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	<title>文明とマネジメント研究所 &#187; 村上春樹文明とマネジメント研究所</title>
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	<description>文明とマネジメント研究所公式ページです。</description>
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		<title>書評『村上春樹は、むずかしい』（加藤典洋）</title>
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		<pubDate>Tue, 14 Feb 2017 23:28:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[そもそもが「〜離れ」という言い回し自体がものごとを一面的に、誤った光の当て方をしているだけのように思われることが少なくない。 「活字離れ」「文学離れ」などが典型であるが、私の見たところでは、逆である。むしろ世の中はいっそ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>そもそもが「〜離れ」という言い回し自体がものごとを一面的に、誤った光の当て方をしているだけのように思われることが少なくない。</p>
<p>「活字離れ」「文学離れ」などが典型であるが、私の見たところでは、逆である。むしろ世の中はいっそう文学的情緒に溢れているし、何より誰もが自分にふさわしい内面的な言語を必要としているように思われる・・・<a href="http://drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2017/02/cf5ac3b2ecb5113bc60d4adb08dc2bb7.pdf">つづきを読む（pdf）</a></p>
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		<title>村上春樹の異界――井戸と暗渠と1995年</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2017 23:41:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[村上春樹の異界――井戸と暗渠と1995年 作家・村上春樹の名を知ったのは高校の頃だった。1989年だったと思う。『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』がベストセラーになっていた頃で、バブル景気も手伝って、どことな [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>村上春樹の異界――井戸と暗渠と1995年</p>
<p>作家・村上春樹の名を知ったのは高校の頃だった。1989年だったと思う。『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』がベストセラーになっていた頃で、バブル景気も手伝って、どことなくしゃれた「いけすかない」空気を醸していたように思う（村上自身大いに不本意だったとは後になって知ったのだが）。どことなく口にするのがはばかられる「軽さ」が村上にはあった。</p>
<p>一般に村上は個人主義的なライフスタイルを重視する作家として知られる。ジャズを好み、アメリカの現代作家や食文化をことのほか愛する姿勢は、日本的な暑苦しい共同体的雰囲気から切り離されているかに見える。突き放すようなデタッチメントとクールさがあり、文学とするには「色物」じみていた。そのせいか、村上にノーベル賞がどことなく不似合い（あるいは不釣り合い）と口にする人は今も少なくない。</p>
<p>だが、村上につきまとう軽さには、ある面でニーチェがワーグナーの楽劇を激賞したのに似た、反転した深みのようなものを感じないわけにはいかない。むしろ村上は軽さの装いのなかに何かを秘蔵する。わかるものに対してのみ人が進んで触覚を向けるとは限らない。ある種の「わからなさ」は、ときに内面の秘密を暗示し、尽きせぬ神秘の所在を指し示す。ときとして、わからなさは、わかりやすさよりはるかに雄弁である。</p>
<p>全文を読む→<a href="http://drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2017/02/c14504bec80a6a04f1f0bcb1dc700431.pdf">村上の異界pdf</a></p>
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		<title>ジェイ・ルービン（ハーバード大学、村上春樹翻訳者）インタヴュー</title>
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		<pubDate>Wed, 30 Sep 2015 23:59:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ドラッカー研究]]></category>
