【非常時の読書――日本人の意識】
吉田兼好『徒然草』岩波文庫
「静かに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせむかたなき」(二七段)。
あえて大きくいえば、学びを促してくれる種類の本には、二つのタイプがある。一つは視野を広げてくれるものである。もう一つは思考を深めてくれるものである。古典は両者を完璧に満たしている。ともに二割程度の知識と八割程度の未知のものがある程度がいい。知っているわずかなポイントから深めていけるものがいい。
そう考えると、世には確かに枕頭の書ともいうべき書物が存在する。本書もその一つだ。寝る時にひもとき、いざというときに持って逃げられる種類のものである。非常時に何より頼りになる書である。たぶん無人島に持っていきたい一冊にあげるのなら、日本人の中では上位に入っていい書物の一つと思う。
乗り越えるべきものを多く抱えつつ、それでも前進していかなければならない時こそ、そんな風雪に耐えた書物を手に取りたいものだ。そこに馴染みの言葉で書かれつつも、知られることのなかった、無限に応用可能なソフトウェアが広がる。
他方、古典の裏定義として「名は知らぬものはないが、誰も読んだことのない書物」ともいわれる。むろん『源氏物語』を全巻読破した人はいないわけではないだろうが相当の例外に属するはずだ。『徒然草』はそうではない。中学の教科書から載っているし、折に触れて目にする。外国の日本研究者で『徒然草』から入ったという人も少なくないと聞く。そこには、日本人の美意識と時間意識が最も身近なリズム感と共に凝縮的に表現されている。
まずありがたいのが文庫である。せわしなく明滅する現代の情報社会にあって、歴史的文化的に培養されてきた日本人の時間意識の重みを受け止めるチャンスである。一度ネットや携帯から手を離して、心の動き、意識の営みに思いを馳せながら、自らの生きる今という時間の一区切りを考えてみるのは決して無駄にはならない。
折しも近代技術の矛盾が直接的に露呈した今日である。日本は世界に先んじて絶望的矛盾と真正面からぶつからざるをえなかった。ならばその問題を自らの流儀で説くことが、ただに自らを救うのみならず世界に役立つ最高の道と思う。今回日本人が思う以上に、世界は日本を注視しているのを誰もが知った。世界が日本の中に世界全体の行く末を見ている。
全体を統御し回復していく要は日本人の意識以外にありえない。内田樹氏のいう「自らを変える方法は変わらない」からだ(『日本辺境論』)。あらゆるプロトコルを絶対視せず、世界全体のシステムの変化に付き合う形で自らを変えていくことだ。本書はそのための考え方を説く。同時に傷付き果てた心を励まし、慰撫してくれる。このように立ち返るべき場所を持つ国民は幸せである。逆に言えば、いざというとき先人の知恵や助言を参照できない社会ほど不幸なことはない。
「万(よろづ)の事は頼むべからず。(略)必ず変ず。(略)ゆるくしてやはらかなる時は、一毛も損せず」(二一一段)。