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	<title>文明とマネジメント研究所 &#187; 内田樹文明とマネジメント研究所</title>
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	<description>文明とマネジメント研究所公式ページです。</description>
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		<title>【書評】『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』</title>
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		<pubDate>Mon, 05 Oct 2015 22:38:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[【私たちが知らないもう一つの世界】 内田樹・中田考『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書   近年イスラム関連の諸国を遠因とする事件が国際ニュースのトップを飾ることが多い。 最近ではドイツに向かう [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99%E3%81%A8%E5%9B%BD%E5%AE%B6-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%81%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%80%81%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4087207250"><img class="alignnone size-full wp-image-1167" src="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/10/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e.png?resize=174%2C293" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">【私たちが知らないもう一つの世界】</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">内田樹・中田考『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;"> </span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">近年イスラム関連の諸国を遠因とする事件が国際ニュースのトップを飾ることが多い。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">最近ではドイツに向かう難民問題がそうだった。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">しかも、すでに国際ニュースと国内ニュースを分かつ決定的な柵というものがなくなっている。何が自国に関係し、何が関係が薄いかなど当座分かるものではない。ある国で発表されたささやかな経済指標が回り回って自分の生活に跳ね返るのが何ら不思議でなくなっている。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">まして、日本のような貿易や人材を中心に成り立っている国は、地球のどこかで起こった些事に見える事件が大きな影響を持つ可能性が高い。逆もまた真なりである。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">だが、日本においては、大きな事件が頻々と報じられているにもかかわらず、さしたる関心や情報収集が行われていないのが、イスラムである。グローバル化がさまざまなところでかまびすしく言われるわりに、イスラムを影響力ある変数としてとらえる機縁に比較的乏しいのはなぜだろうか。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">イスラムはグローバル化の対象外なのだろうか。そんなはずがない。人口としても経済的にも文化的にもイスラムほどの伸長勢力は存在しない。にもかかわらず、理解しなければならない相手をなぜか無意識に異質なものとして思考から切り離しているにさえ見える。ＩＳが典型だ。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">答えは簡単だ。本当は見たくないのだ。影響を知っているからこそ、理解したくないのだ。理解すると行動の責任が生ずる。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">本書の興味深いのは、「なぜ私たちがイスラム関係にアンテナを立てずにいるのか」というメタ的心性からはじまって、イスラムをどことなく異質なものとしがちな歪んだマインドに快い一撃を食らわせてくれるところにある。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">対談形式で進められるのが、本書の妙味を十分に引き出しているように思う。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">切れ味鋭く、しかも奥行きある思考を持ち味とする内田樹氏、そして日本でも最高のイスラム学者の一人中田考氏の話が、おもしろくないはずがない。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">読み進めているうちに、自分が置かれた環境の方がむしろ異質なのがわかってくる。良い本にはこのようなささやかな「コペルニクス的転回」を促すしかけがそっと埋め込まれているものである。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">そもそもがイスラームとは何かにはじまって、シーア派とスンニ派の違い、ハラール、マッカ巡礼などの芳醇な文化的背景を踏まえたていねいな用語解説、さらに一神教と多神教などの宗教談義はスリリングな知的滑走を体験させてくれる。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">「あれはこういう意味だったんだ」と過去に蓄積した知識や情報に新しい光が当たり、はっとさせられる。