		<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[著者以上にテクストに精通しうる存在がもしいるとしたら、それは翻訳者以外にないだろう。 一昨年、ワルシャワから鉄道でベルリンに向かうなか、ポズナンから乗り込んできた30過ぎの女性が、熱心に読んでいたのが村上のエッセイだった [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">著者以上にテクストに精通しうる存在がもしいるとしたら、それは翻訳者以外にないだろう。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">一昨年、ワルシャワから鉄道でベルリンに向かうなか、ポズナンから乗り込んできた30過ぎの女性が、熱心に読んでいたのが村上のエッセイだった。私は村上を介して彼女、すなわちイザベラ・ソビエスキと知り合いになったのだが、不思議なことに、わずか一時間ほどのあいだで、村上を経由した相互感化によってか、深層のレベルの共感をはぐくむことになった。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">そのときほど村上の言語がすでに日本語を超えた倍音をはらんでいること、そして、人の霊性を賦活し、魂を活性化させる事実を実感したことはない。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">ジェイ・ルービンは四名いる村上春樹英訳者の中で、最も村上自身の信頼を勝ち得ている。ルービンが村上に見出しているのは、「還元的感化」（夏目漱石）である。還元的感化とは、人間それぞれが持つごく個別的な痛み、悲しみ、喜びなどの感情の機微を言語という容器に密封する行為だ。それはチェホフの言う「ポエジー」、ドストエフスキーの「対話」に通じる、個から普遍にいたる唯一の道である。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">このインタヴューは、私、井坂が行ったものだが、結果としてルービンが村上の中に内在する詩学に気づいていることをみごとにすくい上げたものになったのは幸運だったと言える。ルービンは「よい文学」とは生活に通ずるものであると述べている。村上が料理を、掃除を、アイロンを描くのは、つまるところ言語における美的感性の源が、生活のごくささやかな営みを基礎としているためであることに、ルービンは気づいている。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">ちなみに、私は村上春樹のなかにビジネスの要諦はすべてつまっていると考えているのだが、それはまたいずれ、「村上春樹とドラッカー」と称する未来に書かれる本に明記したいと思う。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"> </span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><a href="http://toyokeizai.net/articles/-/85403"><img class="alignnone size-medium wp-image-1158" src="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/10/eff8fdeea4e35e1d928efd3ca0a850dc.jpg?resize=300%2C200" alt="ルービン" data-recalc-dims="1" /></a></span></p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>ビジネスは村上春樹に学べ</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/1129</link>
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		<pubDate>Sun, 13 Sep 2015 01:03:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ドラッカー研究]]></category>
		<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; &#160; &#160; 文学は役に立たないという見解ほど、人口に膾炙した謬見はない。 特に村上春樹の精密な人間観察は、深いマーケティング的洞察に満ちている。 先般村上春樹の世界的研究者ジェイ・ルービン氏 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">文学は役に立たないという見解ほど、人口に膾炙した謬見はない。</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">特に村上春樹の精密な人間観察は、深いマーケティング的洞察に満ちている。</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">先般村上春樹の世界的研究者ジェイ・ルービン氏（ハーバード大学名誉教授）と話した時に、村上さんの小説はビジネスマンにとってものすごく役に立つ珠玉の知見が少なくない旨お伝えしたところ、「そのような意見は初めて聞く」とのことだった。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">特にドラッカーばりのビジネス・マインドを示したのが下記である。</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">少々長いが引用する。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">＊　　　＊　　＊　　　＊　　以下引用　　＊　　　＊　　＊　　　＊　　＊　　　＊　　</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「だからお前が細かい説明をしたくないのなら、べつに説明することはない。俺も余計な口出しはしたくない。ただね、俺は思うんだけど、自分にとっていちばん大事なことは何かというのを、お前はもう一度よく考えてみた方がいいと思うよ」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">　僕はうなずいた。「ずいぶん考えてはいるんですよ。でもいろんなことがものすごく複雑にしっかりと絡み合っていて、ひとつひとつほどいて独立させることができないんです。どうやってほどけばいいのか僕にはわからない」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">　叔父は微笑んだ。「それをうまくやるためのコツみたいなのはちゃんとあるんだ。そのコツを知らないから、世の中の大抵の人間は間違った決断をすることになる。そして失敗したあとであれこれ愚痴を言ったり、あるいは他人のせいにしたりする。