過ぎなかった。電子時代の若者にとって、言語的表現は急速に疎遠になる。コンピュータのプログラミングは質的に異なる言語を要する。身振り手振りや次元の異なる表現方法が、従来の言語に急速に取って代わられる。
知識産業を語るに際し、ドラッカーは人間環境の反転現象に贅言を費やすことがなかった。それは何も批判にあたらない。文明の根源的変化に処する合理的な戦略を示しえた最初の思想家がドラッカーであったのは誰もが認めざるをえないからだ。