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">現在グローバル化と呼ぶものの多くは、実に狭隘で、時にイデオロギッシュなものなのだということに気づかされる。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">すくなくとも、イスラムについての理解と配慮なきグローバル思考は、世界の半分しかとらえられていない。</span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">そんな当たり前の常識がたんたんと述べられているところに本書の魅力がある。そして真の専門家はどこまでもたんたんとしているものなのだ。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>【ポストモダンの言葉】無能の普遍性</title>
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		<pubDate>Sun, 26 Jul 2015 10:07:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ポストモダン研究]]></category>
		<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; 私たちは「自分が知っているもの」の客観性を過大評価する。「私が知っていることは他者も知っているはずだ」というのは私たちが陥りやすい推論上のピットフォールである。 話は逆なのだ。「私たちが知らないことは他者も [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 16pt;">私たちは「自分が知っているもの」の客観性を過大評価する。「私が知っていることは他者も知っているはずだ」というのは私たちが陥りやすい推論上のピットフォールである。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">話は逆なのだ。「私たちが知らないことは他者も知らない」</span><span style="font-size: 16pt;">。そういうことの方が多いのである。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">私たちが興味をもって見つめるものは社会集団が変わるごとに変わるが、私たちが「それから必死で目をそらそうとしていること」は社会集団が変わってもあまり変わらない。人間の存在論的な本質にかかわることからだけ人間は組織的に目をそらすからだ。「生きることは身体に悪い」とか、「欲しいものは与えることによってしか手に入らない」とか「私と世界が対立するときは、世界の方に理がある」とか「私たちが自己実現できないのは『何か強大で邪悪なもの』が妨害しているからではなく、単に私たちが無力で無能だからである」とかいうことを私たちは知りたくない。だから、必死でそこから目をそらそうとする。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">でも、そのことを知りたくないので必死で目をそらすということは、自分が何を知りたくないのかを知っているからできることである。知っているけれど、知っていることを知りたくないのである。</span></p>
<p><span style="font-size: 16pt;">だから、人間が「何か」をうまく表象できない場合、その無能のあり方にしばしば普遍性がある。人間たちは実に多くの場合、「知っていること」「できること」においてではなく、「知らないこと」「できないこと」において深く結ばれているのである。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: 16pt;">内田樹『もういちど村上春樹にご用心』文春文庫</span></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>用事がないところには出かけない</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/970</link>
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		<pubDate>Thu, 18 Jun 2015 00:04:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>

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		<description><![CDATA[多田先生から教わった大切な教えの一つは「昔の侍は用のないところには出かけなかった」ということです。用のないところにフラフラ出かけてゆくから無用のトラブルに巻き込まれる。そう言われてみると、僕がこれまで関わったトラブルはす [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><a href="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/06/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e1.png"><img class="alignnone size-medium wp-image-974" src="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/06/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e1.png?resize=203%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a>多田先生から教わった大切な教えの一つは「昔の侍は用のないところには出かけなかった」ということです。用のないところにフラフラ出かけてゆくから無用のトラブルに巻き込まれる。そう言われてみると、僕がこれまで関わったトラブルはすべて「行かなくてもいいところに行って、会わなくてもいい人に会って、しなくてもいいことをした」時に起きていた。そういうものなんです。だから、侍は散歩なんかしてないんです。勤めに登城する、武術や謡の稽古に行くか、家で書見するか、畑を耕すか、鉢木の手入れをするか、それくらいのことしかしないんです。トラブルに遭遇して、人を傷つけたり、自分が傷ついたりして本務に差し障りが出ることを侍は最もきらった。だから、「」というひと言に胸を衝かれたんです。</p>