俺はそんな例を嫌というくらい見てきたし、正直に言ってそういうのを見るのはあまり好きじゃない。だからあえてこういう偉そうな話をするわけだけど、コツというのはね、まずあまり重要じゃないところから片づけていくことなんだよ。つまりAからZまで順番をつけようと思ったら、Aから始めるんじゃなくて、XYZのあたりから始めていくんだよ。お前はものごとがあまりにも複雑に絡み合っていて手がつけられないと言う。でもそれはね、いちばん上からものごとを解決していこうとしているからじゃないかな。何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">俺のやっているのはもちろんたいした商売じゃないよ。銀座にたかが四軒か五軒店を持っているだけだ。世間的に見えればけちな話だし、いちいち自慢するほどのことじゃない。でも成功するか失敗するかということに話を絞れば、俺はただの一度も失敗しなかった。それは、俺がそのコツのようなものを実践してきたからだよ。他のみんなは誰が見てもわかるような馬鹿みたいなところは簡単にすっ飛ばして、少しでも早く先に行こうとする。でも俺はそうじゃない。馬鹿みたいなところにいちばん時間をかける。そういうところに長く時間をかければかけるほど、あとがうまく行くことがわかってるからさ」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">叔父はまたひとくちウィスキーを飲んだ。</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「たとえばだね、どこかに店を一軒出そうとする。レストランでもバーでもなんでもいいよ。まあ想像してみろよ。でもそこかひとつに決めなくちゃならない。どうすればいい？」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">　僕は少し考えてみた。「まあそれぞれのケースで試算することになるでしょうね。この場合だったら家賃が幾らで、その返済金が月々幾らで、客席がどのくらいで、回転数がどれくらいで、客単価が幾らで、人件費がどれくらいで、損益分岐点がどれくらいか・・・そんなところかな」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「それをやるから、大抵の人間は失敗するんだ」と叔父は笑って言った。「俺のやることを教えてやるよ。ひとつの場所が良さそうに思えたら、その場所の前に立って、一日に三時間だか四時間だか、何日も何日も何日も何日も、その通りを歩いていく人の顔をただただじっと眺めるんだ。何も考えなくていい、何も計算しなくていい、どんな人間が、どんな顔をして、そこを歩いて通り過ぎていくのか見ていればいいんだよ。まあ最低でも一週間くらいはかかるね。そのあいだに三千人か四千人くらいの顔は見なくちゃならんだろう。あるいはもっと長く時間がかかることだってある。でもね、そのうちにふっとわかるんだ。突然霧が晴れたみたいにわかるんだよ。そこがいったいどんな場所かということがね。そしてその場所がいったい何を求めているかということがさ。もしその場所が求めていることと、自分の求めていることがまるっきり違っていたら、それはそれでおしまいだ。別のところにいって、同じことをまた繰り返す。でももしその場所が求めていることと、自分の求めていることとのあいだに共通点なり妥協点があるとわかったら、それは成功の尻尾を掴んだことになる。あとはそれをしっかり掴んだまま離さないようにすればいい。でもそれを掴むためには、馬鹿みたいに雨の日も雪の日もそこに立って、自分の目で人の顔をじっとみていなくちゃならないんだよ。計算なんかはあとでいくらでもできる。俺はね、どちらかというと現実的な人間なんだ。この自分のふたつの目で納得するまで見たことしか信用しない。理屈や能書きや計算は、あるいは何とか主義とか理論なんてものは、だいたいにおいて自分の目でものを見ることのできない人間のためのものだよ。そして世の中の大抵の人間は、自分の目でものを見ることができない。それがどうしてなのかは、俺にもわからない。やろうと思えば誰にだってできるはずなんだけどね」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「マジックハンドというだけのことでもないんですね」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「それもある」と叔父はにっこり笑って言った。「でもそれだけでもない。俺は思うんだけれど、お前のやるべきことは、やはりいちばん簡単なところからものごとを考えていくことだね。例えて言うなら、じっとどこか街角に立って毎日毎日人の顔を見ていることだろうね。何も慌てて決める必要はないさ。辛いかもしれないけれど、じっと留まって時間をかけなくちゃならないこともある」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「それは、もうしばらくここにいろということですか？」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「いや、俺はどこに行けとか、ここにいろとか、そういうことを言っているわけじゃない。ギリシャに行きたいのなら、行けばいいと思う。ここに残りたいのなら、残ればいいと思う。それはお前が順番をつけて決めることだよ。ただね、お前がクミコと結婚したのはいいことだとずっと思っていた。クミコにとってもいいことだと思っていた。それがどうしてこんな風に急に駄目になってしまったのか、俺にはもうひとつうまく理解できないんだよ。おまえにもまだうまく理解できていないんだろう？」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「いませんね」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「だとすれば、何かがはっきりとわかるまで、自分の目でものを見る訓練をした方がいいと思う。時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることが、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「復讐」と僕は少し驚いて言った。「なんですか、その復讐というのは。いったい誰に対する復讐なんですか？」</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">「まあ、お前にもそのうちに意味はわかるよ」と叔父は笑って言った。</span></p>
