久喜のヨーカ堂をときどき思い出す。

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伊藤雅俊さんへ

 

覚えておられるかわかりませんが、私は埼玉県北部の出身で、1972年の生まれです。

子供だった当時(十年一昔とすれば、昔の昔のさらにそのまた昔のことです)、まだ周囲の交通網もさほど整備されておらず、娯楽施設も少ない時代でした。

隣町の久喜のイトーヨーカ堂に連れて行ってもらうのが子供心に最高の楽しみでした。「ヨーカ堂に行こうか」は白魔術の呪文みたいに子供の私の耳に響いたのを思い出します。

衣服や日用品など大人の世界でありながら、きちんと子供が遊べるスペースがありました。虎の置物を見たくて着物売り場にも行きました。

最初にレコードや本に興味を持ったのも、ヨーカ堂が最初でした。

背伸びして買った二枚組のレコードの一枚に大きな傷があったとき、お店の人は何も言わずに新しいのに替えてくれました。

最初に単行本を買ったのもそうです。『ドラえもん』の9巻でした。

私にとってはヨーカ堂が社会との接点の最初の記憶です。

当時はまだ日本全体が今ほど豊かではありませんでしたし、みな暮らしは楽ではなかったと思います。ヨーカ堂に行くことは、買い物以上の意味を持っていました。「幸せな体験」そのものでした。ヨーカ堂はいつも私たちを守ろう、育てようとしてくれていたからです。弱い生活者の楯になろうとしてくれていました。「負けるな」と静かに励ましてくれていました。

今にして思えば、戦争に負けた日本にとって、生活者の視点に立った小売業ほどありがたいものはなかったはずです。

それは生活と言うより、命そのものだったのではないでしょうか。少なくとも私はそう感じます。

今も子供の頃を思うたびに、優しいヨーカ堂の思い出が蘇ります。うまく言えないのですが、ヨーカ堂にはほかの小売店とはまったく違う、志というか、あえていえば、魂があった。とてもささやかで何気ないものながら。いつも恥ずかしそうに微笑む伊藤さんのイメージに重なるのです。

今も地元のヨーカ堂に行きます。服を一つとっても、しっかり吟味されており、しかも一定の価格帯に収まるように配慮されているのを感じます。食料品などもみなそうです。空間全体が安心を誘います。そのたびに、「小さな者のことを考えてくれているんだ」と思います。

「人間のいい人と組めばたいていはうまくいくんだよ」と言われていましたね。

どんなに安くても、空気がとげとげしたところに行きたくない。自分のことを考えてくれていないお店には行きたくないのです。

伊藤さんの優しさが、お店や人のイメージと一つに重なります。

小さな者のことを常に考えられる人、それが偉大な人の条件だと思います。

もちろんあなたは偉大な人です。私はその考えを変えるつもりはない。

言いたい人には言わせておけばいいではありませんか。

いささか長くなってしまってすみません。なかなか直接お会いする時、こんな感謝の思いを伝えたいと思いながらいつも伝えられずにいるものですから。

最後に一言だけ--。

「私はあなたのお店に育てていただいた。だから、私はあなたの子供の一人です。」