<p style="text-align: right;">内田樹・鈴木邦男『慨世の遠吠え－－強い国になりたい症候群』</p>
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		<title>なぜか知らないけど、知っている（ジョブズの言葉）</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/874</link>
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		<pubDate>Sun, 24 May 2015 10:27:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[実存]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; 2011年に亡くなったアップルの創業者のスティーブ・ジョブズという人がいます。彼がスタンフォード大学で卒業生のための演説をしていて、それがYouTubeの画像にアップされていて見ることができます。よいスピー [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><a href="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/o-STEVE-JOBS-facebook.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-875" src="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/o-STEVE-JOBS-facebook.jpg?resize=300%2C150" alt="Steve Jobs Introduces iCloud Storage System At Apple's Worldwide Developers Conference" data-recalc-dims="1" /></a></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">2011年に亡くなったアップルの創業者のスティーブ・ジョブズという人がいます。彼がスタンフォード大学で卒業生のための演説をしていて、それが<a href="https://www.youtube.com/watch?v=D1R-jKKp3NA">YouTube</a>の画像にアップされていて見ることができます。よいスピーチでしたので、僕は何度か繰り返し見ました。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">（略）</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">ジョブズはスタンフォード大学の卒業生に向かってもうひとつ、こんなことを言っています。「君たちにとって一番たいせつなのは、それは自分自身のハートと直感を信じる勇気を持つことだ」と（The most important is to have the courage to follow your heart and intuition）。この言葉のなかでは僕は「勇気」という言葉に深く納得いたしました。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">ジョブズは一番たいせつなのは、あなたの心と直感に「従うこと」ですと言ったのではなく、一番たいせつなのは、あなたの心と直感に「従う勇気を持つこと」ですと言ったのです。心と直感に従うためには勇気が要るんです。というのは、みんなが「心と直感に従って生きる人間」に向かって「それはおかしい」と言うからです。「お前は間違っている。他の人はそんなことをしない。みんなと同じようなことをしろ」と。そういう無数の妨害を押しのけて、自分の心と直感に従おうとするためには勇気が要る。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">その後にジョブズはこう続けます。なぜ心と直感に従わなければいけないのかというと、「なぜならば、あなたの心と直感は、あなたがほんとうは何になりたいかをなぜか知っているから」（They somehow know what you truly wan to become）。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">なぜか知らないけど、知っている。これは真に創造的な仕事をしてきた人ならではの、経験に裏打ちされた言葉だと思います。自分の心と直感に従いなさい。なぜなら、それは自分がほんとうは何になりたいのか、どこに行きたいのかということを、「なぜか」（somehow）知っているから。なぜ知っているかはわからない。今も言えないし、途中でも言えないし、終わってからも言えない。でもなぜか自分がほんとうは何ものになりたいのかを知っていた。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: 14pt;">内田樹・釈徹宗『日本霊性論』</span></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【書評】私はテレビを見ないし、新聞も読まない。</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/841</link>