<p><span style="font-family: andale mono,times; font-size: 16pt;">（村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』（第2部　予言する鳥編）新潮文庫、pp.311-315）</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>【社会生態学者の本棚】小澤征爾・村上春樹対談</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/1060</link>
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		<pubDate>Mon, 27 Jul 2015 22:26:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ポストモダン研究]]></category>
		<category><![CDATA[村上春樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; 【協奏の世界】 小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮文庫 時にスポーツ選手がビジネスマンの参考にされるわりには、音楽家が参考にされる頻度が低い気がしてならない。だが、音楽もまた、組 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 16pt;"><strong>【協奏の世界】</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;"><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E5%BE%81%E7%88%BE%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E3%80%81%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B0%8F%E6%BE%A4-%E5%BE%81%E7%88%BE/dp/4101001669/ref=sr_1_1?s=books&amp;ie=UTF8&amp;qid=1427928212&amp;sr=1-1&amp;keywords=%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E5%BE%81%E7%88%BE%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E3%80%81%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B+%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB"><img class="alignnone size-medium wp-image-252" src="http://i2.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/04/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e2.png?resize=210%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></span></p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮文庫</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">時にスポーツ選手がビジネスマンの参考にされるわりには、音楽家が参考にされる頻度が低い気がしてならない。だが、音楽もまた、組織やマーケティング、イノベーションなどの多様なマネジメント的要因が詰まったスリリングな世界でもある。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">スポーツと大きく異なる点は、音楽の判断基準が質以外にない点である。審美眼の判定基準をはかるのに、ピカソを見に美術館に足を運んだ回数は多少の参考にはなっても決定要因にはならない。質的なものの尺度は驚きであり感動であって、どこまでいっても内心の心の働きだからだ。心の働きは残念ながら測定することができない。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">世界的指揮者の小澤征爾と村上春樹の対論である。二人の最高峰を占める芸術家が語る世界――。気づくと、本当に音楽が聞こえるようなフィジカルな手ざわりが感じとられる。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">冒頭のところで書かれている村上春樹による観察だ。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">「世の中には『素敵な音楽』と『それほど素敵じゃない音楽』という二種類の音楽しかないのであって、ジャズであろうがクラシック音楽であろうが、そこのところは原理的にはまったく同じことだ。『素敵な音楽』を聴くことによって与えられる純粋な喜びは、ジャンルを超えたところに存在している」。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">私は思うのだけれど、人間が主体となる活動において、右の考察はほぼ共通に当てはまるのではないだろうか。事業などでも同じであって、結局のところ作るのも配送するのも消費するのも人である。人とはどこまでいっても生身を伴う存在であるから、質的な評価尺度がいつもしっかりとアンカーを支えている。