樹はいかにしてできたか
井坂康志
メタファーとしての世界
いささか耳慣れない話になるが、世にあるものは何らかの理念の具現とするのがゲーテの考え方である。テーブルも、椅子も、コップも、スマホも、自然でさえ、何らかの思考の産物と考える。ゲーテは、「原現象」という言い方をする。あらゆるものの原型にある理念であり、ギリシアの哲学者ならイデアと呼ぶかもしれない。
いずれにせよ、ドラッカーのものの見方に決定的な影響を与えたのはゲーテだと言われる。見えるものは見えない理念によって成り立つという考え方である。それが社会生態学の成り立ちであって、社会生態学とはゲーテ的世界観の社会への応用である。ドラッカーの偉大なところは、社会生態学を創造し、自ら実践した点にある。ドラッカーというとマネジメントのドラッカーが想起されるけれども、本来ドラッカーは社会生態学者であって、自らを見て書く人と定義づけていた。まさしく、原現象を見て、表現する人という意味である。
だからこそ、ドラッカーは社会生態学の一つのモラルとして、言葉を大切にすること、そして万象を命あるものとして見るべきことを説いた。言葉は原現象を成り立たせる根因であるとともに、社会生態学のフレームをなす要因でもある。
そんなことを考える中で、ドラッカーの認識的基本をなす世界観から、ドラッカーの思想の全体像は、生きて成長するもののメタファーとして表現可能ではないかとの予感はかねてよりあった。ゲーテも言うように、万物はメタファーとはその意味で解される。私にとって親しみがあったのが樹木であったのは偶然かもしれない。
直接的な契機は、2001年に行った上田惇生氏への連続インタビューである。ドラッカーの全体像について、代表的な翻訳者としての上田氏に率直に問いを投げかけることで、かなり理解が深まったのは事実ながら、同時に、ドラッカーの業績の根底をなす認識群については世にほとんど知られていない実感をもつにいたった。
樹木にしてみる
得た実感では、ドラッカーは半ば偶然、よくいって便宜的意図からマネジメントに着手したのであって、マネジメントは思想を具現する一つのアプローチにすぎなかった。戦後社会では、企業のマネジメントが最も身近で、かつ認識が容易だったためである。だが、当時マネジメントへの世の要請があまりにも巨大であったために、ドラッカーというとマネジメントの構図が安直に一人歩きしてしまった。あるいはその一人歩きは、ドラッカーにとって不本意だったのではないかとの思いはかねてからあった。
もちろんドラッカーは自らの思索的真意を隠し続けてきたわけではない。むしろいたるところで、誰にでもわかるように表白し続けてきた。にもかかわらず、もう一人のドラッカー、社会生態学者としてのドラッカーが今一つ伝わりにくいのは、全体像が見えないためであろうと私は思った。人は理解できるところにレンズのピントを合わせてしまう。それを批判できる人などいるはずがない。
樹の図像を思いついたのは、やはりその頃だった。ふと上田氏に話した(「ドラッカーの樹」という名称はそのときには決まっていた)。上田氏は、「とても野心的だ」と述べた。「野心的」との語は、氏にとって最も高い期待を表現すると知ったのはしばらく後のことである。
樹が表現できるのは多様性であり、生命的豊かさである。ドラッカーの発言はすべて一元主義に反発する衝動から発したもののようにも見える。たった一つの原理でしか説明できないなら、まったく何も説明しない方がはるかにましである。しかも、一つの尺度で他者を裁断するのではなく、また批判によって相違点を明らかにしていくのではなく、相互の強みを結びつけていくことに努める。現在の時点でドラッカーの理念がどこまで実現されるかは別の問題としても、目標はそこに置かれる。
二つの枝
ただし、基本的なアイデアはあったものの、実際に着手したのは、ずいぶん後になってからである。おそらく、10年程度はたっていた。
基本的なアイデアは、ドラッカーの主たる業績を表現するために、二つの大きな枝を想定することだった。一つの大枝は言うまでもなくマネジメントである。そこには、ドラッカーが構想した戦略論やイノベーション論、マーケティング論、セルフマネジメント、非営利組織経営などのマネジメント関連のコンセプトと主要著作が枝が重たくしなるくらいに豊かな葉として茂る。