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		<pubDate>Mon, 18 May 2015 23:26:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[【事理を教えてくれる本】 内田樹『街場のメディア論』光文社新書 &#160; 職業柄かふだんからメディアの問題には関心を持っているというか持たざるをえないのだが、久し振りにメディアの不調について納得できる理説を示してくれ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【事理を教えてくれる本】</strong></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%97%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E8%AB%96-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4334035779"><img class="alignnone size-medium wp-image-842" src="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e6.png?resize=188%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">内田樹『街場のメディア論』光文社新書</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>職業柄かふだんからメディアの問題には関心を持っているというか持たざるをえないのだが、久し振りにメディアの不調について納得できる理説を示してくれる本に出会ったので紹介させていただきたい。</p>
<p>ほぼ現代人の知の成分表示はテレビとかネットといったいくつかのメディアから選択的に形成されているのは間違いなく、その意味でメディアの不調は現代人の知の不調にもつながるなかなかに重い問題である。</p>
<p>本来は大学の授業でなされたメディアと知に関する発言をもとに、学生や編集者などの広範なフィードバックを経てつくられたとはしがきにある。確かに一人の人間の頭の中で専一的に培養された考えというよりは、メディアや知を社会的システムとしてとらえようとする縦横無尽な頭の使い方が光る。</p>
<p>そこでは現代にあってドミナントなメディア批判が豊かな教養知とともに展開される。まずもって納得させられるのがテレビと新聞、そして出版である（なぜかラジオに対して向けられる視線は温かい）。</p>
<p>いやしくもメディアの末席を汚す私がこんなことを言っていいのかわからないが、よく考えてみればここ何年かきちんとテレビを見た記憶がない。そればかりか、熱心に新聞を読んだ記憶もない。ではそれで大勢に劣後するような恥ずかしい経験があったか。まったくない。一度も困ったことがない。</p>
<p>著者はそれらの主要なメディアで横溢する情報の「定型性」を批判する。そこではいかなる責任もとられることがなく、誰のものでもない言葉が氾濫する。確かにそのようなものが人の心に届くはずもない。だが、実態が失われ虚像と化しても、生活の中で育まれた慣習は残る。</p>
<p>恐らく二〇世紀、特に戦時にあって新聞やテレビが巨大な影響力を持ちえたその遺骸に対して頭脳と言うよりは体が反復的に対応しているだけのようにも思われる。では、よく言われるテレビや新聞に未来があるのかとの問いに対し、著者の回答は明快である。「ありません」。恐らくラジオを除くマスを対象とするメディアなら、その不調の責任から逃れられないだろうと著者は言う。</p>
<p>なるほど――。</p>
<p>ならばネットがそれに代替するのか。そのような半ば紋切り的な発想に対しても著者は鋭い刃を向けてくる。そんなはずはないと。むしろメディアに本来求められるコミュニケーション機能がきちんと果たされていない。不調はそこに人々が気づいて合理的に行動しているだけとする。</p>
<p>そもそもメディアとは社会のなかで情報のフィードバックを促し、社会を構成する人々に適切な判断材料を与えるのがその主たる任務であって、「ビジネスとして成立するかどうか」などは事後的な問題に過ぎないし、社会の側のあずかり知るところではないのだと筆者は喝破する。</p>
<p>確かに、この言葉は重い。一般に言って消費者は靴屋を儲けさせるために靴を買うのではない。理屈は同じである。ビジネスとして成立するかどうかも、一定の社会関係におけるコミュニケーションの成立に関わる問題である。この忠告を真に受けられるかどうかが次なるメディアの状況を決するように思う。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>難局に効く、ささやかだけれど、役に立つ言葉</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/833</link>
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		<pubDate>Sun, 17 May 2015 11:44:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[「知りません。教えてください」 自分が何を知らないのか、何ができないのかを適切に言語化する。その答えを知っていそうな人、その答えにたどり着ける道筋を教えてくれそうな人を探り当てる。そして、その人が「答えを教えてもいいよう [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">「知りません。教えてください」</span></p>
<p>自分が何を知らないのか、何ができないのかを適切に言語化する。その答えを知っていそうな人、その答えにたどり着ける道筋を教えてくれそうな人を探り当てる。そして、その人が「答えを教えてもいいような気にさせる」こと。</p>
<p>それだけです。</p>
<p>「それだけ」というわりにはけっこう大仕事ですけど。</p>
<p>喩えて言うと、こんな状況です。</p>
<p>道を進んでいたら、前方に扉があった。そこを通らないと先に進めない。でも、施錠してある。とんとんとノックをしたら、扉の向こうから「合言葉は？」と訊かれた。さて、どうするか。</p>
<p>「学び」とは何かということを学んできた人にとっては、答えは簡単です。</p>
<p>「知りません。教えてください」です。扉はそれで開きます。</p>
<p>「合言葉」というものはこれまでの道筋のどこかに置いてあったり、売っていたりして、それを自分はうっかり見逃したのだと思っている人は、あわてて来た道を戻ったりしますが、もちろんどこにもでき合いの「合言葉」なんて売ってはいません。学びの扉を開く合言葉は「知りません。教えてください」なんです。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #993366;">内田樹『街場の教育論』</span></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>【書評】『小商いのすすめ』</title>
		<link>http://drucker-bunmei.jp/archives/771</link>
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		<pubDate>Sat, 16 May 2015 09:29:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[村上春樹]]></category>