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">ならば、会社や組織においても、人を質的に見て行かなくてはならないのだろうと思う。小澤征爾が楽団員を一人一人のプロとして、全体の中でかけがえのない存在として見るように。あるいは村上春樹がシューベルトのピアノソナタニ長調に心から没頭して耳を傾けるように。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">芸術は定量化の世界でないとともに、競争の世界でもない。「協奏」の世界である。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">いい音をつくるためのバリエーションは、オーケストレーションのみならず、ソロや協奏曲まであまりに多種多様である。すべては人の芸術的感性を最大化するための方法であり、技法なのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">時にビジネスの世界はあまりにメカニカルに人の能力を査定しようとするところがあり、成果もまたクリアカットに示せと迫る。だが、芸術に見るように、クリアに示せない部分、不完全さを残すところに、人間の能力の潜在性はある。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">自ら指揮を執るベートーヴェン『ピアノ協奏曲第三番』を聴きながら、小澤が言う。オーケストラがぐっと盛り上がり、ドライブがかかる部分である。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">「ここはもっとやるべきなんだ。もっとディレクションをはっきりするべきです。こうじゃなくて、たあ、たあ、たーーん（アクセントを強調する）、という具合に。もっと勇気を持ってやらなくちゃいけない。もちろん『勇気を持って』なんてことは楽譜に書いてないんだけど、それを読み取らなくちゃいけない」</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">たいていの大切なことは収支決算書には書いていない。それを勇気を持って読み取らなければならない。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>【書評】『小商いのすすめ』</title>
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		<pubDate>Sat, 16 May 2015 09:29:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[【「生き方」に古いも新しいもない】 &#160; 平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社 &#160; この種の本が一瞬にせよアマゾンのビジネス部門で一位になったと聞いて正直驚いた。というのも、この本は決してきらびやかな成功 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>【「生き方」に古いも新しいもない】</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%95%86%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81-%E3%80%8C%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E7%B8%AE%E5%B0%8F%E5%9D%87%E8%A1%A1%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%B8-%E5%B9%B3%E5%B7%9D-%E5%85%8B%E7%BE%8E/dp/4903908321"><img class="alignnone size-medium wp-image-772" src="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e4.png?resize=199%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この種の本が一瞬にせよアマゾンのビジネス部門で一位になったと聞いて正直驚いた。というのも、この本は決してきらびやかな成功哲学を説くものでもなければ、安直なポジティブ思考を推奨するものでもないからだ。</p>
<p>むしろ反対である。今、本格的な経済的衰退過程に入った日本の足下を再び見直し、もう一度しっかりと大地を踏みしめて歩こうと説くものである。</p>
<p>「小商い」というタイトルから、小規模のビジネスで堅実に稼ぐ方法を教えるものかと思いきや、そうではない。小商いとは一つの寓喩的表現であって、あえていえば、これからの日本が依拠すべき哲学である。人は小商いとともに生きてきたし、これからも生きていくのだと本書は言う。</p>
<p>かつて日本には石橋湛山という総理大臣がいた。石橋は戦前は雑誌社でジャーナリストをしていたのだが、朝鮮や満州に破竹の快進撃を果たしていた当時の日本に、小日本主義の立場から帝国主義の自制を説いた。</p>
<p>結局身の丈（本書でいうところのヒューマン・スケール）に合致しないものは遠からず破綻を余儀なくされるというのがその理由だった。石橋は緻密な合理主義者だったから、満州で生産される物財の総額を計算し、そこから得られる価値と、それによって失われる国際的信用やコストを差し引いた結果、「この取引は合わない」結論したのだった。</p>
<p>私が本書を一つの哲学だと述べるのは、石橋に見るような透徹した合理主義が、錯綜する時代の波にかき消されることなく終始横溢するためである。</p>
<p>正論が正論として流通することはめったにないのが現実ながら、まずもってそれが正論として流通するためには現実を認めるところからスタートしなければならない。現実とはしかるべき成り立ちと来歴をはらむものであるから、その成立の経路をふまえたものでなければならない。</p>
<p>本書をビジネス書として手に取る人はある面で幸せである。そこには求める以上のものがあるからだ。</p>