もう一つの大枝は、社会生態学であって、技術や知識社会、ポスト資本主義社会などの大局的なもう一つのコンセプトと業績が示される。もちろん、社会生態学のほうが、マネジメントよりもはるかに大きい。本来はマネジメントは社会生態学の一部である。だが、さしあたりは両者の関係性が示せればよいと考え、二つの枝を並立させることにした。
二つの大枝は、独立に成長するわけではない。目を樹木の下に転ずると、一つの幹からの枝分かれであることがわかる。すなわち、二つの世界は、一つの基本認識からの分岐に過ぎない。基本認識とは、「人と社会」である。その部分が、ドラッカーの樹のいわゆる根幹をなすことになる。
これらの構図が見えてきたのは、全著作を翻訳編集した上田氏へのインタビューなくして、不可能だったのは確かである。というのは、ドラッカーの著作は約40冊もあり、すべてに目を通すのは当時にあってほとんど不可能だった。上田氏からの全体像をふまえた教導がある程度念頭にあったために、それらを俯瞰的に考えることができるようになったかもしれない。
基本構図を書いたのは2014年のことだった。最初は手書きしてみた。ある程度形を整えてから、知人のデザイナーに構図を作成してもらった。おおむね出来には満足していた。何度かは修正を依頼した記憶はあるものの、大きな修正を指示した記憶はない。
こうして「ドラッカーの樹」は一応完成し、しばしば授業や講演などで使用するようになった。特にドラッカーについてさほどの知識のない方には、樹のメタファーはわりあいにわかりやすかったようだ。特に、経営学者としてしかドラッカーを見たことのなかった人にとっては、長い人生で想像もできないほどさまざまな活動を行っていたこと、マネジメントはそれらの一つに過ぎないと感じてもらう一つの契機にはなったかもしれない。
一つではいけない
話は続く――。
先にドラッカーの樹によってマネジメントと社会生態学との二つの問題意識を持っていた点を表現したかったと述べた。だが、それだけでは終わらなかった。一つの幹への収斂まではそれによって表現できるが、さらに下の幹の生成の様態についても意識が及んでいった。ドラッカーの場合、本来文明社会の存続に関心がありそれがごく自然に枝分かれしていった。その意味では提示してくれた道具の根は深く人類社会の叡智の水脈にまでまっすぐにつながっていなければならないはずである。
主要な仕事であるマネジメントは一見するときわめて現代的である。時代の先端を今なお走る。しかし、マネジメントはまさしく古代から現代にいたるはてしない知の水脈をもって養われ、あえて比喩を用いるなら、地底深くに張り巡らされた水脈が、ごく身近な井戸や森として日々の生活の用に供されるのはほぼ指摘されない。考えてみればすごいことである。今ここから実践に供しうる知識でありながらも、人類の叡智の古層にアクセスしうる知的スタイルを現代の21世紀の私たちも同じようなかたちで受け継いでいる。
実際にドラッカーが生まれたのは一世紀以上も前である。しかし――彼自身が日本画を認識の道具にしたように――ドラッカーの業績を認識や知覚の道具に徹したアプローチをとる必要があるのではないかと感じる。言い換えれば、ドラッカーをどこまでも利用可能な状態にして提示すること、それ自体が一つの大きな仕事として私たちの前にあるわけであり、その一助として樹は使えるのではないかと思う。それは遠くにありながらも、近くにある。
太古の叡智の水でビジネスを養う
数年がたち、いろいろなところで「ドラッカーの樹」を使うようになって、あるときに、欠落を感じるようになったのは、無意識には地下の水脈に思いが及んでいたためであろう。人に説明してみることで、最初から漠然と感じていた欠落感がありありと理解できるようになったのかもしれない。
ドラッカーの業績が二つの世界に分岐しつつも、いずれも人と社会との基本価値によることは示せるものの、葉と枝から幹として、上から下への関係は示せても、根幹がどのようなドラッカーの内的必然によって成り立つかが示せていなかった。
そこで、あるときから、図の地面から下のところに、ドラッカーが培養してきた基本的な認識について補足的に書くことを行ってみた。その語は、ギリシア哲学、日本画、キルケゴール、ゲーテ、実存哲学、統計学、政治学、オペラといったものだった。その部分を根が吸収する良質な水脈と見れば、そこに果てしない歴史的要因をも表現できることになる。
わけても、ドラッカーの企業など物質的生産に寄与する組織原則が、高度なリベラルアーツ豊かな教養の水脈によって育まれた構図は、思うにつけ魅力的でありスリリングに感じられた。これもまた樹のメタファーによって表現され得た重要な視座の一つと見ていい。