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		<description><![CDATA[【「生き方」に古いも新しいもない】 &#160; 平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社 &#160; この種の本が一瞬にせよアマゾンのビジネス部門で一位になったと聞いて正直驚いた。というのも、この本は決してきらびやかな成功 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>【「生き方」に古いも新しいもない】</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%95%86%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81-%E3%80%8C%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E7%B8%AE%E5%B0%8F%E5%9D%87%E8%A1%A1%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%B8-%E5%B9%B3%E5%B7%9D-%E5%85%8B%E7%BE%8E/dp/4903908321"><img class="alignnone size-medium wp-image-772" src="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e4.png?resize=199%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この種の本が一瞬にせよアマゾンのビジネス部門で一位になったと聞いて正直驚いた。というのも、この本は決してきらびやかな成功哲学を説くものでもなければ、安直なポジティブ思考を推奨するものでもないからだ。</p>
<p>むしろ反対である。今、本格的な経済的衰退過程に入った日本の足下を再び見直し、もう一度しっかりと大地を踏みしめて歩こうと説くものである。</p>
<p>「小商い」というタイトルから、小規模のビジネスで堅実に稼ぐ方法を教えるものかと思いきや、そうではない。小商いとは一つの寓喩的表現であって、あえていえば、これからの日本が依拠すべき哲学である。人は小商いとともに生きてきたし、これからも生きていくのだと本書は言う。</p>
<p>かつて日本には石橋湛山という総理大臣がいた。石橋は戦前は雑誌社でジャーナリストをしていたのだが、朝鮮や満州に破竹の快進撃を果たしていた当時の日本に、小日本主義の立場から帝国主義の自制を説いた。</p>
<p>結局身の丈（本書でいうところのヒューマン・スケール）に合致しないものは遠からず破綻を余儀なくされるというのがその理由だった。石橋は緻密な合理主義者だったから、満州で生産される物財の総額を計算し、そこから得られる価値と、それによって失われる国際的信用やコストを差し引いた結果、「この取引は合わない」結論したのだった。</p>
<p>私が本書を一つの哲学だと述べるのは、石橋に見るような透徹した合理主義が、錯綜する時代の波にかき消されることなく終始横溢するためである。</p>
<p>正論が正論として流通することはめったにないのが現実ながら、まずもってそれが正論として流通するためには現実を認めるところからスタートしなければならない。現実とはしかるべき成り立ちと来歴をはらむものであるから、その成立の経路をふまえたものでなければならない。</p>
<p>本書をビジネス書として手に取る人はある面で幸せである。そこには求める以上のものがあるからだ。</p>
<p>「小商い」とは設けるための方法ではなく、生き延びるための方法であって、つまるところこの世界に生きるための方法である。そして生きとし生けるものが自然にわが身に培いながらも、気づかずに過ごしてしまったものに、もう一度繊細な視線を向けてみようと意識を促す種類の概念である。</p>
<p>頁をめくって、懐かしい場面がそこかしこにあった。懐かしさとは最もあてになる感情の一つである。それは昭和四〇年代の日本であり、ささやかながら確実に存在していたものだった。ごく当たり前だった日常が消失し、異なる原理が次第に現実を覆うようになると、自らが何を知り、何を知らないのかさえわからなくなる。</p>
<p>強みの一端はそこにある。この本は今・ここにある現実の形成過程を自らの個人的来歴とともに描き出しており、その点が不思議な説得力を持たせるのに成功している。</p>
<p>今一度立ち止まって現在という時代を考えるのに、有益な示唆を与えてくれる本といってよいと思う。</p>
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		<title>危機に臨んだとき（内田樹）</title>
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		<pubDate>Wed, 13 May 2015 22:28:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会生態学]]></category>

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		<description><![CDATA[ふだん通りのこと 「おっと、こうしちゃいられない」 地獄への道はこの言葉によって舗装されている。これは長く生きてきてわかったことの一つである。みんなそうつぶやきながら破滅への道を疾走して行った。 古来、胆力のある人間は、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/b663c6db6896347e4e80d3cd35a928f8.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-736" src="http://i0.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/05/b663c6db6896347e4e80d3cd35a928f8.jpg?resize=300%2C225" alt="市庁舎前広場2" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 16pt;">ふだん通りのこと</span></p>
