書評『その「正義」があぶない。』

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【罠は「常識」そのものにある】

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小田嶋隆『その「正義」があぶない。』日経BP社

出版不況と世間では言われる。が、それはただに本当にほしいコンパクトな情報がないだけの話だ。新書などを見ていても、雑誌なのかパンフレットなのか、あるいはその中間なのかわからない、一言で言えば、誰に伝えたいのかまったくわからない種類のものが少なからず目に付く。

そんななか評者が最近とても気に入っているメディアがラジオだ。特にネットラジオである。ipodが本当にすごいと思うのはそんな瞬間である。やはりスティーブ・ジョブズは偉かった。彼がつくったのは新製品ではなかった。知的吸収の新たなスタイルだった。

本来ラジオはメディアの王様であって、かつては政治や戦争の帰趨まで支配した時代さえあった。今ではむしろひっそりとそれでいてホットかつパーソナルなメディアの地位に収まっている。

ネットラジオなどは好きな時にダウンロードして聞ける。ラジオの前で座っていなさいといった高飛車な姿勢ではない。そんなところが気に入っている理由の一つでもある。それに本とラジオは思いのほか親和性が高い。実はネットラジオがこっそり「いい本だよ」と耳打ちしてくれたのがこの本である。著者は小田嶋隆、まあ知る人ぞ知る名といってよいだろう。

小田嶋が日経BPのオンラインで連載した時事問題への切り口から、今という時代を読み解く上での示唆が大いに得られる。そこでせめて知っておきたいのは『現代用語の基礎知識』的な羅列的な情報ではない。むしろ何を知るべきなのに知らずにいるのかである。

この本が教えてくれるのは、平面な事実そのものではない。賢しらだったインテリ風の知識ではない。むしろ現実から透けて見えるもう一つの可能態としての「現実」である。それは知識の体系の中に空いた穴を見出し、そこから来るべき何かを見定める。

なぜなら、多くの場合人が陥りがちな罠とは知らなかったことにあるのではない。知り抜いていると思っていること、つまり「常識」の中にあるからだ。この本では、社会を取り巻く多様な事例から、エッセイ風に肩の力を抜いて、現代という時代の本質的形態が彫琢される。これは誰でもやってみればわかることだが、口で言うほど簡単なことではない。

その種の知性を活性化させるのに是非ともなければならないのは自由な傍観者的立ち位置だ。この本が成功しているとするならば、この著者が傍観者の立場に身を置き観察することに徹し、それに成功しているからだと思う。

自由な観察者にとって正義とは一つの鬼門である。正義自体が悪いのではない。正義があらゆる議論に終止符を打つ、いわば相手に新たな問いを発するのを禁ずる語法として使用されがちだからである。いわば「思考停止ワード」である。

時にこの本のような精神を飛翔させつつ、同時に皮肉な笑いを伴う観察眼が社会には必要である。それはニッチでありながら、社会を根底から賦活する不可欠の要因でもある。