――このささやかな小文を敬愛するN・S氏に捧げる
怪物ヘンシュと子羊シェイファーの物語
「ナチスがヨーロッパを掌握できたのは、ナチスを支持する人が多かったからではない。ナチスに『断固反対』と言明するだけの勇気を持つ人が少なかったからだ」。
アウシュヴィッツを訪れた数年前、現地をガイドしてくれた方が何気なく口にした一文が今も耳を離れない。
二〇世紀は私にとって一つの単純な物語と地続きである。それは虚無と血にまみれた闘争の物語であったが、ただ一つ共通していたのは言葉を主戦場とした点だった。そして悪いことにその物語は今なお浄化されることなく現在に持ち越されている。
怪物ヘンシュと子羊シェイファーの物語は、彼が戦後のニューヨークでふと目にした新聞記事から始まる。第二次大戦末期、フランクフルトの地下壕で自決したある青年の記事だった。それは胸の奥をしとどに濡らす救いのない悪夢、やむ気配のない寂しい長雨に似ていたかもしれない。
異様な切実さ
それよりも、何を書きたくて私はこの冒頭を綴ったのか。きちんと考えずにきてしまった。うかつながら、ワープロを叩く指先に導かれるように書いてしまった気がするが、消したい気持ちを我慢してもう少しだけ続けよう。
そう、私はこの章を読むたびに、邪悪な魔女が住む不吉な森に迷い込んでしまったような暗鬱な気持ちになる。だが、同時にこうも思う。ドラッカーはこの章を書きたくて『傍観者の時代』に着手したのではないか。心にうずく消えることなき痛みを象徴するシーンを言葉にせずして死ぬことはできない。そう思わせるくらいの異様な切実さと迫力がこの章にはある。
少しだけ映画の話をさせてほしい。『戦場のピアニスト』はナチス統治下のワルシャワが舞台である。ピアニストのシュピールマンは、ワルシャワ・ゲットーから死の収容所トレブリンカ行きの鉄道移送を間一髪逃れ、市街集合住宅の一室に潜伏する。やがてワルシャワ蜂起が起こり、ドイツ軍との激しい爆撃の応酬となる。
戦車の砲撃を受け建物が崩壊するなか、シュピールマンはまたしても奇跡的にその場を逃れ、廃病院の一室に身を潜める。だがさらにナチスによる大規模な火器掃討に遭い、病院裏の高い塀を死力を搾って乗り越える。カメラはシュピールマンのはるか頭上に持ち上げられ、視野は一瞬のためらいもなくワルシャワの遠景に及ぶ。彼の背中は小さくなり、塀の向こう側にはてしなく広がる廃墟の街だけが映し出される。地獄のように灰色のワルシャワの街を――。
監督のポランスキーはまさにこのシーンが撮りたくて作品に着手したように感じられてならなかった。
『傍観者の時代』にあっては、まさしく「怪物ヘンシュと子羊シェイファー」に同じものを感じる。なぜかと聞かれても答えられない。ただそう感じるとしか言えない。
知識と言葉が地に墜ちた時代
知識と言葉ほど二〇世紀において辱められ、損なわれたものはない。
影との戦い――。あえて言えばそうなる。彼は影の発生と発展、そして一時消滅する様を見届けた。やがて暴風雨に成長するはずのつむじ風の発生を目撃するように。
つむじ風は、ふんだんにある餌を内部に取り込んで、やがてヨーロッパ全体に、やがては世界に憑依し、飽くことなき白蟻の貪欲をもって母体を根源的に損なっていく。餌とは言うまでもない。「大衆の絶望」である(『経済人の終わり』)。
彼が若い頃だから、大学時代から卒業後数年、年齢で言うと二一から二五の間くらいだろうか。二つの話が、絶妙に縦糸と横糸をなすように奥行きある妖しくも哀しい物語として織り上げられていく。
一つはフランクフルトで新聞記者と大学講師を兼任していた時代である。新聞と大学、ともに知識と言葉を守るべき機関に彼は身を置いていた。
言葉が魂の武器なのだとすれば、彼は自らの武器庫に何があるかを見定める必要に迫られていた。同時に、手にしていた武器を有効に鍛え上げるべき必要にも迫られていた。