<p>「おっと、こうしちゃいられない」</p>
<p>地獄への道はこの言葉によって舗装されている。これは長く生きてきてわかったことの一つである。みんなそうつぶやきながら破滅への道を疾走して行った。</p>
<p>古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだん通りのこと」ができるかどうかを自己点検した。まずご飯を食べるとか、とりあえず昼寝をするとか、ね。別にこれは「次にいつご飯が食べられるかわからないから、食べだめをしておく」とかそういう実利的な理由によるのではない。</p>
<p>状況がじたばたしてきたときに、「ふだん通りのこと」をするためには、状況といっしょにじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。人間は、自分のそのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #800080;">内田樹『街場の大学論』</span></p>
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		<title>今最も必要な言葉－思想家・内田樹の発言</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Apr 2015 00:17:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[井坂康志]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内田樹]]></category>

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		<description><![CDATA[【知の歩哨を立てる】 内田樹『街場の憂国論』晶文社 「リスクヘッジのためには、少人数でも『みんなが見張っていない方向』に歩哨に立てておく方がいい」。 時々思うのだが、ネットが発達した昨今だからこそ、意識的に本を読むように [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【知の歩哨を立てる】</strong></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%97%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%86%82%E5%9B%BD%E8%AB%96-%E7%8A%80%E3%81%AE%E6%95%99%E5%AE%A4-%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9/dp/4794968116"><img class="alignnone size-medium wp-image-270" src="http://i1.wp.com/drucker-bunmei.jp/wp-content/uploads/2015/04/0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e3.png?resize=208%2C300" alt="無題" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: 20pt;">内田樹『街場の憂国論』晶文社</span></p>
<p>「リスクヘッジのためには、少人数でも『みんなが見張っていない方向』に歩哨に立てておく方がいい」。</p>
<p>時々思うのだが、ネットが発達した昨今だからこそ、意識的に本を読むようにしたほうがよいのではないか。誰もが車を運転する時代であっても、タクシーやバスの運転手がいなくなるわけではないのと同じで、情報の選別にもプロは必要である。ジャンクな情報からはジャンクな思考しか生まれない。</p>
<p>内田樹の発言は炭鉱のオウムに似た役割として耳を傾けるに値するものの一つである。国やナショナリズムのありようが誰にとっても重い意味を持つ現代においては時に異なる切り口の見解を思考回路にわざと入れておくことが大事だ。内田氏は自覚的にそのことを追求している。</p>
<p>ネットは多様性を確保しているように見えて、実は単色的な論調を助長しているように見えなくもない。それは地域の多様性を追求するほどに何もかもが大都市に集まってしまうのに似ている。他の国でもおおむね同じような現象が起こっている。</p>
<p>本書はブログをもとにしているだけあって、個人のアンソロジーとしてはぴりりと辛味の効いたものが多い。憂国は偉い専門家から、場末の居酒屋まで幅広く話題になっている。本書に出てくる話題はすべてが近隣諸国との領土紛争や安全保障に関するものばかりではない。だが、丹念に著者の問題意識の回路に思いをはせるならば、すべてにつながりがあることに気づくであろう。例えば、グローバル人材教育について次のように言う。</p>
<p>「大学に向かって『英語が話せて、タフな交渉ができて、一月三〇〇時間働ける体力があって、辞令一本で翌日から海外勤務できるような使い勝手のいい若年労働者を大量に送り出せ』と言って『グローバル人材育成戦略』なるものを要求するのは『人材育成コストの外部化』である。要するに、本来企業が経営努力によって引き受けるべきコストを国民国家に押しつけて、利益だけを確保しようとするのがグローバル企業の基本的な戦略なのである」</p>
<p>これはなかなか厳しい企業批判である。高度資本主義社会にあって、企業を批判するのは体制を批判するのと同じであるが、私はこの指摘を正しいと思う。その時々の短期の様子しか見ないと、根源に暗渠のごとく広がるもうひとつの見えざるロジックに気づきにくくなる。</p>
<p>おそらく著者の言うとおり、国民国家さえもが経済の道具になりつつあり、本来貨幣に置き換えられない教育や地域、文化などの公共的存在が経済的投機の手段になっている。</p>
<p>現在日本が置かれた位置を考えるのに、中心からでなく、一見迂遠なところから時間をかけて考え抜いていく姿勢は何よりなくてはならない。企業は潰れてもそれきりだが、地域や国家は潰れたら回復不能な痛手を被ることになるからだ。</p>
<p>そのことは情報の選別と摂取の姿勢とも関わりを持つ。最後に本書からの辛口な一節を――。</p>
<p>「『私が知っていること』は『誰でもが当然知らなければならないこと』であり、『私が知らないこと』は『知るに値しないこと』である。そういうふうに考える人がいれば、その人の情報リテラシーは低いと判断してよい」。</p>
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