根の部分は書いたときさほどとも思わなかったが、後で見てみると、不思議な感慨を抱かざるを得ない。どこがか。樹の葉として茂る部分は、いわば現実の世界であり、世俗の世界である。幹を経て地面の下はどうかといえば、それらは知識であれ、芸術であれ、死者たちの世界である。大半は現在この世界に生きてはいない人たちによって成し遂げられたものである。すなわち、幹よりうえのドラッカーの知的営みは、死者たちの仕事によって支えられる。というよりも、知識とは本来、死者たちから生者が受け取るものである。
あえて説明すればだが、知識は、古い人間的営みの結果として手にされるものかもしれない。それに、自らの強みは、仕事を始める遙か前にできあがっているものとドラッカーは言う。すなわち一般に考えられるよりも、人為的な努力は効力をもたない。大事なのは、すでにもっているもの、なぜかもっている資源にリーチすることである。それらを成果や大成のために利用することである。
私たちはそのために死者たちの声を聞かなければならない。地面の底深くに流れる水を意識しなくてはならない。もちろんそれもまたメタファーである。しかし、大事なメタファーである。ヨーロッパに発する近代的な世界観を乗り越えうるのは、まさこの種のファンタジーあるいは詩的構想力を内面にもちうるかにかかっている。
自らの樹――美しく育てる
プロセスを概観するならば、図は上から下への流れをへて形を整えられていったことになる。あるいは、成果としての著作から、想像して、どのような動機や考えがあって、成果が生まれたのかを推測していった。
ドラッカーの樹は、むろんドラッカーの世界を表現するものだが、人それぞれ、自分の樹を書いてみるのも意味があるかもしれない。自らの成果が何であったか、いかに自らの活動が多様か、幹をなす価値観は何であったか、見えないけれども根を養ってくれるのは何か、誰かなどに思いをはせるうえで意味をもつ。
同じ作図は、おそらく誰でも可能である。誰にでも成果があり、大事にする姿勢があり、活動領域があり、理由はわからないけれどできてしまうことがある。それは無意識の世界――樹でいえば、地下の水脈――からすでにエネルギーを備給されているからだ。
しかも、樹のメタファーは身近である。あるところまで書くと、パズルのように残ったところを自然に埋めていける。本当に自分でも驚くくらいに、するすると知らないこと、知るはずのないことがわかってくる。自分について知らずにいた大事な事実がわかることもある。
考えるうちに、地面に落ち葉を何枚かおくアイデアもでてきた。廃棄というコンセプトを具現化するためである。樹にかぎらず、生命は、捨てなければ成長できない。ならば、落ち場は何かを考えると捨てるべきもの、廃棄すべきものが見えてくるのではないか。しかも、落ち葉は決して無駄ではない。土に分解されて、樹の成長を助けてくれる。
今後私としては樹をどう育てていくかに関心がある。しかも、自分だけの樹をそれぞれにどう育てていけるかに関心がある。つい私たちは短期でものを見がちである。だが、よく考えてみれば、すべては過去――遠い過去であれ、近い過去であれ――における何らかの思考や行動の結果として今がある。そこにどれくらい想像力を伸ばしていけるか、何が自分自身をつくるのか、そのなかで、未来に利用できる資源はないか、その観点をもたらすのが樹で自らを考える最大の効用かもしれない。
それともう一つ、可能な限り、美しく樹を育てていくことである。もちろん人間誰しも完璧ではない。それどころか、人には多くの欠点があり、弱点があり、醜い点がある。だが、いくらそれらを注視したところで、はっきりしているのは何も生まないばかりか、何も育てないし、何も培わないことである。
どこまでも空に向かって樹をまっすぐに延ばすのは、生命の中にある美しく真実な何かなのだと私は思う。ならば、自分という樹をできうるかぎり美しく描いてみる、そして未来においてさらに豊かに繁茂する樹を想像してみる。しかも、特定の枝葉ではなく、樹全体として美しく豊かに育てていく。
冒頭の話に戻るのだが、樹とは人生のあり方のメタファーである。自らがどのような立ち姿をしているか、そして、どのような立ち姿をしたいか。そこに意識してみるだけで、あるいは何らかの内省や機会への機縁を手にしうるかもしれない。