時は、自由の精神が呪縛せられた年、すなわち一九三三年のドイツ、ナチスが政権を獲った年である。遅くともギムナジウム時代に彼はヒトラーの『我が闘争』を読んでおり、それが冗談でも隠喩でも寓話でもシンボルでもレトリックでもないことをなぜか知っていた。というか悟っていた。虚言のなかになぜ本音をかぎとることができたのか。わからない。私に聞かれても困る。ただ彼にはわかったのだとしか言いようがない。ごくかすかな振動のぶれも聞き逃さない一流の指揮者のように。
二つの夢魔――フランクフルト大学と新聞に何が起こったか
ナチスが政権をとったなら、彼らが行うことは一つしかない。『我が闘争』に書かれたプログラムを誠実かつ丁寧に、心を込めて粛々と実行する。それだけである。もちろんドラッカーはドイツを去ることを決意する。
ところが、最後の日に二つの夢魔が彼を襲う。どこかで執り行われた忌むべき黒魔術の悪霊がとうとう足下までしのびよってきたのを悟った瞬間だった。リベラルで勇名を馳せるフランクフルト大学拡大教授会にナチスのコミッサールが踏み込んだのだ。
彼を打ちのめしたのは、ナチス・コミッサールの下品さや蛮勇、卑劣さではなかった。そんなことは先刻承知であって、改めて驚く価値はない。学問の良心として尊敬を集めていた生化学者が、何ら有効な意見もなく、自らの研究費についての保身的な問いしか口にしなかった。そのとき彼は知識人の裏切りを見た。誤解の余地なくはっきりと。
もう一つは、新聞社の同僚にしてナチス党員ヘンシュが荷造りする彼のもとにやってきたことである。ヘンシュは、自らの生まれの貧しさを嘆き、能力の欠如にため息をつく。さりとてひとかどの者になる野望を捨て去れない。すべてが本音だった。彼はそこに野蛮な悪を見出したのではない。心の奥に巣くう果てしない虚無、何ものによっても癒しがたい精神の廃墟を見出したのだった。救済を求めてやまぬ病める魂にふれたからだった。
悪を教導できるか
彼はフランクフルトを去り、短期間ウィーンにとどまってから、ロンドンに渡る。不吉な影はやすやすとドーヴァー海峡をわたり、執拗にドラッカーに追いすがる。彼の知人からある名物ジャーナリストの話を聞く。彼の名がシェイファーである。シェイファーは一流のジャーナリストとして転地先のニューヨークでも圧倒的名声を手にしていたが、それらを捨て、ナチス治下のドイツに戻り、ベルリンの有力紙の編集長に就任するのだという。周囲はもちろん反対する。けれども、シェイファーは翻意しない。
シェイファーのよりどころは良心である。自らが正義と良心をもってナチスを回心させうると信じている。
うぬぼれや自信というにはあまりに高邁である。根拠もある。シェイファーには経験も理念も実績も、およそジャーナリストが持つべきあらゆる資質が備わっている。だからこそ、彼は自らの魂の武器たる言葉をもってナチスを教導しようと考えた。善意に満ちた教育的指導、これこそがシェイファーが目論んだことだった。
あえて言うまでもないことながら、賢明さを自覚する人間の掲げる正義ほどに卑小でやっかいで始末に負えないものはない。もちろんシェイファーはナチスにいいように使われ、やがて捨てられる。影はどんなに偉大な人間よりはかりしれず強大だから。
悪の陳腐さ
最後に、ドラッカーはアレントの有名な一節「悪の陳腐さ」を引用する。『イェルサレムのアイヒマン』の副題としても知られるフレーズだが、戦後アイヒマンをナチスの戦犯とする裁判で、アレントがそれを傍聴し発したものである。一般の印象に反してアイヒマンにはなんら極悪非道の相貌も動機も能力も存在しなかった。彼は何をとっても私やあなたと同じごくふつうの人だった。
