【スポーツの普遍性】
原晋『逆転のメソッド』祥伝社新書
時々思うのだが、スポーツがビジネスに似ているのではなく、ビジネスのほうがスポーツに似ているのではないか。
日本でも昨今そうなりつつあるけれども、アメリカにはスポーツ選手出身でビジネスで大成功している人が多くいると言う。たぶん、ビジネスの世界の成功ポイントはスポーツでも似ているのだろう。
団体スポーツの場合、組織の力を最大化するところにそのことがいえるし、何より、すべてが人間的要因に貫かれているところがあるだろう。そう考えると、スポーツは、組織マネジメントの箱庭のような意味を持っているのだ。
本書は青山学院大学の駅伝を箱根駅伝優勝に導いた監督によるものである。著者は選手時代を経てから、電力会社の社員となり、リスクをとって大学スポーツの監督になった。
学生スポーツにおける指導者の持つ力量はそのままチームの強さに直結する。どんなに選手の力があっても、指導がまずければ強くはなれない。厳然たる事実である。
「私の陸上競技での指導も、選手の首根っこをつかんで引きずりまわすようなスタイルではなく、その選手の課題に応じたキーとなる言葉を示して成長を促すというスタイルを取っている。したがって、コミュニケーション能力が高くないとおそらくついて来られないだろう」
「大事なのは、まず動くことだ。動いていれば、ノウハウは自ずと身についてくる。実際に営業をやってみてわかったのは、現場で交渉相手と膝を交え、面と向かって話し合うことの重要性だった」
筆者が指摘することは、いくつもの現実世界への示唆を含んでいる。それというのも、大学スポーツを社会から眺めていることがあるためだと思う。社会人出身の指導者の強みはそこにある。アウトサイドから見る能力である。
さらにはどうスカウトするか、ミーティングをどうするか、ひいてはどのような生活態度を持つか。哲学の実践がかくも現実に力を持つのだという圧倒的な事実に打たれる。
筆者は芯の強さとは、個々の選手の内面に潜んでいるのだと言う。内面にある覚悟をどう引き出すかは、著者自身の覚悟、すなわち、すべてを投げ捨てて指導者の世界に飛び込んだ次の発言に十全に表れているように思える。
「私の側からの要望として次のようなことが記されていた。
・三年間の出向および休職しての指導は、中国電力と青山学院大学との関係が今までないので無理である。
・したがって、退職して就任するしか方法はない。
・もし、三年間で結果を出した場合、三年後の身分の保障をしていただきたい。結果が出ない場合はその必要はない」
一つひとつは合理的でありながら、人間やコミュニティの機微にふれるものでもある。しかも、選手を見る目線なども、高度に総合的であって、「足がいくら速くても他人の話が聞けない人、とくに性根の曲がった人は遠慮してもらうしかない」といった深い人間理解を伴う言葉がいくつに散見される。
スポーツの持つ普遍性を凝縮した一冊と言えるだろう。