<p>「小商い」とは設けるための方法ではなく、生き延びるための方法であって、つまるところこの世界に生きるための方法である。そして生きとし生けるものが自然にわが身に培いながらも、気づかずに過ごしてしまったものに、もう一度繊細な視線を向けてみようと意識を促す種類の概念である。</p>
<p>頁をめくって、懐かしい場面がそこかしこにあった。懐かしさとは最もあてになる感情の一つである。それは昭和四〇年代の日本であり、ささやかながら確実に存在していたものだった。ごく当たり前だった日常が消失し、異なる原理が次第に現実を覆うようになると、自らが何を知り、何を知らないのかさえわからなくなる。</p>
<p>強みの一端はそこにある。この本は今・ここにある現実の形成過程を自らの個人的来歴とともに描き出しており、その点が不思議な説得力を持たせるのに成功している。</p>
<p>今一度立ち止まって現在という時代を考えるのに、有益な示唆を与えてくれる本といってよいと思う。</p>
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		<title>【書評】最も読みやすい渋沢栄一の本</title>
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		<pubDate>Thu, 07 May 2015 09:26:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[【転換期に処する】 &#160; 渋沢栄一『雨夜譚』（岩波文庫） 以前から不思議に思っていたのだが、日本資本主義の父ともされる渋沢栄一の書いたものがさほど読まれていないのはなぜだろうか。 理由の一つとして考えられるのが、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【転換期に処する】</strong></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%A8%E5%A4%9C%E8%AD%9A%E2%80%95%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B8%8B%E6%B2%A2-%E6%A0%84%E4%B8%80/dp/4003317017/ref=pd_sxp_f_i"><img class="alignnone size-medium wp-image-632" src="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e1.png?resize=213%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">渋沢栄一『雨夜譚』（岩波文庫）</span></p>
<p>以前から不思議に思っていたのだが、日本資本主義の父ともされる渋沢栄一の書いたものがさほど読まれていないのはなぜだろうか。</p>
<p>理由の一つとして考えられるのが、理財に強かった彼が残した書き物が、一般人の求めるものと異なっていたことがあるだろう。</p>
<p>本書は渋沢の人間的側面、しかもかなり血気盛んな青年時代を生き生きと振り返った回想にふれるにあたって、右に出るものはないといえる。</p>
<p>近い時代を生きた人に福沢諭吉がいる。『福翁自伝』を昔読んだとき、あまりの型破りに痛快な驚きを覚えたものだが、渋沢によるこの自伝は、その印象にかなり近いものがある。</p>
<p>共通するのは、いわゆる「夜話」という形式をとっている点である。堅苦しく書き下ろされたものではなく、人々を前にゆったりと数夜にわたって語られた速記をもとにしている。</p>
<p>渋沢は江戸時代の人で、農民の出身だった。そんな彼がいつしか天下国家を論ずるようになり、やがて野心を抱き、京都で一橋家に取り立てられて理財で才能を発揮する。</p>
<p>それだけでも奇跡なのに、徳川昭武に随行して、パリの視察団にも参画し、さらには、明治政府にも入っていくというめくるめくスリリングな物語である。</p>
<p>読んでいて感じるのは、渋沢の自称「凡人ぶり」である。六〇〇に及ぶ金融機関や企業、組織の創設に着手した巨人という一般に持たれるイメージとは裏腹に、本人にはさしたる偉業を行った自覚がない。</p>
<p>折に触れて、「自分は農民の出身であるから」という前置きが出てくるのだが、おそらく衷心からのものであろう。</p>
<p>明治政府に取り立てられた者の多くは下級武士だったとされるが、渋沢は農民だった。</p>
<p>彼は若い頃のエピソードを紹介している。故郷の深谷で藍の売り買いをやっていた少年時代に、地元の代官に侮られたという。そのときに、こんな人がたんに身分というだけで威張っている社会はろくなものではないと実感したという。</p>
<p>江戸時代という封建的な体制から、大きく時代は変わり、有為な人材が稀少な時代になっていく中で、渋沢はめきめきと頭角を現していく。</p>
<p>本書はゆったりとした語り口もあるけれども、いわゆるサクセスストーリーのような生臭さがいっさい感じられない。謙虚であったと言うよりも、屈託がなかったのだと思う。</p>
<p>現代を見るとき、気づかないうちに、渋沢が生きたような、原理を異にする二つの時代のちょうど谷間にきているように感じられなくもない。</p>
<p>明治維新というのは外圧から日本が国を開くという過程であったわけだが、現代は人間の意識がいっせいにこじあけられて、気づけばイスラム世界の騒擾が自分の生活圏内とほぼ同等の重みを持つようになっている。</p>
<p>たぶんそのときに必要なのは、能力でも才能でもない。野心でも向上心でもない。積極性でさえない。</p>
<p>内省する力、そして勇気を持つことだ。</p>
<p>渋沢の自伝はそのことを今の私たちに教えてくれる。しかも、大仰でなく、おじいさんが昔話をしてくれるような、やさしく、心地よい口調で。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>壁と卵</title>