むしろアイヒマンはナチスのきわめて有能なテクノクラートとして上層部からの命令に忠実に従い、自らの職務を勤勉かつ誠実に果たしていた。問題は職務内容だけだった。大量のユダヤ人を隔離し、鉄道で輸送し、収容し、虐殺することが命令の内容だったからだ。
ドラッカーはアレントを批判する。というか、たしなめる。陳腐なのは悪ではない。人である。悪そのものはあくまでもはかりしれず強大なのだ。地獄には本当の意味での底はない。だから、いかなるかたちであっても、悪を利用したり手を組むのは誤りなのだと。
もちろんレトリックあるいはせいぜいのところ言葉のあやにすぎない。内心ではアレントの主張に賛同している。アレントが実物のアイヒマンを観察して言いたかったことも、まさにそのことにほかならなかったのだから。ただし、地獄を見た者のみに許される卓抜な洞見と言うべきだ。アレントもドラッカーも、ともに生年も同じ時代でドイツに暮らし、一九三三年にヨーロッパを出て、アメリカに生活の拠点を移している。同じものを見てきた二人なのだ。
ドラッカーなら、同じことを次のように言う。
「ファイルされるだけの正しい答えや、実行に当たるべき人間に冷たく扱われる正しい解決策ほど役に立たないものはない」(『マネジメント』)
青年期ヨーロッパの陰惨な空の下で、彼は何をつかみ、何を得たか。それは一つの決意である。しかも断固たる決意である。救済への発意とさえ言っていいかもしれない。
影の発生原因を究明し、いかにすればそれを阻止しうるのか。
いやそれだけでは十分でない。まったく十分でない。さらに進んで、影を育み肥大化させる好餌、すなわち「大衆の絶望」という負のエネルギーさえも、私たちの生きる世界の秩序を育て、養いうる正の力に変えることだ。洪水を肥沃の農地に、火山活動を温泉の慰安に、灼熱の陽光を電力に変えるように――。
『経済人の終わり』を彼に書かせたのはまさにこの決意だった。ささやかながら清冽な湧水が生じた。やがてそれはマネジメントという奔流として私たちの前で大河をなすにいたる。それは、不吉な悪夢の物語を浄化するもう一つの物語、魔物退治の物語なのかもしれない。
物語は終わっていない
最後に――。
彼はヘンシュとシェイファーを憎むのではない。愚かだとさげすむのでもない。いかなる負の感情も感じとることができない。
むしろ、ヘンシュもシェイファーも、それが結果として当人たちにはいささか負いかねる過重なものであったとはいえ、時代からの問いに彼らなりのしかたで応答したのである。影と戦い、傷つき、血みどろになり、一時は組み伏せたかに見え、やがて倒れ敗北した。ドラッカーの言葉の運びには、人の弱さへの同情のようなものがにじみ出ている。
言うまでもない。言葉と知識を主戦場とする闘争は、今なお決着はついていない。トーマス・マンのいうように、人の行うあらゆることは政治の語彙に置き換えられるのは確かだ。ただし、一つだけ例外がある。それは言葉である。言葉をめぐる戦争は、人の心の内部で戦われるものであるからだ。
現在の言葉をめぐる環境は、あの大戦時代とは大きく変化してしまった。むしろ苛烈さを増し、心の中の廃墟は広がっているように見える。そして、社会の存続に日々疑念を投げかけているように見える。そして、いっそうドラッカーが警告を発したテーゼ「言葉と知識が、人と社会の現実そのものであること」「それらへの関心の欠如が、ひいては両者を回復不能なまでに損なうこと」を仄めかし続けている。
おそらく最後の一文は――というか最後の一文だけは――原文からの引用をもって締めくくるべきだろう。たった一つの救いは、今付け加えなければならないことは何もないことくらいだろう。
「おそらく最大の罪は、二〇世紀に特有の無関心という名の罪、すなわち、殺しもしなかったし嘘もつかなかった代わりに、賛美歌にいう『彼らが主を十字架につけたとき』、現実を直視することを拒否したあの学識ある生化学者による罪のほうだったと考えるに至っている。」