林野宏『BQ 次代を生き抜く新しい能力』(プレジデント社)
企業とは、いったい何のために存在しているのでしょうか。
一般的に企業に課せられている役割は、顧客や社員を満足させたり、企業価値を向上させて株主に報いることを通して社会貢献することだといわれています。
こうした認識は間違っていないかもしれませんが、私には、企業の本質は「価値創造」と「顧客創造」にあると説いたドラッカーの考えのほうがしっくりとなじみます。
ドラッカーは、組織は世のため人のために存在すると定義して、顧客こそが企業の存在理由だと言いました。ひるがえって、いまの日本の社会はどうでしょうか。残念ながら、利益の追求や企業価値の最大化を企業目的としている経営者が多く、ドラッカーの教えとはズレがある気がしてなりません。
もちろん顧客志向の企業も、利益を追求します。しかし、利益は目的ではなく、目的を実現するための手段にすぎません。そのため顧客志向の企業は、利益水準も適切なものになります。
利益を目的とするのか、それとも顧客を目的とするのか。その設定を間違えると大変です。社員が満足感と働きがいを感じられる目的を設定できれば、企業は人々の生活を豊かにする価値の源となります。しかし、それができないと、個人の疎外感と欲求不満を増す源になってしまう。社会における企業の存在価値を左右するのは、経営者のフィロソフィー次第といえるでしょう。
ドラッカーは、マネジメントについえもユニークな解釈をしていました。一般的にマネジメントは、組織運営の知識やスキルとしてとらえられることが多いと思います。
しかしドラッカーは、マネジメントを「教養」として位置づけました。したがってマネジメントの地位にある人は、心理学や哲学、倫理学、経済学、歴史など、自然科学から社会科学、人文科学の幅広い知識と洞察を必要とするというのです。
これは大いに納得です。企業における人間軽視の傾向に歯止めをかけるには、教養ありきのマネジメントが必要です。企業存続のための利益を引き出すことは大切ですが、いくら設けたのかを競うのは、マネジメントのように見えてマネジメントではないのです。また、マネジメントの本質は「責任」とも言っています。