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		<pubDate>Mon, 04 May 2015 11:50:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[村上春樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。 村上春樹「エルサレム・スピーチ」]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/IMG_1759.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-615" src="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/IMG_1759.jpg?resize=300%2C225" alt="IMG_1759" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p>高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #993366;">村上春樹「エルサレム・スピーチ」</span></p>
]]></content:encoded>
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		<title>誰でも入れるし、誰でも出ていける</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Apr 2015 00:57:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[ぜんたいとしては人生を祝福しなさい 「あなたは自分の人生についてどんな風に考えているの？」と彼女は訊いた。彼女はビールに口をつけずに缶の上に開いた穴の中をじっと見つめていた。 「『カラマーゾフの兄弟』を読んだことは？」と [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #ff0000; font-size: 20pt;">ぜんたいとしては人生を祝福しなさい</span></p>
<p>「あなたは自分の人生についてどんな風に考えているの？」と彼女は訊いた。彼女はビールに口をつけずに缶の上に開いた穴の中をじっと見つめていた。</p>
<p>「『カラマーゾフの兄弟』を読んだことは？」と私は訊いた。</p>
<p>「あるわ。ずっと昔に一度だけだけど」</p>
<p>「もう一度読むといいよ。あの本にはいろんなことが書いてある。小説の終りの方でアリョーシャがコーリャ・クラソートキンという若い学生にこう言うんだ。ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」</p>
<p>私は二本めのビールを飲み干し、少し迷ってから三本めを開けた。</p>
<p>「アリョーシャにはいろんなことがわかるんだ」と私は言った。「しかしそれを読んだとき僕はかなり疑問に思った。とても不幸な人生を総体として祝福することは可能だろうかってね」</p>
<p>「だから人生を限定するの？」</p>
<p>「かもしれない」と私は言った。「僕はきっと君の御主人にかわってバスの中で鉄の花瓶で殴り殺されるべきだったんだ。そういうのこそ僕の死に方にふさわしいような気がする。直接的で断片的でイメージが完結している。何かを考える暇もないしね」</p>
<p>私は芝生に寝転んだまま顔を上げて、さっき雲のあったあたりに目をやった。雲はもうなかった。くすの木の葉かげに隠れてしまったのだ。</p>
<p>「ねえ、私もあなたの限定されたヴィジョンの中に入りこむことはできるかしら？」</p>
<p>と彼女が訊いた。</p>
<p>「誰でも入れるし、誰でも出ていける」と私は言った。「そこが限定されたヴィジョンの優れた点なんだ。入るときには靴をよく拭いて、出ていくときにはドアを閉めていくだけでいいんだ。みんなそうしている」</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #993366;">村上春樹『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』</span></p>
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		<title>信じないさ、理由はわかるか？</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Apr 2015 14:22:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[正真正銘の真実 ミッチェル・サンダーズが静かに言った。「この話の続きをお前は信じないと思う」 「信じないかもしれない」と私は言った。 「信じないさ。その理由がわかるか？」 「どうしてだろう？」 彼は疲れたような笑みを浮か [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000; font-size: 20pt;">正真正銘の真実</span></p>
<p style="text-align: left;"><span class="_c24 _50f4">ミッチェル・サンダーズが静かに言った。「<wbr />この話の続きをお前は信じないと思う」<br />
「信じないかもしれない」と私は言った。<br />
「信じないさ。その理由がわかるか？」<br />
「どうしてだろう？」<br />
彼は疲れたような笑みを浮かべた。「それが<wbr />実際に起こったことだからさ。ひとことひと<wbr />ことが正真正銘の真実だからさ」</span></p>
<p style="text-align: right;"><span class="_c24 _50f4"> </span><span class="_c24 _50f4"><span style="color: #993366;">ティム・オブライエン／村上春樹訳『本当<wbr />の戦争の話をしよう』文春文庫</span></span></p>
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